【創作】ヘリオス 第4話
「失礼します」
聞き覚えのある声の方を見やると、優成くんがお茶を持って入ってきた。青く柔らかそうな髪が、動くたびに優しく揺れている。
「優成くん、来てたの」
歳上の割に普段から人懐こい笑顔を崩さない人なのに、今日は仏頂面をしている。
「はい、自主練に」
いつもよりも低い声で答えた優成くんは、慣れた手つきでお茶を差し替えた。
「お茶は中里さんがして下さるから、優成くんはしなくても良いのに」
「ちょうど休憩していたところだったので」
そんなことを言いつつ不躾に神様を見る優成くんは、やっぱり普段とだいぶ違う。
「紹介します東雲さん。こちら私の弟子の山田優成くんです。優成くん、こちらは...」
何と紹介しようか考えあぐねている隙に、神様が自ら名乗った。
「東雲晃輝です。凪さんの見合い相手です」
優成くんは慇懃に真のお辞儀で挨拶し、似合わない冷たい顔で神様を再度凝視してから礼儀正しく出て行った。
「東雲さん、ごめんなさい。彼、普段はあんなに冷たい感じじゃないんですけど、虫の居所が悪かったみたいで」
神様は全く気にする風でもなく、余裕のある笑みをしてお茶碗を持ち、美しい仕草で一口飲んでからこう言った。
「あれは俺に対する牽制だ。気にするな」
「牽制ですか?何のために」
そう答えた私の返事に驚いたように目を見開く。
「君は本当にラッコだな。これは思いのほか、急がなければ」
神様のことばは、全く意味が分からない。
「凪はいつも着物なのか」
「いいえ、着物も多いですが、カジュアルな服を着ることもあります。デニムとか、コスプレみたいなこともするんですよ」
川崎流は傍流なので、お箏に御縁のない方の入り口を作る役割もあり、お箏人口を増やすために、様々な販促を幅広い世代に行なっている。
「冬には関東の小・中・高校を行脚して、SINGERを演奏したんです」
「YOFUKASHIの?」
「そうです。現代の曲は著作権の手続きが大変なんですが、学生さんが喜んでくれるので。編曲が最後までしっくり行かなかったところもあるんですけど」
「聴きたい。弾いてくれるか」
「じゃあ、これはいつも優成くんと2人で弾くので、呼んできますね」
そうして返事も聞かぬまま、私は優成くんを呼びに行った。
優成くんは帰り支度をしているところだった。明らかに機嫌が悪そうなのに、私を見て正装の姿を褒める礼儀正しさを忘れない。神様の前で合奏を出来ないか頼むと、私から目を逸らして怒ったように頷いた。
「凪先生の頼みなら、いいですよ、別に」
空気がピリピリする。こんなに普段と違うのなら演奏にも支障が出るんじゃないかと不安になったけど、さすがは優成くん。音に一つのブレもなく、息ぴったりに弾けた。優成くんとの合奏は、いつも気持ちが良い。
「さっきとまた違う良さがあるな。気分が高揚する」
また神様は瀬戸内海のような笑顔をたたえた。
「でも、ここの編曲が気に入らなくて。無双のSINGER、のところが」
箏で現代の曲を弾く時、余程うまく編曲しないと安っぽい演奏に聞こえてしまう。だから細心の注意を払ったつもりなのだが、まだしっくり来ない。
「ちょっといいか。ああ、箏爪がないな」
そこで私は棚から生徒さん用の箏爪をいくつか持ってきて、神様に合うのを嵌めてもらうと、神様は楽譜を見ながら問題の部分を演奏し始めた。
神様、お箏まで出来るんだ。
「そうだな、第一箏はここにサラリンを入れて、第ニ箏は......こうしたらどうだ」
すごい!途端に若者好みの現代的な演奏になる。この方がずっといい。
さっそく2人で再度演奏してみる。引き終わった後、興奮して優成くんの方を見ると、満面の笑顔で返してくれた。良かった、いつもの優成くんだ。
「本当にありがとうございます、東雲さん。それであの、お代は」
そんな話をすると、神様は怒ったように言う。
「要らない。俺は少し手直ししただけで、全体の編曲は凪がやったから凪のものだ。それより」
神様は優成くんの方をチラリと見て質問した。
「川崎流は演奏をYouTubeに上げないのか。箏人口を増やしたいんだろう」
「それは良いと思いますが、私、やり方が分からなくて」
「俺が手伝ってやる」
「そんな、これ以上は」
「別に撮影と編集はいつもやっているから苦にもならない」
有無を言わさぬ雰囲気だったので、私は反論を諦めた。せめて編曲者に名前を入れさせてもらおう。
お茶を一口飲んだ後、神様は続ける。
「やるなら山田君も前面に出すべきだな」
突然話をふられて、優成くんは訝しげな顔をした。
「俺ですか」
「川崎流の客は、男が多い訳でもないだろう」
私は神様の言っていることにピンと来た。芸事にお金を使うのは、いつの時代だって女と子どもだ。
優成くんは私の一番弟子と言っても良いほど演奏が上手い。その演奏は優しく柔らかで、私の演奏と相性が良い。
だけど若者の前で演奏するとき、優成くんと合奏する理由はそれだけじゃない。女の子が卒倒しそうな甘い顔と、韓国人アイドルみたいな細長い手足、現代の最先端を行くファッションセンス。
フフフ、これで女の子はお箏に秒でコロリとなってしまうのだよ、越後屋。
「成功報酬の支払いは事前に契約しておくべきだろうけどな」
「YouTubeの報酬ってCMでしょう。そんなに簡単に入るんですか」
「入る。もちろん演奏力もあるが……君の見た目はカネになる」
神様は優成くんに視点を合わせて、はっきり伝えた。優成くんは動じず見返したまま動かない。
「それに俺の名前も使う。俺が先に凪と共演した動画を出して、そこに山田君も少し映す。俺の動画にリンクを貼っておけば、川崎流のブランド力も相まって集客は難しくない」
「でも」
「凪は俺の動画を見たことがないのか」
そう言えば神様は著名なゆうちゅうばあだった。申し訳なくて思わず小さい声になってしまう。
「ごめんなさい、演奏会の準備で忙しくて」
神様は気にする風でもなく優しく笑って言った。
「まあいい。それより凪は良いが、YouTubeが成功したら、山田君は世間に顔が知れた人間になる。実生活に支障が出るかも知れないから、君次第だ。もちろん山田君がいなくても、川崎流はYouTubeをやるに越したことはないけどな」
「優成くん、どう。私は優成くんが一緒だったら嬉しいけど、自分のことを一番に考えて」
優成くんは少しの間も入れず、真剣な顔で言った。
「俺はやりたいです。凪先生のためになるなら」
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