ヘリオス 外伝 第10話
ピラニアのような目をした報道陣の前で、俺は続ける。
「私は、この会見で知人にさえも言うことが憚られるようなプライバシーに関わることを、包み隠さず話すつもりです。ですからどうか、今後私や川崎流に関係する全ての方に、張り込みやインタビュー、撮影などについての過度な行動を慎んでは頂けないでしょうか」
「またそうやって自分だけを生贄にして、収めようとするな」
川崎さんは俺の方に身体を向け、今度はマイクを通して低い声で待ったをかけた。それから体勢を直し、報道陣に諭すように続ける。
「皆さんも人の子なら分かるでしょう。自分の叶わなかった恋を、世間に晒すことがどれだけ辛いか。ましてや彼は芸事の道に足を入れてはいても、一般的な会社員です。どうかこれ以上、私の掛け替えのない友人を傷つけることは、止めにして頂きたい。
真実は、山田君と岸さんは恋人同士で、私と凪の夫婦関係は円満だということで、それで良いじゃないですか」
凪先生が川崎さんに次いでマイクを取る。
「誰にだってあるでしょう?誰かを好きになって、失恋して苦しくて、でも次の人とご縁が出来た。それは人に隠しておきたいこともあるでしょう?こんなにたくさんの報道陣の方々の前で、『どうやって振られたか』なんて言わなくてはいけないほど、人権がない訳じゃないでしょう?」
凛と姿勢を伸ばしたままで、明確に伝えながら涙を流していた。川崎さんが今にも凪先生を抱きしめそうな顔で見ている。俺は、この恩師を泣かせてばかりだな。だけどこの方が、きっと長い目で見れば丸く収まるんだ。
2人の発言の影響で質問の嵐が止んだような気がする。そんな中1人が手を挙げた。若い女性の記者だった。
「山田優成さんにお聞きします。今していらっしゃるそのネックレスは、ennuiのペアネックレスですよね?もしかして岸さんとお揃いですか?」
ああ、これか。よく見てるな。確か一華はこうやって、ネックレスに指をかけて前に引き出し、俺に見せた。真似して俺もやってみる。
「はい、クリスマスに貰いました」
そうやって笑う。またフラッシュの攻撃が来た。
一華、本当に俺の想いは、君だけにあるんだよ。この会見を見ている全ての人を証人にしてでも、君に伝えたいんだ。
「こんなことになるなら君たちを先に、本家に匿っておくんだったな」
川崎さんが電話口でぼやく。
「ここは部屋も余っているし庭も広い。外に出なくても大して問題じゃない。考えが及ばなかった」
俺たちの会見の後、あんなに会見で懇願した俺の話などまるで無かったかのように、報道陣の張り込みは続いた。俺のマンションの周りに、夜中まで酷い数だ。SNSで簡単に拡散出来る時代だからか、一般人のような奴らも大勢いる。
川崎さんは夜中に車を寄越すと言ってくれたけど、これでは一華がもみくちゃにされるほどなので時期を見送った。マスコミはまだ弁えてはいても、一般人の集団が危ない。暇な奴らだ。
「何か出来ることがあったら、どんな小さな事でも良いから俺に言ってくれ。君たちが心配だ」
「俺も川崎さんも、状況は同じでしょう」
「俺も凪も小さい頃から騒がれ慣れている。それに本家にいるからまるで違う。動いてくれる人もたくさんいる。だから何でもいい、すぐに連絡をくれ。いいね」
この人は本物のお人好しだな。
俺は在宅勤務を余儀なくされたが、仕事が出来る分まだ良い方だ。一華は当面自宅待機を命じられた。一華の勤務先にも報道陣が詰めかけているんだそうだ。全く、血も涙もない。
「えー、今では誰もがYouTubeなどで有名になれる時代ですので、有名人と一般人の区別が曖昧になっていますよね。更にこの2人は副業としてお箏やモデルをやっている訳ですが、副業というのも珍しくなくなった。そんな中、まさに時代の寵児による事件と言っても良いでしょう」
TVのおっさんが解説している。事件って何だ、俺たちは何もしていない。他に際立った事件がなかったことも災いして、俺たちの話はニュースで大きく取り上げられた。会見の評価は概ね良くても、厳しいものも当然あった。「見るに耐えない茶番」だの「売名行為だ。顔で売るな」だの、心無い反応も多く見られた。当初から全員を味方にしようなんて更々考えていなかったが、一華に聞かせて心配させたくない。
「優成、会見マジカッコよかったぜ。勇気が要っただろ。惚れ直したわ」
井口さんからは一華を通して電話を貰った。
「写真集の話が何処かから漏れたせいかもしれない。悪かったな」
「井口さんのせいじゃありません。むしろお騒がせして申し訳ありませんでした」
写真撮影は延期になっている。井口さんはSNSで俺たちを庇う投稿をしてくれた。
「優成、見て」
「住人が増えたね。上手だな」
俺は一華に差し出されたクリーム色のくまのぬいぐるみを抱えて眺めた。首元に青いリボンがついている。俺は仕事で気を紛らわせても、一華はマンションに閉じ込められて辛いだろう。手の込んだ料理を作ったり、通販で買ったぬいぐるみキットを作ったりして過ごしていた。俺を心配させないように努めて明るく過ごしてくれているが、不安なことに変わりはないはずだ。全くこの状況を、何とか打開したい。
俺の顔を読んで、一華が抱きついて来た。
「優成、私ね、引き篭もりも結構楽しいの。いつも優成と一緒にいられて、とても幸せ。だから、そんな顔しないで」
俺が抱きしめ返すと、一華が動くたびにラベンダーの控えめな香りが感じられる。たまらなくなって一華にキスをする。もっと深くまで、一華を感じたい。
「一華、抱きたい」
「それは、ごめんね。もうちょっと我慢して」
辛いのは夜だ。毎日一華といて、一華を感じているのに、生理中の一華を抱くことが出来ない。何の拷問だ。
「優成、生きてるかー?」
金曜の夜、食事中に着信があった。無駄に大きい声が電話から聞こえる。繁忙期だったんだろうか、昴から連絡を貰うのは会見以来初めてだ。
会見後、昴はインタビューでTVに出ていた。家の周辺で待ち伏せされたんだろう。報道陣に囲まれつつ速足で歩き、怒りを露わにした顔でこう答えていた。
「俺の親友をこれ以上苦しめないで下さい。あんなに品行方正な奴はいませんよ。優成が一体何をしたって言うんですか。頼むから家や職場の周辺での張り込みをやめてください」
俺は昴に罪悪感で胸が詰まりそうになった。自然と声が固くなる。
「運動不足なだけで元気だよ。昴も大変だろう。迷惑かけて本当に悪かった」
「それは優成のせいじゃないだろう。全く報道陣の奴らは人間じゃないな。お前さ、新聞取ってるだろ。明日の新聞、絶対見ろよ」
「新聞がどうしたんだ」
「まあとにかく見てくれよ。絶対だぞ。あと俺が出来ることがあったら連絡くれよ。じゃあな!」
そこで忙しなく電話は切れた。
「昴君?」
「そう。忙しい奴だな。明日の新聞を見ろって」
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