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0699.自分がちゃんとそこに存在している真実の時間の積み重ね / オーラ
去年、リビング用にかなり大きな姿見を買った。
単にひとりの全身が映る用というよりは、ダンスやバレエなどの練習にも使えるくらいのジャンボミラーというもの。ちょうどその部分の壁の部分が空いていたので、大きな鏡をおいたらスタイリッシュだし、部屋も広く見えるだろうと思って買ったのだが、ミュージカルをやっているうたちゃん(中2娘)がそこでずっと踊っていることになるとは、嬉しい誤算だった。
わたしはだれかが音楽に合わせて踊っているのを見るのがほんとうに好きなのだ。BTSしかり、SEVENTEENしかり。フィギュアスケートも好きだ。
わたしもにわかだけれどベリーダンスをかじっているので、たまにその鏡の前で練習したりするけれど、やっぱりうたちゃんには敵わない。
彼女がそこで「すっ」と立つときの、オーラというものがちがうのだ。
それって「オーラが見えます」みたいな、エーテル体がどうのアストラル体がどうのという話ではなくて、なんというか”たたずまい”、”プレゼンス”、そういうものの話ね。
彼女が半分遊びでTWICEのダンスを真似して遊んでいるときも、ミュージカルのレッスンをちょっと流しでささっと踊っているときも、なんともいえない「踊りつづけてきたひと特有のオーラ」というものが見える。
それがとてつもなくかっこいい。
それはかんくん(小5息子)の野球の素振りを見に行くときにも感じることで、彼がさっとバットをかまえると、うまい下手はともかく「バッターボックスに立ち、バットを振り抜く、ということをやりつづけてきたひと特有のオーラ」というものがしみじみと散見されるのだ。
うたちゃんは小5のときからもうすぐ5年間、かんくんもやっぱり小2のときからだから5年間、こつこつとやりつづけてきたひとたちなんだなあ。そりゃあオーラも立ちのぼるってものだよ。
昔、和の大学というスクール事業を手がけていたとき、ご縁があって清水ハン栄治さんに登壇いただいたことがある。
今は映画監督やプロデューサー業がメインで活動されているようだけれど、当時はGoogle社のサーチ・インサイド・ユアセルフ(というマインドフルネス研修プログラム)で唯一の日本人講師、という肩書きだったので、瞑想についての講座をお願いしていたのだった。
セミナーは盛況のうちに終了し、みんなで居酒屋で打ち上げをしていたとき、ハンさんのビジネスパートナーの谷口さんが「俺も瞑想やってるんだよね。まあいつになったら教えられるほどになるかはわかんないけどさ。ハハハ」と言ったのを受けて、ハンさんがこんなことをおっしゃったのを覚えている。
「まずは時間。時間かけないと。1000時間がひとつの目安かな。あのね、1000時間やると、オーラが変わるから。オーラって言ってもあやしいやつじゃなくて、1000時間やってると、”やってる人なんだ”っていうのが、傍目にもわかるようになってくるの。」
そのあとは「うぇ~!1000時間かよお。1日1時間やったって何年かかるんだ?」なんて言いながら笑い話になっていって、ハンさんも「だから谷口さんムリじゃない?笑」なんて冗談ぽく笑ってたけど、1000時間そのものの話はきっと、ほんとうのことなのだと思う。
そう考えると、うたちゃんもかんくんも、少なく見積もってもこれまでの年月の中で練習時間だけで軽く1000時間を超えている。それ以外の本番の舞台や試合の時間を入れればもっとだ。
たたずまいにオーラが出るわけだよ。やれやれ。
それってなんでもいいんだと思うな。ダンスでも野球でもいいし、書道でもランニングでもいいし、お弁当作りとかでもいい。それに意識が向いている時間。意識を引っ張る意図の部分に、パッションやジョイのような引力があるもの。
その時間の中で、ぼんやりと自分が不在なのではなく、自分がちゃんとそこに存在している真実の時間の積み重ね。
わたしのふわふわとした生き方とは真逆のような子どもたちをリスペクトしつつ、わたし自身もそんな時間を少しずつ増やしていけたらいいんだけれど。
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