232.理解と実行はイコール


個人的にやめた方がいいと思っているのでやらないこと。それは「頭ではわかってるんだけどね〜」って言うことだ。

なにかに対して行動が伴わないときとか、実行に踏み切らないときによく使われる言葉だと思う。なんで個人的にやめたほうがいいと思っていて、自分では使わないかというと、そこにウソがあって、正直ではないと感じるから。

「頭ではわかってるんだけどね」は、すごく便利な言葉で、ものすごい自己欺瞞を引き起こすと思う。だって、自分で「わかったこと」にしちゃってるから。やったほうがいいってわかっているのに、やらない。
ってことは、自分はその物事に対しての理解と洞察ができていて、けれども諸事情でやっていない、という”てい”で、未消化のいろんなことを、理屈の上だけで完結させることができてしまう。

それって正しくは、ほんとうに厳密に言葉にするならば、

「自分にとってそれが真実かどうか、確信が持てません。確信が持てないことに対して、本気で取り組む気持ちになりません」

ということなので、「頭ではわかっている」は、とんだ嘘っぱちなのだ。わかってない。理解と実行は、1ミリも隔たれることなくイコールなので、実行にいたらないそれは、理解できていないことだって思ったほうがいい。

それで、理解できたら実行できるわけなので、ただ理解だけすればいいってことだと思ってる。

なので、わたしは「やらないこと、やれないこと」に関しては、「頭ではわかっているんだけど、できない」とかじゃなくって、単純に「やりたくないからやってないんだな」って思う。厳しく聞こえる?いやいや、ぜんぜん厳しくなくって、そんなことだらけの自分です(笑)。もちろんわたしだっていろんなことをやっていない。すべきことも、したほうがいいことも、たくさんたくさんあるけれど、それをやっていないのは、めんどうだと思っているだけだよな、って。

そして、そんなめんどうくさがりの自分をべつに責めてない。甘やかしてもいない。「めんどうくさくて、やっていない俺ですね。」と観察しているだけ。

でも、もしそれをどうしても、どんな形でもやりたいという気持ちが1ミリでもあるのであれば、「どういう範囲、レベル、やり方だったら、めんどうじゃないのかな?」と問いかけると思う。挫折するのは、理解のないものに対して無茶をするからであって、理解して、無茶をしなければ、ひとって勝手に実行する。

好奇心と洞察と行動こそが、ひとの本質的な喜びのはずだから。

なので、「頭ではわかってるんですけどね〜」という代わりに、「めんどうくさくてやりたくないんだよね〜」という真実を自分の胸に正直に明かすところからスタートすればいいって思う。で、「じゃあやんなくていいんじゃん?笑」ってわたしは思うけど(笑)、「いや、とはいえ、いい加減やりたいんだよね〜」と言われたら、

「じゃあ、どのレベル、どの範囲、どの頻度、どれくらいの分量だったら、めんどうじゃないって思える?」って聞いてみる。そこでの答えも、正直さが大事だ。ここで無茶は禁物。すごいひとの真似もしなくていい。そしたら、自分だけの、自分カスタマイズされた最適解が出てくるはず。
そしたら、その最適解を出したひと(自分)を、最大限に尊重してあげよう。

それってホントにわたしにとって大事なんですか?それを続けたらわたしはうまくいくんですか?それはわたしに向いているんですか?それでわたしは一生食っていけるんですか?そうなるのはいつからなんですか?どのくらいがんばれば、どんなふうになれるんですか?

と、いろんなひとに聞いて回りたい時もあるけれど、そこにかける時間はせいぜい2〜3年くらいにしておいて、そこから先は自燈明の世界にいこう。

自分を照らすのは自分だし、自分のよりどころは自分だ、と思えるのってヘルシーだ。聞いて回るのをやめて、自分に問いかけ出したその瞬間から、すごいいきおいで自己理解と自己信頼が増してくる。地に足がついて、生きてる、という実感が湧いてくる。



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