「おおきくなったら、なにになりたい?」 ぼくはこたえた。「やさしくなりたい」
祝日。
通常の祝日だと、ハチ(旦那さん)=母校のハンドボール部コーチへ。うたちゃん(高1娘)=部活 or ミュージカルへ。かんくん(中1息子)=野球へ。という流れでほとんどうちから出払ってしまうのが定番なんだけど、今日はお盆ということもあって年に数回あるかないかの「みんなヒマ」という一日だった。
クラブチームの友だちと一緒にいったボウリングがお気に召したかんくんが「ボウリングいこう、ボウリングいこう」とあまりにもうるさいのて、予定としては吉祥寺に行ってボウリング、買い物、お茶、みたいな流れに決まる。
都内の子連れの夏っぽい感じだなあと思いつつ、家族が4人そろって一日出かけることがあまりないので、わくわくした。
ボウリングはわたし以外はみんなそこそこ健闘しており、身体能力の高さってあるよなあと思う。身体のイメージに対して、実際に微調整が効くんだろうな。わたしってそれがほんとうに、ないと思う。残念ながら。
ずっと右にスコンスコンといきおいよくガター目掛けて投げ飛ばすフォームをとうとう2ゲーム終了後まで修正できず、見るもおそろしいロースコアで終わる。
わたしはもうおっかしくってゲラゲラ笑いが止まらなかったのに、わたしよりもはるかにスコアの良いかんくんが、ボウリングに誘った責任を感じてか必死に「おかあさん!もっと腕をまっすぐに引いて、まっすぐに伸ばして!手のひらをこう、前に押し出すように」と手取り足取りレクチャーしては、わたしが投げたボールがいきおいよくガターへと吸い込まれていくたびに、世にも悲しげな顔をして、立ち姿がナナメになっているほどだった。わたしですらさほど落ち込んでいないのに!笑
そして、超まぐれで数ピン倒したあかつきには、「おかあさん!やったね!すごいよ!」とかけよってハグしてくれたりした。ええ~、中学生男子ってこんなにやさしいの?
やさしいこに育ったのかな。
大昔に読んだ吉本ばななの『キッチン』にはゲイの「えり子さん」に育てられた青年「雄一」が出てくる。主人公の「みかげ」はやがて雄一と惹かれあっていくのだけれど、えり子さんが雄一についた語るシーンでのセリフを大昔に読んだとき以来ずっと、なんとなく覚えている。
物語って不思議なものだ。
どこかの断片の風景のような、ふとした残り香のようなものが、あるとき自分の中のたいせつな場所に存在していることに気づく。あらすじや、ディテイルなんかは覚えていなくても、あのときあの物語の風景をぎゅっと胸に抱きしめた感覚だけが、ちゃんと自分の中に残ってる。
べつにボウリングがへたくそなわたしを励ましてくれたことだけではなくて、かんくんを育てる中でわたしは必死にやってきたことは、やさしい子にしたい、やさしい子であってほしい、子どもはすべてやさしく生まれているのだから、ただそれを失くさないで育ってほしいと、それだけだったかもしれない。
文章を書いて生きていくと決めました。サポートはとっても嬉しいです。皆さまに支えられています。あと、直接お礼のメッセージを送らせていただいておりますm(_ _)m