【創作】ヘリオス 第2部 第12話(最終話)
「川崎流の恥だ!」
「引っ込め!」
お箏が弾けない。舞台上で必死に弾いていても、情けない音しか出ない。演奏能力がまた、なくなってしまった。皆が嫌悪に満ちた顔をしている。足が急に落ちて、お腹がふっと持ち上がる。
「凪」
晃輝さんの背中が見える。振り返って、さようなら、凪、と告げられる。もう君には用はない、と。
「凪」
声が聞こえる。幻滅したよ、と。
「凪」
肩を揺さぶられて気づくと、LEDのライトで明るい部屋の中、目の前に心配そうな晃輝さんがいた。さっきの冷たい台詞を思い出して、思わず身を離してしまう。
「......ごめんな」
引き寄せられ、抱きしめられた力の強さに、夢を見ていたんだと気づく。晃輝さんは泣きそうな声で謝った。一瞬、晃輝さんに、恐怖と絶望の表情を載せた顔を見せてしまったのかもしれない。
抱かれた後で、少し眠っていてしまったみたいだ。夢で泣いていたつもりが、本当に涙が出ていた。不快な冷や汗が出ていて、震えが止まらない。
晃輝さんは私が落ち着くまで、抱きしめていてくれた。
「凪、こういう悪夢は、よく見るのか」
「......うん」
「俺が戻ってからも?」
「......うん」
そこでまたぎゅっと私を抱きしめる。
「本当にごめんな、凪。ここまで凪の心に傷をつけることを、考えるべきだった。山田君の言うように、結果だけを見るべきじゃなかった」
「晃輝さんが悪いんじゃないの。晃輝さんがいなくならなかったら、私の演奏能力は戻らなかったかもしれないし。......ただ、上手く消化出来なくて」
暫く私たちは抱き合ったままでいた。
「凪。結婚を早めよう」
「え?」
「俺は毎日凪の側にいたい。凪がこんな風に悪夢を見ても、すぐに起こして安心させたい。君を傷つけてしまった俺を、凪が心の底から信用出来るようにしたい。いつも側にいて、不安にさせないようにしたい。その苦しみを消して、幸せな想いで満たしたいんだ」
晃輝さんがまた挨拶に来たのは、少し肌寒い日だった。鈴は本気で怒っていた。
「あたしはうるとらすうぱあ君がお兄ちゃんになるなんて、絶対嫌だからね!」
「......何だか3流のスーパーみたいだな......」
「鈴、その変な呼び方はやめなさい」
家元が言うも、鈴は完璧に無視している。
「すうぱあ君、お姉ちゃんをどれだけ泣かせたと思ってんの。あたし、お姉ちゃんがゾンビみたいになっちゃったから、隣の部屋で首をくくって死ぬんじゃないかと思って、気が気じゃなくて夜も眠れなかったんだから!」
「そうだな。鈴ちゃんにも迷惑をかけたな。本当に、悪かった」
晃輝さんは頭を下げた。
「あら鈴、元はと言えばお父さんがけしかけたことよ。晃輝さんは悪くないわ」
お母さんが間を取り持ってくれる。
鈴は事態を把握してからずっと、家元を無視して話もしない。家元はしょんぼりと小さくなっている。
「だけど泣かせたのはすうぱあ君じゃん!だいたいお姉ちゃんも趣味が悪いよ!最初からキラキラ君にしておけば良かったのに。キラキラ君だったら泣かせるようなことしなかったよ!」
「......鈴、晃輝さんの地雷を土足で踏まないで......」
この人尊大に見えて、実は自己肯定感低いのよ......。
「あら、お母さんも山田君もいいなと思ったのよ。だけど、山田君と一緒にいても、凪は目がハートにならないのよね」
「お姉ちゃん、本当おかしいよ。キラキラ君、もう何年も前からお姉ちゃんにバシバシハートマーク飛ばしまくってたのに、全然気づかないんだもん」
鈴はそう言って腕を組んだ。
「キラキラ君もキラキラ君だよね。さっさとお姉ちゃんを食べちゃってれば、お姉ちゃんもお見合いなんてしなかったのに。そうしたらまた、あたしにも、めっちゃイケてるTシャツ買ってくれたかもしれないのに」
「鈴、お願いだからこれ以上、優成くんの話をしないで.....私も晃輝さんも、傷口が広がるから......」
「えーだって、あのTシャツ最高にイケてたよ」
鈴はそう言って口を尖らせる。
「そう言えば、俺も鈴ちゃんにプレゼントを持って来たよ」
晃輝さんがバッグの中から何やら取り出した。
「えっ、なになに?」
途端に鈴の顔が綻ぶ。現金なんだから。
「開けてご覧」
それは高級老舗陶器ブランドのパッケージだった。
「晃輝さん、まさか......」
でも、ブランド名が入っていない。確かに野々宮の青い箱なのに。
鈴が喜び勇んで箱から出したものは、ギラリと光る目をしたガイコツの頭にヌンチャクがついている、陶器のジュエリーケースだった。
「うっわ、めっちゃクールじゃん‼︎ありがとうすうぱあ君‼︎あたし、お兄ちゃんって呼んであげてもいいよ‼︎」
晃輝さんは私を見て、お菓子で子どもを釣って誘拐した犯人のように笑った。
「良かった、ギリギリ間に合った。やはり持つべきものは友だな」
これは、野々宮さん怒ってるんじゃ......。
「うう、鈴。お父さんもガイコツを買ってやるから、お父さんとも話をしておくれ......」
「凪さん、悪いことは言わない。今すぐコイツとの婚約を解消した方がいい」
玄関口で会うなり、野々宮さんは冷たい顔で表情を崩さずに私に言った。
「待て待て海斗!それ冗談にならないからやめろ」
「変な特注をして俺を困らせたのは誰だ。ラッコはともかくガイコツの頭上にヌンチャクとか、ブランド名は消しておいたが野々宮の威信に傷がつくものを超特急で作らされて、俺がどれだけ苦労したと思っているんだ」
「本当にすみませんでした、野々宮さん」
私が頭を下げると、無表情で脅された。
「晃輝と結婚したら、毎回方々に頭を下げて回ることになりますよ」
そこへ奥様の凛さんが大きなお腹を抱えて出てきて、にこにこしながら言った。
「でもね、海斗さん実は面白い注文に、楽しそうにしていたんですよ。こんなところで立ち話してないで、どうぞ入ってください」
今日は野々宮さんの家に呼ばれた、というより謝りに来た。リビングに大きな温かみのある抽象画が飾ってある、居心地の良い部屋だ。
「本当に悪かったよ、海斗。でもお前のおかげでようやく婚約がまとまったんだ。パーティーではお前の好きな曲を幾らでも演奏するから」
野々宮さんといると、晃輝さんが子どもに見える。仲が良いんだな。
「晃輝の演奏は毎度のことだろう。特別感が無い」
「でも、社員さんに東雲さんの演奏が好きな人は多いよ」
「コイツの演奏はエロいからな。それでも凛のお祝いだし、花が欲しい。......凪さんにも演奏してもらおうか」
「赤ちゃん誕生パーティーですか。私で良ければ、喜んで」
「いいんですか?私、凪さんの大ファンなんです!」
途端に凛さんがお腹をさすりながら、嬉しそうにする。
「私は嬉しいです。......優成くんも連れて来た方が良いですか」
優成くんの名前に、晃輝さんがピクリと反応する。
「え?山田優成さんですか?」
凛さんの意外な反応に少し驚く。
「はい。私のファンと仰る方は、実は優成くんのファンだったりするので」
晃輝さんがふーっと息をつく。
「凪は自己肯定感が低いからな」
「お前が言うな」
「晃輝さんに言われたくないよ」
野々宮さんと私の声が重なった。
「あの私、山田さんの演奏も好きですけど、それより凪さんの方が好きです。山田さんの演奏は、何と言うか、強い巨木に咲いた優しい桜色、のようなんですが、凪さんの演奏は、人間離れしたような、神がかったような、涼しげな感じの透明な青で、それで」
「つまり、俺みたいだと」
野々宮さんが話を続ける。
「そうなんです」
白い肌が赤くなった凛さんの頬に、野々宮さんがキスをする。
「最近はそこに色気が入って、荒々しさとか人間味、みたいなものも混じって、それで」
「だから、俺みたいだと」
「そうなんです」
また野々宮さんが凛さんにキスをする。何だか赤面してしまうほど仲良しだな、この2人。
「素敵なご夫婦だったね」
「ああ......凛さんは海斗が略奪したんだそうだ」
「り、略奪?」
「正確に言うと、恋人がいた凛さんが、恋人より海斗を選んだ。......恋愛なんてのは本当に、信用ならないな」
赤に変わった信号に車を止めて、晃輝さんが話す。週末の道は混んでいて、なかなか進まない。
「だけど凪、俺はこんな不確かなものでも、大切にすると誓う。嫉妬で気が狂いそうにさせられる君の弟子に、大事なことを教わった」
「優成くんはもう弟子じゃないよ」
「それでも凪の家に来るだろう」
ハンドル上にある、むくれた晃輝さんの手にそっと手を置く。バングルが街灯に照らされて優しい光を放っている。
YouTubeは昴くんと優成くんに任せて再開した。昴くんの演奏はダイナミックで男らしく、優しい印象の優成くんと合奏すると、お互いの足りない点をカバーし合って格好良く決まる。
それに、昴くんは話が面白いので、親友の優成くんとの絡みが受けが良く、新規の若いお客様を呼んでいる。
「俺たち、川崎流公認!BLカップルです!」
YouTubeで、昴くんが優成くんに後ろから抱きつきながらあいさつした。
「何言ってんだ昴!全世界に変な発信するな!」
「嫌だな優成、昨日は俺の下であんなに喘いでいた癖に」
「根も葉もない嘘をつくな!」
これは、昴くんの方が一枚上手だな。優成くんは完全に素で怒っている。それが視聴者に受けるって、分かってるんだろうな。
またコメント欄が盛り上がっている。一部?そういう好みの視聴者が激増しているようだ。演奏会のMCも、昴くんと優成くんにお願いしよう。
信号が青に変わり、車が動き出す。日暮れの早い夕方は、東京の街が車内からでも綺麗に見える。
「俺は彼に会えて良かったと思っている。俺が持ち合わせていなかった価値観に気づけた。山田君には本当に、感謝している。彼を幻滅させないようにも、凪を大切にするよ」
「私も、晃輝さんを一生、幸せにするように努力するね」
そう言うと晃輝さんは太陽のように笑った。
「そうだな、俺をいつも幸せにしてくれていたのは凪だった。頑張らなくてもいい。問題が起きたら、2人で力を出し合って解決しよう。そうやって、自然体でいよう」
渋滞で止まった隙に、私たちは短いキスをした。
「そうと決まれば、新しい契約書を作らなければな」
「えぇ?またそれ?」
「勿論。契約は結婚に必要な最たるものだ。今度は一生、離れない内容に文面を熟考する必要があるな」
そう言って晃輝さんは、さも嬉しそうに、黒く不敵な笑みを浮かべた。やっと私の元に戻って来てくれたヘリオスは、やっぱりイタリアのマフィアのようだった。
(完)
長い話を最後までお読みくださって、本当にありがとうございました。
皆さまのスキとコメントのおかげで、何とか書き上げることが出来ました。
前回のお話はこちら。
第1話はこちら。