【企画参加】子育ては、周りを巻き込め!
John LennonのGodという
壮絶な歌を知っていますか。
この歌でJohnは、
ありとあらゆる神を否定していきます。
I don't believe in the Bible
I don't believe in Jesus
I don't believe in Buddha
尊敬していた、Elvisも。
I don't believe in Elvis
Beatlesでさえも。
I don't believe in Beatles
そして、こうしめます。
You'll just have to carry on
The dream is over
子育てをしていると、
この曲をよく思い出します。
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「人にされて嫌なことは
人にしないこと」
それがこんなに難しいことだと知ったのは
親になってからです。
アラベスクという漫画で
忘れられないシーンがあります。
カリンという美人ピアニストに
主人公のノンナが
友人の子どもが産まれた、という話をします。
するとカリンはこう言います。
「不気味ね」
もう漫画が手元にないのですが、
確かこういう理由でした。
自分の嫌だったところを引き継いだ
自分の子どもを見て
再度、自分の欠点をまざまざと
見せつけられ続けるから。
私は親になって
自分の子を見てこういう思いをするというよりは、
自分が子どもだった時に
母にされて嫌だったことをしてしまう、
それも母よりもずっと酷い程度で
してしまうこと、
それが止められないことに
嫌悪感を抱き続けています。
教師の親だったら
子どもを少しは上手に育てられると
思いますか?
いいえ、むしろ教職者でない親より
上手く出来ないことも多いと思います。
私が子どもの頃通った小学校は、
築地市場に店を営む親の子か
警察寮に住む警察の子が
ほとんどの割合を占めていました。
私も築地魚市場の子ですが、
魚市場の子というのは一般的に
やんちゃで気が強く
皆の前で殴り合いのけんかをするような
ジャイアン的な子が多かったのに対し、
警察官の子どもは
あくまで割合として、
隠れて人やお店の物を盗ったり、隠したり、
捨ててしまったり、
そういう陰湿なことをする子が
多かったので、
大人たちはよく
こう言っていました。
「警察官と教師の子どもに
まともな子は少ない」
何故か母が大嫌いだった職業の
教師になった私は、
このことばが自分には
少なくとも子育てを省みるとき
間違ってはいないような気もします。
「教師なんてずっと
同じことをやっていればよい」
なんて言われますが、
そんなことは全くありません。
教科書の使いまわしなんて
この10年で
基本的にほとんどできませんでした。
学習者の目的が、レベルが、
国籍が、性格が違うと
教え方を180度変えなければならないことは
当然です。
いつだって学生のことを考えています。
私が教えたクラスでは
私に褒められたことのない学生が
いないようにする。
この子は発言力がある。
この子は漢字がよく読める。
この子は文章力がある。
この子は敬語が上手。
この子は字がとてもきれいだ。
この子は素直。
この子は人に優しい。
この子は面白い。
この子は話がよく聞ける。
この子は…。
良い点が無い子なんていない。
長所を伸ばして、自信をつけてもらえば
就職面接でも社会人になってからでも
きっと大きな力になる。
頭をフル回転させています。
授業準備だって一人ひとりを思い浮かべながら
「この例文で分かるかな」
「この問題は簡単すぎるかな」
「これはWordに起こさないと
勉強しづらいな」など
ずっと考えています。
このひずみは、
仕事の後に来るのです。
子どもが1歳のとき
仕事をたくさん入れないと
保育園に入園できなかったので
無理にコマ数を多く入れていました。
90分授業を1日に4コマ連続。
45分授業だったら、1日に8コマ連続。
そんなことは過酷だからと
教師にやらせない学校も多いそうですが、
私にとって、これは今でも普通です。
うちのチビは酷く人見知りなのに
同時に恐ろしくやんちゃな子です。
足腰がじんじんと痛む状態で満員電車に乗り
やっとのことで保育園にお迎えに行くと、
特に2歳までの保育園では
保育士さんの小言を毎日
聞かされました。
今日はこんなに悪かった、
これもできなかった、
お話が聞けなかった、
お友だちとけんかした、って。
それで、私は
子どもに怒ってしまうのです。
2歳のイヤイヤ期の時は、
猛烈に酷かったです。私が。
仕事の疲れを
子どもに当てているつもりは、ないのです。
でも、それはたぶん
自覚がないだけで、実際は当てているのです。
私は通常は週6日で仕事しますが、
夏や春はまとまった休みが取れるので
そんなときになると分かります。
学期外のときは
ちょっとのやんちゃでも
大目に見れる自分がいるのです。
私は母の
機嫌が悪い時に怒鳴るところが、
そしていつも言っていることに
筋が通っていないところが、
恐ろしくて、嫌いでした。
昨日は白で叱られたのに
今日は黒で叱られる。
赤でも黄色でも叱られる。
それなのに、機嫌が良い時は
何も言ってこない。
でもそれと同じことを
自分が子どもにしています。
もっともっと頻回に、よりねちねちと。
そうやってこの子が
私よりもっと悪い大人に
なったらどうしよう、って悩むのに
理性で止められないことが多いので
また後悔します。
私は子どもを産むまで
決して頻繁に怒る人間では
なかったのに!
私なりの子育てへの倫理は
もっと子どもが小さいときは
持っていました。
だけど、今は何もないような気がします。
大したことは何も、
出来ていないのです。
むしろ
後悔して泣き叫びたくなるような
ことばかりです。
例えばテレビをあまり見せないのは
自分がテレビを見ない人間なので
無意識にやっていることで、
例えば図書館の本を毎週20冊以上
借りて来て読み聞かせするのは
自分が本が好きだから。
それにダンナが毎週図書館へ
行くのが習慣だから。
これも無意識です。
博物館やコンサートにつれて行くこと、
これも自分が行きたいからで、
自然環境に身を置かせること、
これはダンナの得意分野だからです。
子どもが3歳ごろから子育てに関する本は
読んでいません。何も。
Johnが大好きなこと、
大切に思っていることを
I don't believe~で打ち消した
その心境です。
脳トレ、〇〇式、〇〇的教育…
あれやれ、これやれ!
要らない!聞きたくない!
小学生の時に同級生だった
警察官の子、Mちゃんは
お店でも学校でも
物を盗る子だった一方、
ぱっと見の大人からの評判は
大変良かったのですが、
それはきっと私みたいに
親が育てたからなんじゃないでしょうか。
警察官としてのストレスを
子どもに当て続けた結果
出来上がった性質なのではないでしょうか。
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今日は朝からメニエール病が酷くて
朝食後、少し横になって
休んでいました。
今は問題ありませんが
季節の変わり目の雨の日は
病気が出やすいですね。
するとすぐにチビが来て
大きいくまと小さいくまとペンギンを
貸してくれました。
この優しさは
どこから来たのでしょうか。
少なくとも私からでは
ない気がします。
産まれ持っての
子どもとしての気質でしょうか。
私にとって
この子が健全に成長するために
できることは、
特に忙しくて自分の感情を
コントロールできないときは、
あまりに私に近い距離に
この子を連れてこないこと、
かもしれません。
それは決して
絶望的な意味ではなくて、
たくさんの社会に身を置くことで
様々な人間がいることを知り
そこから学んでいく、という意味で。
ママだけが、そう、
意味の分からない怒り方をする
ママだけが、
あなたの全てじゃないんだよ、って
分かってもらう意味で。
ストレスの多いワーママにとって
自分「だけ」で何かをするというより、
あえて距離を置いて
社会に頼る。
保育園、プール、ピアノの先生、
ダンナ、おじいちゃん、おばあちゃん、
親戚、近所の人、ママ友パパ友。
大人になったときに
「ママ」に何かしてもらったという
幸せな記憶は薄かったとしても、
こういうやり方も現代においては
良いのかもしれません。
一人の力なんて
たくさんの人の力には
到底及びませんもの、ね。
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この記事はNorikoさんの
こちら↓の記事を拝見して、
(こんな風に子育てしたいです✨)
こちら↓の企画に応募したものです。
あら~
すごい暗くなっちゃった!!
なになに、
紹介記事も書くんですね。
合点承知いたしました~。
少々お待ちを!