君の幸せだけが、君に起きたいろんなことに対する復讐なんだ
いつの間にか、2023年が終わっていた。
2023年の振り返りnoteを投稿しようと思っていたのに、もう2024年を迎えて25日も経ってしまっている。
予定と予定の間に3時間ほどの暇が生まれてくれたので、久しぶりに書いている。
現在、時刻は16時26分。
アルバイト先の近くにあるスターバックスで、ジョイフルメドレーティーラテを飲みながら、パソコンと向き合っている。
イヤホンから緑黄色社会の『一歩』が流れてきた。11月くらいによく聴いていた曲だ。
筆をとり始めたのは、いや、キーボードを打ち始めたのは15時45分くらいであった。
え、本当に進まない。わたしって、こんなに遅筆だったっけ。
大学の課題でレポートなどは書いていたから、文章をまるっきり書かなくなっていた訳ではないのに。
いつもどうやって書いていたっけ。何をどうしていたっけ。
そもそも、何を書いていたっけ。
3ヶ月も書かないでいると、書き方を忘れてしまうものなのか。
自分自身に軽く絶望しているところだ。
投稿をしていなかった3ヶ月の間にも、書きたいなと思う出来事はたくさんあったのだけど、時間がなかった。
いや、「時間がなかった」なんて言葉を、できない言い訳に使いたくないのだけど。時間なんて作るものなのだけど。
趣味の日記ですら、その日の出来事を並べただけの簡易的なメモに成り下がってしまうくらい、わたしは忙殺されていた。
もっと適切な表現をするのなら、「時間の使い方が下手だった」かも。
わたしが日記をつけている理由は、時間の経過が思い出を美化することを防ぎたいからだ。
時間の経過というのは、過ぎたことを美化してくれがちだ。
それは良くも悪くも、だと思う。
もちろん、嫌なことを嫌なまま保存する人もいるが、わたしはけっこう美化してしまうタイプっぽい。
思い出したときに、なるべくそのままの感情を取り出したい。
だけど最近は、日記を読み返してみても特定の話題だけ他人の日記を読んでいる気分になる。
対人関係における記憶力は良い方だと思っていたが、そうでもないのかもしれない。
それが、元彼との話だ。
クリスマスを迎える仕度が整い始めた頃、わたしには新しい恋人ができた。
彼は行動だけでなく言葉でも伝えてくれる人だ。
一緒にいると落ち着くのに、ふたりでげらげら笑い合うような時間もあって。
些細なことでも「ありがとう」と言ってくれて。
小ボケをちゃんと拾ってくれて。
周りの人にわたしの話をたくさんしてくれて。
とても大切にしてくれて幸せにしてくれて。
わたしにはもったいないくらいの素敵な人だ。
…ただの惚気になってしまっているような気がする。
素敵すぎる彼の話も書きたいきもち vs 需要ないだろ、のきもち vs ダークライ
気づけば曲は まるりとりゅうが の『目覚め』になっている。
「全てを知ってしまった途端 壊れちゃうほど脆くて きっとそれこそが恋だと そんなものなんだと思ってた」
「あなたと出会ってこんな私でも 大切にされること 初めて知ったの」
最初から最後まで今のわたしすぎる。
このnoteを書き始めたときに流れていた緑黄色社会の『一歩』は、今の彼氏のことをちょっと気になっていたときに聴いていた曲だった。
まさか恋人になれるなんて思っていなかったな。
「元彼に大切にされていたとか、過ごして幸せだったって記憶がなくなっちゃった」
と 周りの友人に話してみたら、幼馴染が言っていた「女は上書き保存」という言葉が腑に落ちた。
なんて都合の良い脳みそだろう。
時間の経過による美化どころの騒ぎではなくなっている。
なにもかもが嬉しくて、今が心から幸せで。
「前の彼氏と付き合っていた時間は幸せだった?」と誰かに聞かれても、首を傾げてしまう。
前の恋人と過ごした幸せだったはずの時間を、幸せだったと言いきることができなくなってしまった。
なんのために日記をつけていたんだ、こんなことになるなんて聞いていない。
昔のわたしに毒づかれているような後ろめたさを感じる。
しょうがないじゃんね、そうやって脳ができているみたいだし。
一体だれに申し訳ない気持ちになって、だれに言い訳をしているのやら。
前の恋人のおかげで、今の幸せを感じることができているのだと思う。
元彼と今の恋人を比べることは双方に失礼だとは重々承知の上だけど、今の恋人がしてくれるひとつひとつの言動にたいして、「今の方が幸せだなあ」なんて思っている。
元彼と付き合っていたときの話をリアルタイムで聞いてくれていた友人たちからは「今の方が幸せそう」「前の彼氏、あんまり良くないと思ってた」
なんて言われた。
今のわたし、傍から見ても幸せそうらしいよ。
わたしを捨ててくれて、雑に扱ってくれて、どうもありがとう。
性格が悪いので、わたしを振ったことをいつか後悔すれば良いのにってずっと思っていた。
ずっとわたしに呪われれば良いのに。
「わたしと別れて幸せになれるはずないんだから」なんて大口を叩いたこともあったっけ。
不器用な人だったから、元彼の次の恋人になる人はさぞ大変だろうな、頑張ってね〜。どうでもいいけど。
こんな憎まれ口も叩いたかも。文字にして可視化すると、自分の性格の悪さに辟易する。
でも、気づけばそんなことすら思わなくなった。
きっと、興味がなくなったのだと思う。
再三繰り返すが、もともと未練があったわけでもないのだけど。
わたしは、わたしのことを大切にしてくれる人のために時間を使わなきゃ。
人生の方針はずっと「大切にしてくれる人を大切にする」だったが、すっかり忘れてしまっていたようだ。危ない危ない。
今ふと思ったが、日記と呼ぶには拙すぎる簡易的なメモに、その日の出来事だけを羅列し始めてから、言語化する能力が衰えたような気がする。
とくに、自分の気持ちを言語化するのが下手になったかも。
だから書き始めて1時間経っても進まないのだろうか。日記ってすごいんだな。
そういえば「日記を書くときは、自分と対話をするとき」だなんて素敵な言葉を聞いたこともある。
そうか、わたしはわたしとの対話が足りていないのか。
2024年はどんなに忙しくても、わたしとの対話をする時間を大切にしよう。
17時を告げる館内放送が聞こえてきた。
そろそろ行かなきゃ。
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