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【創作】アダージョ 高校生編 第2話


稽古が終わり、重い漫画を持って大晴と磨き上げられた長い廊下を歩く。

「大晴、弁護士希望なの」

「バーカ。法律を学ぶ奴が皆、弁護士になるんじゃねえよ。俺さ、杏といろいろ話しているうちに、どうしても法律や契約の話が入ってくるだろ。それで、社会は法律で出来てるって気づいたんだ。すごくねえか、どこの世界でも、どんなに小さいことにも、法律が存在するんだ。だからそれをもっと専門的に、勉強してみたくなってさ」

「すごいな、もう将来を見据えてるんだ」

「見据えてるって程じゃねえよ。ただ、どんな会社に入っても、例えば川崎流でも、法律の知識って必要だろ。役にも立つし、興味があれば一番じゃん」

大晴は俺を見てニカっと笑った。何だろうこの大人の感じ。俺たちは立ち話をするために、廊下の端に寄って話を続けた。


「それは、杏のために?」

「それもある。杏はあんだけ綺麗だろ。今はまだ世界が狭いから俺の近くにいてくれるけど、大人に近づいて世界が広がるにつれて、いろんな人を知って、俺から離れちまうかもしんねえ。だからせめて、何かに熱心でいて、魅力的な部分を俺の中に作っておきたい」

真面目な顔で話す大晴を、俺は眩しいと思った。もし俺が大晴と同い年なら、時々感じるこの尊敬の念を、感じることはないんだろうか。それともこれは、大晴というひとりの人間に対するものだろうか。

「だけど、杏のためだけじゃねえよ。杏は確かにきっかけだけど、もし杏が離れても、法律の勉強は楽しいと思う」

「すごいな。俺は将来のことは、まだ何も分からないし、恋愛も未知でしかない」

そう言うと大晴はふっと笑って俺の頭をくしゃっと撫でた。こういうところは昴先生に良く似ている。

「お前は自分の心に鈍感すぎんだよ」

「どういう意味だ」

「自分で考えろ」

大晴は暫く苦笑して、それから言った。

「難しいよな、大人の自分なんか、今の俺にとって他人みたいに理解出来ないのに、そいつのために今、邁進しなきゃなんねえ。この道が正しいかなんて誰にも分かんねえし。だけど今出来ることを、今楽しめることをやるのが、いいんじゃねえかと思うんだ。それで後悔したとしてもさ、何か生きてきたって感じすんだろ」


そこに、前から西洋人と見られる大きな青年が大股でやって来た。

「タイセーさん and ソーマさん!はじめまして!私はアーロン・コラーです。私は、あなたたちが大好きです」

「あ、初めまして」

アーロンは大ぶりに俺たちと握手をした。ダークブロンドにグレーの瞳、輝くような笑顔。背の高い俺より更に高い身長のアーロンは、日本に来て間もないのか、まだ外国の空気を纏っている。

「これは夢です!私は国でカワサキ流を知りました。一番はユーセイさんです。He's extremely sexy!スイさんがニ番です。So cute!あなたたちも好きです!I love you,guys!箏が好きですから、留学しました。夢です!」

捲し立てるようにそう言うと、俺の袋から見えている漫画のタイトルが目に入ったようで、興奮し出した。

「Oh、ラブ♡きゅん♡です!ソーマさんは、ラブ♡きゅん♡が好きですか?それは、オーストリアでも、人気があります!」

「い、いやこれは、俺の趣味じゃなくて」

隣で大晴が口を抑えて下を向き、こっそり笑っている。

「シュミジャナクテ?......ソーマさん、アニメも見ましたか?私は、ジョージィが、大好きです。とても、可愛いです」

「アニメもあるんですね。俺じゃなくて、この漫画は翠が好きなんです」

俺は努めてゆっくり話した。その途端アーロンは目を輝かせて喜んだ。

「Ooh,スイさんが!How fantastic!ソーマさんは、コスプレをしますか?一緒に、コスプレをしましょう。ソーマさん、キャロルのコスプレはどうですか?ソーマさんも、キャロルも、可愛いです」

どうやら大晴の腹が壊れたようだ。転がって笑い、のたうちまわりながら手入れの行き届いた床を手でバンバン叩き始めた。

「Oh!タイセーさん、大丈夫ですか?」

俺は呆れて適当に返事した。さっき尊敬した俺がバカだった。

「こいつ、病気なんですよ」

「Oh,タイセーさん、私は思います。それは心の病気です。病院へ、行きましたか」



「アーロンに会ったのか。熱烈な抱擁の仕方だよな。オーストリア人は皆、あんなハグをするのかな」

父さんが夕食の時に微笑んだ。

「ハグ?俺、されなかったけど。握手だけだよ」

「そうか。じゃあ日本の文化に倣って日本的になったのかな」

「優成、その人、男の人?」

母さんの顔がキラキラし始めた。

「そう、20代の男子だ。何でまたそんな顔をしてるの一華。とにかくアーロンは、演奏会で凪先生の演奏を聴いてファンになってから毎回、川崎流のウィーンでの演奏会に通ったそうだ。浅草の日本語学校の留学生で、箏は先週から中島さんに習い始めた。いい筋をしているそうだよ。箏のために留学してくれるなんて、嬉しいね」

「......父さん、アーロンには気をつけて。父さんより背が高いだろ。力も強そうだし」

「何に気をつけるんだ。一華、食事中にケータイをいじるのはやめて」

「えー、でも凪ちゃんにLINEしたくって」

母さんはまだ、嬉しそうにしている。本当に秘密の花園が好きだな。

「......父さん、川崎流はウィーンでの演奏が多い気がするけど、晃輝先生の影響?」

「そうだね。以前も海外での演奏会は行っていたけど、オーストラリアやカナダ、台湾とか、親日の国が多かった。それをウィーンに人脈がある晃輝先生が広げたんだ。時々ドイツやスイスでもやるだろう。それも晃輝先生の学生時代の伝手だ」

「お兄ちゃん、お醤油取って」

由乃に醤油を手渡しながら父さんに話す。

「すごいね。ひとりの存在で川崎流が広がるなんて」

「その通り。特に音楽の国オーストリアに足場を作ってくれた功績は、計り知れない。音楽はこの国から世界に広がって行くからね。あの人の人脈には、いつも驚かされるよ」

「晃輝先生、イケメンだよね」

由乃がそう言った途端、父さんが心配そうな顔をする。

「由乃は晃輝先生みたいな人が好きなの?」

「うん。スーパーマンみたいでかっこいい」

由乃はサーモンの刺身を食べながら、女の顔をした。10歳でも女の子は、ちゃんと女だ。

「それは複雑だな。とにかく、俺がお母さんと会えたのも、元は晃輝先生が広告の仕事を紹介してくれたお陰だ。晃輝先生がいなかったら、俺はお母さんと逢えなくてこんな幸せじゃなかった」

そう言って父さんは、母さんを見て笑った。母さんは蕩けそうな顔で父さんを見つめている。

「お兄ちゃん、またスイッチ入っちゃったね」

「本当だね、由乃。しばらく放っておこう」

やれやれ、夕食の時に2人の世界に入らないでくれ。


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4月。今年も新しい春が来た。


私たちは晴れて高校生になった。と言ってもエスカレーター式だから、一応テストを受けるとは言え大半の同級生がそのまま進学し、50人が外部から新たに入って来る程度だ。同じ顔ぶれでも、この学校はちゃんと入学式をやってくれる。



「ねえ、あそこ見た?」


通りすがりの女子が黄色い声で騒いでいる。


「見た見た!生の山田優成さん、初めて見た!めっちゃイケメン!襲いたーい!」


「あんなパパだったら、鼻血出すぎて出血多量で死ぬ!」


「一華も超絶可愛いよね!スタイル、神レベル!あの2人がパパとママだなんて、信じらんない!」


2人は今日はProofreaderのフォーマルで揃え、まるでモデルのようだ......あっ、一華ちゃんは本当にモデルなんだった。




「おい、あそこ見たかよ」


通りすがりの男子が、怯えた低い声で話している。


「見た見た。川崎流はヤクザっていう噂、マジなんだろうな」


「背ぇ高けぇし、すげえ体格だよな。何人殺ってんだろ。顔が整ってるから余計こえーよ」


お父さんは今日、イタリア製のスーツにグラサンをかけてキメているんだけど、どう見てもマフィアとしか思えない。


「奥さんの方もさ、帯に龍入ってたぜ」


「2匹も入ってたな。あんな着物着こなせる人はヤクザの姐さんしかいねえよ」


「川崎流の娘を昔、いじめた女子が退学になって、一家全員、行方不明になったって話だぜ」


「マジか。海に沈められたのかな」

......。



「お母さん、何で入学式に龍?」


「素敵でしょ、翠!『龍歌』をイメージして買ったの!似合う?」


「似合うけど......何で似合うんだろう......」


お母さんは、年々ヤクザの姐さんみたいになって来る。


高校生。昔は随分と大人っぽく感じたけど、いざ自分がなってみると、不思議な感じ。中身は子どものまま、身体だけはそれなりに大人になって、それに引っ張られているのか本能か、男性の奏真を眼が探してしまう。

でも、こんなことは小等部6年生の頃から変わらない。私はこの不毛な気持ちを、いつまで抱えて行くのだろうか。あんなに輝いていて、自分に相応しくない人への想いを。箏に情熱を持って、全霊を込めて弾き続けていても、自分を好きになれないまま日々が過ぎていく。


最近は髪を綺麗にして眉を整え、淡い色のついたリップを塗るようにして、勉強も頑張っている。だけどこの隙間は埋められないような気がする。どうしたら自信が持てるんだろう。

偉い人は大抵、自分を好きになれないと人に好かれない、と言う。別の誰かは、自分を好きになるには何かを頑張ればいいと言った。もっと頑張れることがあるはずだ。お箏も、勉強も、人に優しくすることも、もっと、もっと、もっと。


疲れた時、唇に手をやる。奏真にキスをされたとき、嬉しくて眼が潤んだ。同時に、心のないキスが同じくらい悲しかった。だけどあのぬくもりを忘れないように、本当は何も、唇に触れたくない。食事も、何も。





続きはこちら。


前回のお話はこちら。


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みおいち@着物で日本語教師のワーママ
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