完璧な人 第10話〜終幕〜
〜海斗編〜
客間から
庭に咲く色とりどりの
花が見える。
青葉が瑞々しく
薔薇の高貴な香りは
こちらまで
漂ってくるようだ。
子どもの頃はこの部屋が好きで
よく勝手に入っては
移り変わる庭の景色を見ていた。
「鉄線がすごいね、とても綺麗」
「ああ、父のお気に入りだ」
暫くすると
父と母、それに兄がやって来た。
「わざわざ来て下さって
ありがとうね。
海斗が女性を連れて来ること自体
初めてだから
どんな方かと思っていたのよ。
こんなに可愛らしい
清楚なお嬢さんで、嬉しいわ」
母が和かに
凛に話しかけるが、
ボソリと
ギャルじゃなくて心底安心したわ、
と呟き、
腹黒い顔でニヤリと笑ったのを
俺は見逃さなかった。
凛は今日
訪問着を着ている。
藤色の地に葵の文様。
衣紋からチラリと見える
白いうなじが艶かしい。
独り占めして、赤く染めたい。
この大事なときに
変なことを考えてしまう。
「雪平凛と申します」
丁寧に挨拶をして
老舗和菓子店の
菓子折りを差し出した凛に、
父が言う。
「雪平さん、と仰いましたか?」
父と目を合わせて
菓子折りの包装紙を見た
兄が絶句する。
「海斗!お前......!」
父が落ち着いた表情で
穏やかに凛に言う。
「凛さん、失礼ですが
お父上のお名前を
伺ってもよろしいですか」
「父ですか。
父は雪平斉昭と申します」
一瞬の静寂の後、
父は豪快に
膝を打って笑い出し、
兄には肩を強く掴まれて
グラグラと揺すぶられながら
こう言われる。
「海斗‼︎
お前この大馬鹿野郎!
俺が散々紹介した
ご令嬢達を
タイプじゃないなんて
悉く振ったくせに、
一番の上玉を連れて来やがって‼︎」
「航弥、騒がしいですよ。
何ですか、そのことば使いは」
母に叱られて
所在なさげに
コホン、と咳払いをした優秀な兄に
あえてシラッと尋ねる。
「何の騒ぎですか、兄さん」
兄は俺を無視して
浮き足だった様子で
凛に言う。
「凛さん、こいつ馬鹿でしょう。
本当に、大うつけだ」
そして凛に貰った
菓子折りのパッケージを
俺に見せつける。
「お前、この、子どもの頃から
よく食べていた春雪の
ご令嬢を連れて来られて
冷静で居られる訳がないだろうが」
そうだ。
当グループと同程度歴史ある
老舗の大手和菓子メーカー。
それが凛の実家だと
知った時は、
俺もこんな話があるものかと
驚愕した。
そう言えばクレマチスを
鉄線、と呼ぶのは
若者には珍しい。
和菓子屋の娘ならでは
なのかもしれない。
色の感性が
研ぎ澄まされているのも
その影響か。
そんなことを考えた矢先、
母が喜んで菓子折りの包みを
開け始めた。
凛がそれを説明し出す。
女性2人で
宝石でも見るように楽しそうだ。
「海斗、ちょっといいか」
つい先ほどとは打って変わって
真剣な表情になった兄が
俺を廊下へ連れ出した。
「来た早々、何ですか」
「お前な、無理していないか」
「は?」
質問の真相が掴めない。
「いやな、凛さんの家柄は
これ以上無いほど望ましいし、
ご本人もお前に似合いそうだ。
だが、今までの海斗の好みと
掛け離れているだろう。
あんなに反対されても住んでいた
シェアハウスも退居したんだろう?
まるで急に父さんの
忠実な犬になったように見えるぞ」
側から見たら、そう見えて
当然だろう。
「凛のようなタイプを以前から
勧めて来たのは兄さんでしょう」
「確かにそうだ。
お似合いだはと思うがな、
俺はお前の幸せを犠牲にしてまで
とは思っていない。
お前、以前、女性に振られた
と言っていたが
それからまだ日が浅いだろう。
それですぐに婚約だ、なんて
ショックで自暴自棄になっていないか」
兄の気遣いには
毎回、敬服する。
「シェアハウスには結婚したら
住めませんし、
それに、俺を振ったのは凛ですよ」
「はあぁ?」
思わず大仰に声を出した兄に
俺は続ける。
「婚約を早めたのは
シェアハウスに凛の
元恋人がいて
気が気じゃないからです」
もう良いですか、凛が心配なので、と
言い捨てて
俺はさっさと客間に戻る。
「おい!海斗、何だそれ、
略奪した、ってことか?海斗!」
兄さんを驚かすのは楽しいが
略奪とは人聞きが悪い。
客間に戻ると凛が
真っ赤になっている。
「うるさいぞ、航弥。
お前の大声が部屋まで筒抜けだ」
普段余裕の表情しかしない社長が
大した年になってから
親に叱られる様子を見るのは
極めて珍しい。
「最初からこんなに騒いで
ごめんなさいね、凛さん。
幻滅したでしょう。
どうか気を悪くしないで
ゆっくり寛いでいってね」
その時ちょうど食事が運ばれ
会食となった。
兄は不可思議な表情を浮かべて
俺たち2人を観察していたが、
父も母も、気持ちが悪いほど
上機嫌だ。
凛は多少
緊張しているようだったが、
嫌がる雰囲気は見て取れない。
美味しそうに料理を食べている。
そうだった、
凛は美味しいものに
目が無いんだった。
俺のことよりも料理を見つめているのが
気に食わない。
「それで、雪平さんのお宅には?」
父が質問する。
「凛のご両親には
昨日、ご了承を得て来ました」
「父は
野々宮さんの方がずっと格上ですし
家門に合うか恐縮ですが
くれぐれもよろしく、と
申しておりました」
「まあ、凛さん。
あの春雪さんが
格下なんてことは決して無いわ。
それにこういうことは
上も下も無いのよ。
ましてやあなた達は
政略結婚でもないのだし、
2人の問題なんだから
家のことをそんなに考えなくていいの。
海斗に譲らなくていいの。
後ろを歩かなくていいのよ」
こんな表情の少ない子だけど
よろしくね、と
いつになく上機嫌の母を見て
思い出す。
そう言えば母さんは
昔から春雪の菓子が
大好物だったな。
凛がニヤニヤと美味しそうに
食べる姿は、
どことなく母さんに
似ているかもしれない。
俺たちの結婚は
一大ニュースになった。
式の引出物の一つには
当グループの誇る
紺青色の陶器に、
株式会社 春雪の
紅白梅の砂糖菓子を
入れて出した。
陶器は現代風に
ぽってりと丸く、
紅白梅は伝統的に
脈々と受け継がれてきた
そのものを。
これが限定商品として
売り出した即日完売し、
追加で販売したものの
生産がなかなか追いつかない。
凛のアイディアで作った
ボードゲームシリーズは
兄が開発のきっかけを
マスコミに喋ったものだから、
「縁結びグッズ」と
ゲーム以外の意味も持つようになり
また注文が殺到し、
これに乗じて売り出した
陶器の駒のキーホルダーまで品薄で
常軌を逸した
大騒ぎとなった。
全く兄は
ビジネスが上手い。
それでも、これを機に
若者の和食器離れや
和菓子離れに
少しでも歯止めがかかれば
こんなに嬉しいことは無い。
俺は当初
凛がこの馬鹿騒ぎに
巻き込まれることを嫌った。
結婚式も
凛が望むなら
2人きりで気軽に挙げたい。
式も披露宴も
凛が望むままにしてやりたい。
噂の渦中に入れて
苦しい思いをさせるのは嫌だ。
そう思っていた。
しかし、
野々宮グループの会長の次男で
ホールディングの社長の弟、更に
その本部長となってしまった今、
簡単にそうはいかない。
マスコミの取材も
ビジネス関係以外は断ったが
それでも少なくなかった。
心配したが、
凛はこういったことに
慣れていた。
嫌悪する古狸どもにも
俺が出来ない技で
俺よりずっと上手に
愛想よく接した。
式や披露宴も
伝統の格式高い和装婚を
自ら望んでくれた。
幼少期より
この社会に馴染んでいたんだろう。
大切に育てられた凛だ。
実家のために、という
想いもあるのかもしれない。
とにかく全く
頭が下がる。
一つだけ、
凛が強く望んだために
式の受付に絵を掲げた。
色彩のみの
抽象画なのに
幸福な印象しか受けない。
全くアイツは天才だ。
「凛ちゃんに頼まれた
海斗のイメージの青色は、こんな感じ。
凛ちゃんはこっち。
春の印象ね。
どこか、背筋が伸びて
いるように見えるでしょう」
感極まった凛が
キョーコに抱きついた。
「キョーコさん!ありがとう!」
「良かったわ、凛ちゃん。
一時はハラハラしたけれど
心の声を聴いたのね」
「おい、離れろ」
無理やり凛を引き剥がす。
「嫌ね、海斗。
男の嫉妬は醜いわ」
キョーコの絵は
俺たちの式をきっかけに
話題になった。
式の参列者のうち
各界の重鎮である目利きたちが
キョーコの絵をいたく気に入り、
注文が急増したそうだ。
暫くしてキョーコから
携帯にメッセージが来た。
「アンタのせいで
忙しくなったわ。
グラスゴーで個展を
やることになったから
しばらくそっちに滞在するのよ。
お肌が老化したら
どうしてくれるの。
覚えておきなさいね」
その絵は今、
新居のリビングに
飾ってある。
「拓実、そこはもっと
攻めた方がいんじゃね?」
「いや、のんさんの性格なら
これが最適だよ」
「そういうもん?
あたしは拓実ほど頭良くないから
わっかんね」
「いいなぁ〜、のん
カップルが2組もいるんだもん、
ダーリンが恋しくなっちゃう!」
結婚してから
シェアハウスに凛と遊びに行った。
リビングではのぞみが拓実と
俺が開発した
ボードゲームをしていた。
拓実の隣には
気の強そうな
目の釣り上がった女性が
寄り添って
いろいろと助言している。
俺が出て行った後の同居人で
拓実と恋仲になったらしい。
側から見ても分かるほど
幸せそうだ。
拓実もちょうど年ごろだ。
この時期にいろんな相手と
経験しておいた方が......
なんて、凛には決して言えない。
とにかく
拓実が凛を引きずっていないようで
安堵した。
俺は、
このシェアハウスで
凛に出会えなかったら
どうなっていたんだろう。
兄の紹介した女性と
結婚していたんだろうか。
凛は結局は
家のお眼鏡に
ぴったり合う女性だったが、
俺の意志は家に、血筋に
無意識のうちに
引き摺られていたんだろうか。
対戦を見ながら
ボンヤリとそんなことを
考えていると、
凛が俺の手に
白い手を重ねて来る。
そうだ、
そんなことはどうでもいい。
見合いや恋愛だとか、
家柄だとか、
大した問題じゃない。
凛の手の甲に
キスをして、こう思う。
俺は俺を選んでくれて
今近くにいてくれる
縁あった愛する凛を大切にしながら
幸せな家庭を築いていくだけだ。
(完)
前回の話はこちら↓
始めはこちら↓
_____________________
長きに渡り
お読み頂いて
ありがとうございました。
少女漫画みたいに
皆ハッピーエンドになって
しまいました😅
読みにくい部分も
多々あったと思いますが、
お付き合い下さって
とても嬉しいです。
私はちょうど凛と同じ頃
寮で生活していました。
そこには
狭いキッチンとリビングが
ありました。
殺風景な部屋でしたが
仕事が終わると何とは無しに
皆そこに集まって、
いろいろな話に花を咲かせるのが
常でした。
男女関係の甘い部分も
かなりのいざこざもありましたが、
私の大切な青春時代です。
シェアハウスもこんな感じかな
と思って書きました。
現代の若者は
恋愛離れ、なんて言いますが
いろいろな世界に身を置いて
経験を重ねていって欲しいと
思います。
こんなに長い小説もどきを
書いたのは初めてでしたが、
スキやコメントを下さって
とても励まされました。
本当にありがとうございました。