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0568.ひとがなにかを心底感じるためには、それを一度失わなければならない


日曜日だけれど朝7時30分に家を出て、20時帰宅という終日おでかけの日。さっき帰ってきました。今日はさむかったね。ずっとさむいさむいといっていた。さむいのはとても苦手だ。仙台に住んでいた頃、つらかった。でも東京もなかなかのさむさだと思う。

さむいのは苦手だけれど、冷え込んでくるとお風呂に入ってお湯に浸かったときの快楽と幸福度が鬼のようにあがる。さむくてさむくて凍えて冷え切ったからだで湯船に浸かるとき、いつも思うのは、

「あー....しあわせ.....」
ではなく(しあわせでないという意味ではないが 笑)、

「ひとがなにかを心底感じるためには、それを一度失わなければならないんだな」
ということである。

冬は得意ではないし、からだが冷えるのってつらいけれど、それがつらければつらいほど(温かさという良き面が失われていればいるほど)、お風呂の温かさというものは五臓六腑にしみわたる。

もし物事がそういう仕組みなのであれば、わたしたちが最大限に愛と生きる喜びを感じるためには、どう考えてもそれらを一度、どこかで徹底的に失わなくてはいけないということになる。
そうして愛と生きる喜びを失った(つまりは骨の髄まで冷え切った)からだで、もう一度それらに出会ったときに(つまり湯船に浸かったときに)はじめて

「あー.....しあわせ.....」

と、だれに見せるでもなく伝えるでもなく、どこに映えさせるもなく、思わず心からの言葉がだだもれてしまうほどに、ただしあわせを感じるのだろう。

冷えは、いずれやってくる温かさという至福のための、
困窮は、いずれやってくる豊かさという至福のための、
孤独は、いずれやってくる寄り添いともにあるという至福のための、

すべての二極は”光”を感じるための”影”でしかないとしたら、この世ってなんという壮大な装置なんだろうな、と思ってしまう。
わたしたちがコントラストとコントラストがもたらす至福を体験するためだけにつくられているとしか、わたしには思えないときがある。

この全身全霊で感じる最上級の「包み込まれるようなあたたかさ」は、なんということだろう、全身全霊で感じる「芯から冷え込んで凍えるようなさむさ」とじつはセットで販売されている”抱き合わせ商品”だったのか!?と。

この世のすべては”抱き合わせ商品”で成り立っていて、単体では購入できない仕組みのショップだったのか!?と(笑)。

そう、こんなさむい日の夜に、あたたかい湯船に浸かったとき、わたしは主にこんなことばかり考えている。


明日からは蓼科に行ってきます!ますますさむいじゃんかよ〜。あんにょ〜ん。


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