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【創作】ヘリオス 第5話


それからの1週間は慌しかった。YouTubeをやる了承を家元に頂き、神様からは私と共演する際の契約書が即座に送られて来た。報酬は折半。こんなに要らないと言ったけど、「俺は金持ちだからいい」と押し切られた。それを元に優成くんとの契約書も作り、了承してもらった。


撮影は次の土曜日、我が家ですることになった。優成くんも慣れているし、川崎流本家の佇まいも動画に撮りたいのだそうだ。それまでに神様のYouTubeを見ておかなくちゃ。

夜、ベッドにゴロンと横になって「バイオリン」でYouTubeを検索すると、すぐに見つかった。チャンネル登録者数…198万人?本当に有名な人なんだ。ひとつふたつ、選んで聴いてみる。

ウィーンで撮影したパガニーニのカプリース24番、プラハのカレル橋でのサラサーテのツィゴイネルワイゼン。分かりやすく飽きないように、テロップが表示されてある。どちらも超絶技巧を何でもないことのように弾きこなしている。力強い、ダイナミックな演奏。こんなにすごいのに、バイオリニストにならないなんて。


もう一つかけてみてから、6月に行なう演奏会の流れを書いた下書きを取り出した。曲はラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲 Op.43 第18変奏」

聴きながら下書きを読もうと思ったけど、すぐに読めなくなった。さっきのカプリースやツィゴイネルワイゼンと音が違う。甘い。甘くて、くすぐったくなるほど優しい。心を全て攫われるような、官能的な音。


画面を見てみると、どこかの部屋だった。落ち着いた色合いの木目の壁にピアノ。東雲さんの家かな。他の演奏は外でしているようなのに珍しい。この曲にだけテロップもない。それなのに全神経が持っていかれる。

東雲さんはかすかに笑みをたたえて弾いていた。何の憂いも悲しみも混じっていない、不純物のない、幸せな気持ちだけをのせた演奏。これは、子どもやペットなどへの慈愛じゃない。想い人への愛情を込めた、大人の男性の表現だ。


東雲さんにはきっと、こんなとろけてしまいそうな演奏が出来るほど、好きな人がいるんだ。それなのにどうして、私とお見合いなんかするんだろう。これだけの情感的な演奏をしながら、まるで契約婚のようなお見合いを、見ず知らずの私と。



撮影の日、東雲さんは来るなり私に高級そうな桜色の紙袋を手渡した。

「これは凪に」

大きさからしてお花かな、と思ったけど、受け取ると軽い割に柔らかい。

「開けてみろ」

お礼を伝えて袋を開くと、質の良い金色のリボンがかかった透明のラッピングを通して、茶色のフワフワが見えた。慎重に出してみると、それは貝を持ったラッコのぬいぐるみだった。

「似ているだろう、凪に」

そう言われたのでまじまじとラッコを見てみる。私、こんな顔してるかな、と見つめていると、東雲さんはまた天を仰いで大笑いしだした。

「東雲さん、笑い上戸ですね」

捲れた私に、ああすまない、と謝ってから言う。

「凪があまりに可愛いから」

またこの人はこんなことをさらりと言う。こんな時、どうしたら良いか分からない。

「それと、晃輝でいい。東雲って言いにくいだろう」

そう言って靴を脱いだ光輝さんに話しかける。

「……晃輝さん。YouTube見ました、というより聴きました。とても、感動しました」

私は伝えるのが恐ろしく下手だ。

「何を聴いた?」

「カプリース、ツィゴイネルワイゼンと…」

「ああいう派手なのは人気で、上位に出て来るからな」

「それから、ラフマニノフのパガニーニの狂詩曲を」

晃輝さんの動きがふと止まる。

「すごく素敵でした。何と言うか官能的で、色気があって、その、心を持って行かれました。どんな想いで、誰を想って弾いたんですか」

聞いてしまってからすぐに後悔した。こんなこと、お見合い相手に聞かれたくないだろう。


晃輝さんはふんわりと笑って、無言でぽんぽん、とラッコの頭を軽く叩きながら「さあな」と呟き、私の横をすり抜けて先に稽古場へ向かってから、こんなことを言った。

「おっと、ラッコと凪を間違えた」

……くぅ〜!完全にバカにされてる!!


撮影は晃輝さんと私の「春の海」の後で、優成くんと私の「SINGER」他いくつか、伝統的な曲と現代曲を半分ずつ撮ることになった。


晃輝さんのバイオリンと合わせた「春の海」は、すごかった。これ以上、どうやって表現したら良いんだろう。私の静かで深淵な海に、力強さが入る。ダイナミックなのに、ちゃんと春だ。きらめきが嬉しい春の海。そして、やっぱり甘い。カモメの飛ぶ表現でさえ、恍惚とするほどの色香。穏やかなのに、苦しいほどの切なさ。

演奏が終わってから暫く、誰も口を利かなかった。

「……すごい」

やがてメインの撮影の他に別アングルも、ということで撮影していた優成くんが、ため息と共にことばを吐いた。

「本当だ。君はすごいな、凪」

晃輝さんが法悦とした表情で握手を求めて来た。

「すごいのは晃輝さんの方です。完全に引き込まれました」

「凪が引き出したんだ」

やっぱり神様の言うことは、よく分からない。



撮影が終わって晃輝さんを玄関まで見送ると、稽古場に戻る途中の廊下で優成くんが尋ねた。

「あの人と結婚するんですか」

撮影中はいつもの穏やかな優成くんだったのに、また怖い顔に戻っている。

「どうかな、分からないけど、少なくとも川崎流を継いでいくのには申し分ない、貴重な方だとは思ってる」

「凪先生はそんなことで相手を選ぶんですか」

嵐の前のような、静かな声。

「そんなこと、じゃないよ。晃輝さんは音楽の才能もあるし、分野が違うぶん、広い世界を持ってきてくれそうだし。そんな血が川崎流に入るなら、より繁栄が期待できると思うの」

稽古場に先に入って優成くんの方を向くと、彼は明らかに怒っていた。左手を強く握りしめ、嫌そうに横を向いてから強い口調で言った。

「凪先生、自分で言ってることが分かっているんですか」

「……え?」

「先生の言っていることは、好きでもない人とセックスして、その子どもを作るってことだ。貴女にそんな機械的なことが出来るんですか」


続きはこちら。

前回のお話はこちら。


第一話はこちら。


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