見出し画像

【創作】アダージョ 高校生編 第12話(最終話)




弾き終わると思わず畳に倒れ込み、放心して板張りの天井を見上げた。父さんはいつの間にかいなくなっている。



「奏真、大晴みたい」


翠が笑って近づいて来た。


「ああ、大晴は、すぐ転がるからね」


穏やかな気分で俺は言った。


「翠、箏って、いいな」


翠は仰向けになったままの俺の隣に座った。



「俺、父さんに無理やり連れて来られて、しかも『龍歌』の二箏だろ。だから、なんだこの親って思ったけど、すっきりした」


「うん。優先生ね、前に『龍歌』の二箏はストレス解消の最たるものだ、って言ってたから」



手を伸ばして翠の髪に触れる。



「そっか。俺、格好悪いな。いつまでも親に助けられて」


「まだ未成年なんだから、いいんじゃない。たっぷり頼っていれば」


翠の髪をいじりながら、堂々と言って微笑んだ顔を見つめて、思ったことを口に出す。


「翠は、強くなったね」


「うん。私、独りで頑張るの、やめたの」


「そっか。それはいいね。強くなって、ますます可愛くなった」

髪を俺の指にくるくる巻いて遊ぶ。翠の髪はまっすぐだから、すぐにするりと指から逃げてしまう。


「本当?胸ないけどね」


「またそれ?無くないよ。今すぐにでも触りたい」


「このヘンタイ」

時が随分とゆっくり、穏やかに流れている気がする。この時間がいつまでも続けばいいのに。俺は翠をずっと見つめていた。



「奏真、前に中里さんが、大人だってスーパーマンじゃない、って言ってたじゃない?」



「ああ、困った時は助けてって言えばいい、ってやつ?あれは、心に響いたな」



「うん。私ね、どこでもそうだと思うの」



「どこでも?」

俺はしつこく翠の髪をくるくる巻いている。巻いては逃げるのが面白くて、何度も繰り返していた。



「うん。留学する訳じゃない私にこんなこと言う資格はないけれど、奏真がイギリスに行ったら、外国人なんだから困るのは当たり前でしょう。だから、相手が日本人じゃなくてもただ、助けてって言えばいいんだと思うの。完璧に準備して行かなくても」



「そっか。そうだね。本当にそうだ」

髪を巻く手を止めて、毛先を指先で撫ぜながら言った。



「俺、そういう大事なことを、忘れていた気がする」

「忙しくなると、忘れちゃうんだろうね、人間って」

俺たちは暫く、何も話さないでいた。この静かな時間が、目が潤むほど気持ちいい。



「ねえ奏真、頑張るのと休むののバランスを取るのって、難しいね」



「激しく同意する。だけどきっと、すごく大切なことだ。お互い忘れないようにしよう」



「そうだね」



俺は身体をはね起こして、翠にキスをしようと肩に手をかけた。

「翠、好きだよ」

「あ」



「ジュニア貴様!留学の助言をしてやってくれと言われたから来てみれば、何をやっているのかな」

突然、入り口から聞こえたハスキーな声が、ガラガラとムードをぶち壊した。



「うわっ、晃輝先生!このお約束、一体何回目ですか!」




晃輝先生は大股で近寄り、慌てた俺の頭を丸めた何かのパンフレットでバシンと叩く。


「そんなんだから親に心配をかけるんだ。大体イギリスの留学は、語学は1年みっちりファウンデーションコースで学べるはずだ。君は高校の成績も良いのに、たかが英語圏の留学程度で肩に力を入れすぎだ」


「それを今、翠と話していたんです」

俺は髪を直しながら弁解した。


「ほう?俺には不埒なことをしているようにしか見えなかったがな?とにかく俺と一緒に来い。一から鍛え直してやる」

「えぇ、そんな!翠!」

翠に助け舟を求めると、翠が答えるより早く晃輝先生が話を振った。

「翠、今日は翠の好きなラザニアを作るとお母さんが言っていたぞ。帰って手伝ってやれ」

「わー、やったあ。ラザニア!帰らなきゃ!」

翠はすっかり上機嫌になって、いそいそと帰り支度を始めてしまった。

「ちょっと待って翠!俺よりラザニアの方がいいのかよ!」

「ラザニアく〜ん♬待っててね〜♡」

翠はもうラザニアのことで頭がいっぱいで、俺など見えていないようだ。

「どうやらラザニアは男のようだな。完敗だなあ、奏真」



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「優先生、マジでアーロンには気をつけた方がいいっすよ」

「大晴までそんなことを言うのか。あれは西洋人なりのコミュニケーションだ」

「違うから!」
「違うって!」
「山田君の目は節穴か!」

何人もの声が重なった。

「てか優、その歳でまだ男に追いかけられてんの。マジうけんだけど」

「酷いな香織ちゃん。俺がいつ男に追いかけられたって」

「気づいてねえのかよ、優成。お前大学んときも酷かっただろ。俺が牽制かけなきゃ食われてたぞ。体格いい奴ばかりに狙われるから、俺、大変だったんだ」

「それって、やっ……」
「体格いいって、俺みたいな?」

「旭はもっと大きくなるだろ。晃輝先生みたいな奴だ」

「あの、わ……」
「俺は凪一筋だ」

「ん、何か言った?一華」
「俺最近、筋肉すごいんだよ。触ってみる?由乃」

「おー相変わらずアツいねえ、お二人さん」
「本当だ、すごい!カッチカチ」
「私も、優成の大学の話、聞きたい」
「私も結構筋肉あるよ」

「もちろん一華ちゃん。あとでたっぷり教えてあげる。あの柔道部の主将は、完璧優のストーカーだったよ」
「マジか杏。俺より強くなんないでくれよ」



「翠……これ……何の団体?」

奏真が呆れたような不安を感じているような顔で私に聞いた。

「んー?留学する奏真を見送る名目で、この後行くイタリアンを楽しむ団体」

「イタリアン?」

「そう!成田にあるの!あのね、ラザニアも美味しいんだって!」

「またラザニア君か。もしかしてこの日を待ち望んでいたりしない?」

「いえいえ、とんでもない!」

奏真はぎゃあぎゃあ騒ぐ団体を尻目に、ため息をついた。

「もっとロマンチックな別れを想像していたんだけど、みんな楽しそうだな」

「ううん、本当は寂しがってるよ。お母さんがお別れ横断幕を作ろうとしたんだけどね、めんどくさいからやめたって」

「横断幕は恥ずかしいからいらないけど、メンドクサイって何だよ……」


奏真は空港で一人ひとりと抱き合ってお別れを言った。

「そろそろ時間だな、奏真」

「気をつけてね」

「うん、父さん母さん、本当にありがとう」

「さ、行こ。晃輝さん」

「ちょっと待て凪。翠と奏真を2人にするな」

「何言ってんすか。こんな時くらい2人きりにさせてやんなきゃダメっすよ」

「杏まで何をする!放せ!ジュニアは危険人物だ!翠に近づけるな!」

「俺の息子を危険人物呼ばわりしないで下さい」

大騒ぎしているお父さんは、普段は無敵だけど、人数には勝てないようだ。無理やり遠方に引きずられていった。


「奏真、本当に、気をつけてね」


とうとうこの時間が来てしまった。留学のことを聞いてから、奏真と一緒にいられる一分一秒を大事にしてきたつもりなのに、時間は一夜の夢のように瞬く間に私の手からすり抜けて行ってしまう。


「ありがとう翠。着いたらすぐ連絡する。俺、川崎流YouTubeのバイトもして、お金を貯めてすぐ帰って来るから」

「三尺箏、送ったんだっけ。ストレス解消にもなるね。だけど、あまり頑張りすぎないでね」

「ん。翠は大学も特待生で親孝行者だけど、俺は親の脛かじりだから、できる範囲でやるよ」

奏真は私の手を取って、じっと眼を見つめた。

「翠、浮気しないで」

「それはこっちの台詞だよ」

「どうかな。ラザニアを奢られてもついて行ったらダメだ……今、目が泳いだね?」

ボワンと熱々のラザニアを想像してしまったのを見透かすように、奏真は非難めいたことを言う。

「……気のせいだよ」

「ザッハトルテでも?」

「ザッハトルテは日本にないんだよ」

2人で見つめ合って笑った。

「翠、抱きしめてもいい?」

「いいけど、お父さんが睨んでるよ」

「捕獲されてるから平気だろ」

私たちが抱き合うと、後方がやかましくなった。ハスキーな声が必死に何か騒いでいる。

「お互い無理のないように、頑張ろう」

「うん。ありがとう奏真。身体に気をつけて、ちゃんと食べてね」

「何だか母さんみたいだな。だけど翠のためにも、気をつけるよ」

「うん、そうして」

奏真は関係者のギャラリーに背を向けて死角を作り、ゆっくりと私にキスをした。

「じゃあ、翠。行ってきます」

「行ってらっしゃい。またね」

「うん、また」



「奏真!」

奏真の手が私の手から離れて、歩き始めたのを少しは見送っていたけれど、いよいよ姿が見えなくなる直前、耐えられなくなって叫んだ。

「大好きだよ!」

「俺も!」

空港で最後に見た奏真の顔は、とびきり素敵な笑顔だった。見えなくなった奏真の進んだ道をずっと見つめ続けていると、後ろから優しい声がした。


「全くジュニアは、翠を泣かせてばかりだな」


私はほほ笑んだつもりだけど、両方の頬に涙が幾度も伝い続けている。お父さんは柔らかく私を抱きしめてくれた。

「こういう時、ドラマの主人公なら泣くのを我慢出来るのかな」

「別に泣くのは悪いことじゃない。泣きたくない奴だけ我慢すればいい。それだけの話だ」

「そっか」

「やれやれ、成長も恋もアダージョでいいと言ったのに、翠はアレグロだな」

「アレグロだと嫌?」

「嫌というより、寂しいな。だがそれも親なら当然だ。子どもの成長はいつだって、嬉しくも寂しくもあるものだよ」

「私、でも川崎流にいる限り、お父さんの近くにいる」

「そうか、俺は贅沢だな。だが翠の人生だ。俺に構わずに自分が最善だと思う道を行きなさい」

「僕の前に道はない?」

「ああ、先代がよく言っているな。そうだ。先代にも、誰に何を言われても、自分の信じた道を行くんだ。そうすれば、翠の後ろに道は出来る」



私はもう一度、さっき奏真が通った動線に目を向けてから、お父さんと一緒に皆の待つ方に進んで行った。



(完)



ヘリオスシリーズ、これにておしまいです。
本当に長い間、ありがとうございました!


前回のお話はこちら。


高校生編 第1話はこちら。


ヘリオスはこちらから。
凪×晃輝×優成の三角関係です。


ヘリオス外伝はこちらから。
恋を失くした優成の話です。


翠と奏真の中学生時代はこちらから。


いいなと思ったら応援しよう!

みおいち@着物で日本語教師のワーママ
ありがとうございます!頂いたサポートは美しい日本語啓蒙活動の原動力(くまか薔薇か落雁)に使うかも?しれません。