330.泣けない身体
お昼ごはんを買いに外に出たら、もうダウンは暑すぎるくらいで梅まで咲いていた。春めいている。ていうか春だ。わたしはさむいのが本当〜に!苦手で、暑いのはいくらでも平気。むしろ暑ければ暑いほどテンションが上がるタイプの人間なので、暖かくなるんだ!と思ったら、無条件にウキウキしてきた。
3月はボディートーク仲間のゆりぽんとSくんと山にも登るし、何より月末から4月にかけては湯布院へ行く。まったく行動範囲が変わらずどこにも行かず誰とも出会わず過ごしたここ1年だったけど(そのかわり素敵なクライアントさんたちとの大いなる出会いと出発があった)、今年はほんの少しだけ動きがありそうな予感がする。
湯布院ではゆうやくんに会えるのが嬉しいなあ。九州は福岡と長崎の壱岐島にしか行ったことがないので、今からうんと楽しみ。
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ところでわたしのおかしな特技は、対面している相手の感情をそのままトレースしてしまう能力だ。セッションという形式で、1対1で対話しながら仕事をするケースが多いのだけれど、話の内容よりもまずダイレクトに向かい合った相手の感情がそのままわたしの感情として感じられる。
つまり相手が強い悲しみ感じていたとしたら、それをそのまま自分の胸にひしひしと迫り来るホンモノの痛みとして感じるのだ。
セッションを始めた頃.....もう何年も前だけど......は、ただの気のせいだと思ってさほど気にせず、どちらかというと感じすぎないようにしていたその感情を、最近では一緒に感じることにしている。
そのまま、そこに、この胸からのどにかけて圧迫するような深い深い哀しみが、いまわたしたちには、あるよね。と。
あまり原因も探らず、そこで思考という首から上の部分に逃げることなく、その胸の激しい痛みを一緒に感じるようにしている。その痛みはおそらく、本人にしっかりと感じられることを求めているから。
感情の痛みというものは、解決されることを求めているのではなくて、ともに在ることを求める生き物のようなものなんだろうな、と思う。
なのでゆっくりと時間をかけてその感情と一緒に居させてあげて、流されるべき涙を流し、外に放たれる言葉を放ったあとでないと、動いてはいけない。
「泣いたって解決しないよ」とか「泣いてもどうにもならない」とか言う大人は多いけど、それは半分は正しくて半分は正しくない。
確かに泣くことそのものが物事を解決してくれることはないだろう。けど、涙を流すことはわたしたちの表現の自然な現れなので、流さないほうが不自然だ。
おかしいとき、楽しいとき、わたしたちは笑う。声を上げたり、微笑んだりする。
問題を解決するためでもなく、目的のためではなく、ただ身体ののぞむままに表現を解放しているだけ。
泣くことも同じだ。悲しかったら?痛かったら?解決の前に、まず泣かなくちゃ。ほんとうに悲しんで、一晩中でも泣き明かすことができたのなら、ほとんどのことは勝手に大丈夫になっている。
身体ってそういうふうにできている。
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「note、10万pvいったんだよ」と夫に話す。
なんか、自分の中では1年近く毎日書いてきた結果が「こんなもんかぁ」と正直、ほんの少し恥ずかしい気持ちでいた。
そうしたら思いのほか彼が「え。すごいじゃん」とびっくりしてくれたので、ちょっと恥ずかしい気持ちが消えて、そ、そうかな?えへ。みたいな気持ちに変わった。ひとって単純だな。
み「すごいかな?」
夫「すごいでしょー。それは」
み「え〜。なんか今日優しいじゃん!今晩、抱かせてあげようか?(←ネタ)」
夫「お断りします(キッパリ)」
み「なにおう!」
というやりとりをしてたら、うたちゃん(中1娘)が心底イヤそうな顔で「ねえ、思春期の娘の前でイチャつくのやめてくれない?」と言ってきたので、これ以上はやめておくことにした(たしかに、わたしが中学生のときのうちの両親はこんな感じじゃなかった気がする)。
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ライティング・ライフ・プロジェクト第6期、満席につき受付終了しました!ご関心をお寄せくださったみなさま、ありがとうございましたm(_ _)m。第7期のお申込みはまたメルマガにて行います。*
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1月分のすべての個人セッションは満席につき受付終了しました。ありがとうございました!2月分は満席です。*
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ライティング・ライフ・プロジェクト・ビハインドコース(インストラクター養成コース)第2期、満席になりました。*