0864.結局のところ、風格ってやつだ
なんかライオンズゲートがどかんと開いて、エネルギーがじゃんじゃか流れこんでいるようじゃないですかあ。スピリチュアル界隈では毎年この時期、この話題が人気よね。
でも正直「よくわからん」と思っているし、好きに過ごすしかないと思っているのだけれど、今日やった ”祝里(のり)ちゃんと祝里ちゃんハウスで、おうちピクニックして昼飲みして語らって過ごす” というのが、わたしにとって最高の過ごし方だったのでは、とおもった。
降り注ぐエネルギーと、魂が、交差する、時の扉。
という認識が、わたしの中にすとんと入ってきたのでした(祝里ちゃんの絶妙な説明で)。
あともう少しこの時期はつづくみたいだけど、明日からはわたしはひたすら仕事をしている。ライティング・ライフ・プロジェクトのフィードバックをし、WLPファシリテーターコースのインテンシブクラスがスタートし、ファシリ養成の通常クラスがあり、さらに対面でボディートークのセッションが入り……と、はたらきもののお盆を過ごす予定。
セッションや講座で、良いエネルギーが循環していきますように。
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祝里ちゃんと、風格、の話をした。風格が、ほしいんだよね、と。
トレーニングをしているひとなら、トレーニングをしているひとの風格。ステージにいるひとなら、ステージにいるひとの風格。文章を書くひとなら、書いているひとの風格。ビジネスでも、セミナー講師でも、登山家でも断捨離でも、なんでもいい。
松村先生だったら「専門家的悟り」という言葉を使うし、グルジェフの水素論でいえば「水素24」。
じゃあ、いったいどの分野で、どの領域で、その風格を欲しているのか? ということを考えるきっかけになったのがおもしろかった。きっと、どの領域でもいいのだろう。だれもがどこかの領域において、専門家的悟りの境地に達することができる。そのことにまちがいはないと思う。
主婦でも、子育ての領域でも、対人・パートナーシップの領域でも、自分にとっての分野というものがきっとあるのだ。
それは、一生たったひとつなのかもしれないし、道が進んでいくにつれて形をかえていくものかもしれないけれど、「これだな」「ここだな」ということがわかると、すごくいいんだろうな。
そこに対しての”超努力”というものを発動するということそのものが、魂を枯らさないための唯一の方法だから。
”超努力”ということばは、グルジェフの概念なのでまたべつな機会に書けたら書きます。
今日は、祝里ちゃんとおうちピクニックでさくっと飲んで語って、夜はベリーダンスを踊って、さらにはこうして文章を書いて、とても好きな感じの1日を過ごしたのでした。あんにょん。
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