今は昔、
会話ってなんだろうか。
ふと、こう思うようになった。
自分の話を聞いてほしいから、自分の話をすることに必死だから、こちらの話には興味がなくて。
どこに自分をねじ込もうか、ということで頭がいっぱい。
そういう人が案外多いことに最近気がついた。
どんな話をしても、全てを自分の話に持っていくプロフェッショナルもいる。
わたしの話はプロフェッショナルたちの前座にすぎないのだろう。
いつの間にか、相手の話にすり変わっている。
そういう、すりかえ上手な人たちにいちいちモヤモヤすることが嫌になったので、最近のわたしは聞き役に徹するようになった。
聞かれたこと以外は基本話さない。
わたし自身の話を避けるようになった。
相槌やリアクション。目線。声のトーン。質問。
色々と意識しているつもりだが、昔から相手の話とわたしの話の割合にはいちばん気をつけていた。相手:わたし=6:4 または 7:3くらい。
話を遮らないこと。話をすりかえないこと。
それを徹底する。
とくに、共感するときに話がすりかわりやすいと思う。
A 「今日すごい眠くて〜…」
B 「わかる!!!私なんて3時間しか寝てない」
A 「そうなんだ。大変だね。」
B 「夜遅くまで課題やっててさーー」
こんなかんじ。
もしかしたらAの発言は「今日すごい眠くて〜」のあとに、「授業寝ちゃった」と続いたかもしれない。
それをBが食っちゃったのかも。
もしくは、「昨日バイトすっごい混んで大変だったんだ」など、眠い理由を話したかったのかもしれない。
そのままバイトの愚痴を話したかったのかもしれない。
なんて、深く考えすぎだろうか。
もちろん、わたしの周りにいる人みんながすりかえ上手な人ではない。
すりかえ上手な人と毎日会うわけではない。
だけど、どのコミュニティにもすりかえ上手な人がいるので、毎日すりかえ上手な人たちの話を聞いて、聞いて、聞いている。
すりかえ上手な人たちの素晴らしいお話を、深掘りするような質問ばかりをしているわたしに呆れる。
わたしはいつからインタビュアーになったのだろう。
そんなことをしているうちに、自分の話をすることが下手になった気がする。
「昔は、」「あの頃は、」…なんて頭が昭和から抜け出せずにいる中年サラリーマンのようだけど、昔はもっと上手く話せたような気がする。
もういっそのこと何も考えずに、人と話した方が良いのだろうか。
わたし自身が、すりかえ上手な人たちも驚くほどのすりかえ上手に変身した方が良いのだろうか。
このままでは会話が億劫になってしまいそうだ。
梅雨のせいでやる気と元気がでない、ということにしてインタビュアーを放棄するのが良いのだろうか。
こんな話を短期大学時代の友人にしたら、「人間の真理を悟りすぎだよ。でも分かるなー。」と笑ってくれた。
共感してくれる人がいるだけ、幸せなのかもしれない。
このことについては、考えても答えが出なそう。
もうこれっきり考えないようにしようと思う。
※2022年7月4日 0:15 追記
この記事を目にする機会があるであろうリア友さんへ
あなたはすり替え上手な人ではないので、そのままわたしの話し相手になってくれると嬉しいな。
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