0739.生きたかった今日は瞬間の中にある
だいたい1日の終わりにnoteを書いている。
「今日はどんな一日だったっけ」と回想をしながら、いろんなシーンに思いを巡らす。
暑いくらいの春の日に、車で三鷹台へと向かいながら赤信号で止まるたびにサンルーフから見える桜を見上げたこと。
祝里ちゃんの「音楽理論講座」の2回目で、自分の中にじわじわと音楽を知的に理解するための神経回路が生まれつつあることに興奮したこと。
5月に来日するSEVENTEENのファンミーティング(トーク&LIVEイベント)にいきなり当選してしまって飛び上がって喜んだこと。
夜ごはんの支度を終えて「ごはんだよ〜」と、ソファーに寝そべるかんくん(6年2組になりました)に声をかけたら、マンガを読みながら寝落ちしていたらしく、すうすうと眠っていたこと。
わたしは今日も、このこのごはんを作れたんだな、このこの寝顔を見られたんだな、と思ったこと。
というのは、大切なことをたくさん教えてくれたとあるメンターの方の言葉だ。今日という1日は、時間の中で次から次へと流れているように見えるけれど、ほんとうのほんとうは、瞬間の連続なのだ。
映写機のコマのように、連続の錯覚が「まるで1日が続いている。今日も明日も続いている」ように、見せている。
どの瞬間も、もしわたしがきのう死んでしまってこの世を去っていたら、見られなかった風景なんだと思うと、自分の中からあらゆるジャッジメントが剥がれおちてゆく。見たくなかった光景はないだろう。美しいものも醜いものも、崇高なものもくだらないものも、すべては生の中にあると思うととたんに世界をまばゆく感じる。
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こういうお手紙って、なにものにも代え難いよろこびをこころにもたらしてくれますよね。ライティング・ライフ・プロジェクトはわたしのお仕事のひとつだけれど、それ以上にイノセントなよろこびと奇跡のような出会いをもたらしてくれる、一生の宝でもある。
(そして、こういう方ってまじで徳を積んでますよね….。この、”陰徳を積む”ということの重要性については今度どっかで語りたい)
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