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げにや安楽の世界より
深く考えることが好きだ。
わたしの過去のnoteを読んだことのある方は薄々思っていたかもしれないが、物事をじっくり考えることが好きだ。
考えたことを家族や友人など、他の人に共有することも好きだ。
他の人の考えを聞いて自分の考えを深めることが好きだ。自分の考え方も結構好きだ。
地球にはホモ・サピエンスが約78億7500万人もいる。わたしの思考と似ている人はいても、100%一致する人なんていないだろう。
いたらいたで嫌悪感を抱いてしまうかもしれない。
何から何までわたしと同じ考えの人がいたら、わたしの存在意義がまたひとつ無くなってしまうから。
わたしと同じ意見を持つ人の考えも、異なる意見を持つ人の考えも面白い。
異なる意見はわたしとは根本的に違うのか、それとも途中までは同じだったけど途中から違うのか等にとても興味がわく。
同じ意見でもそこに至った思考回路や、考えの表現が違うはずだ。その違いは微々たるものかもしれないが。
先日、父とリビングでテレビを見ていたら「人を殺して死刑になりたかったから事件を起こした」という、某事件の犯人の動機が報道されていた。
それがきっかけで父と死刑制度の存廃について、どう考えているのかを話した。
父とわたしの意見は見事に真逆であった。
お互いがお互いを説得する気などさらさら無かったので、メリットとデメリットをさらっと述べる程度の、討論と呼ぶにはあまりに稚拙なやり取りをした。
それでもわたしの考えを深めるには十分だ。父の考えも一理あると思ったし、父もわたしの考えに理解を示してくれた。
(この文だけみると、父とわたしがそれはそれは真面目でかたい人間だと感じると思うが、そういう訳ではない。 ニュースだけでなくバラエティ番組で取り上げられている話題にも、家族みんなでああだこうだとよく話している。家族の話はいつか気が向いたらするかもしれない。気が向いたら。)
一昨日友人と、自分と他人はベン図のようだといった話をした。
「自分と他の人ってベン図みたいだよね」
こんな突拍子のない語り口でも茶化さずに聞いてくれて、しかも自分の持っている考えまで言ってくれるかけがえのない友人だ。
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これがベン図。父とわたしで例を作ったものが下図。
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わたしの考える人間関係ベン図説では
左が自分の考えていること。
右が他者の考えていること。
赤で塗ったところが自分と他者の共通点。
を表している。
自分や他者の丸の中には考え以外にも好きなことや苦手なこと嫌なことも入るだろう。
赤の面積が広ければ、つまり共通点が多ければ気の合う人であったり、考えが近い人なのだと思う。
素敵すぎる友人と話したおかげでわたしの人間関係ベン図説もまとまった。やはり人と意見を交わすことは大切なんだな。
わたしはまだ20年しか生きていない。
100歳過ぎまで元気に生きて、物知りなおばあちゃんになることが夢なので、少なくともあと80年は生きるつもりだ。
そう考えるとまだまだ先は長い。
これからもっと色々な人に出会うだろう。
わたしと異なる考えをもつ人の言葉にもしっかりと耳を傾けて、わたしが絶対に正しいなんて盲信しない柔軟な大人になりたい。
これは余談だが、ベン図を書いている時どうしても目玉おやじの横顔にしか見えなくなった。
……ところで横顔、という表現は適切なのだろうか。横目玉とでもいうのだろうか。
調べてみたらとんでもなくかっこいい本来の姿が出てきた。生前はこんなお姿だったのね。
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