107.もしもあなたがなにかを望むなら、それはあなたにふさわしい
『This is us』だったらトビーだし、『ロード・オブ・ザ・リング』だったらサム。賢くてお人好しで、ちょっと太めの気のいいヤツらはいつだって正しく主人公を(ひいては物語全体を)導いてくれる。
トビーと出会わなかったらケイトは、最愛のパパを失った後の人生を自分の足で立ち上がって歩んでいくことはできなかっただろうし、サムがいなかったらフロドは指輪を葬ることは決してできなかっただろう。中つ国は崩壊のエンディングだ。そんなふうに、迷ってくじけそうになって、すべてを投げ出しそうになる主人公にはいつも、ほんとうの知性と慈悲を兼ね備えたパートナーがついている。
そして大人になるとようやく理解できるのだ。自分をバラバラにして挫けさせようとするのも自分だし、どん底でなにもかもがまっくらに見える中で、最後の最後に自分を支える希望の光もまた、自分なのだと。
それが、まるで外側にあるかのように見えているのが、わたしたちの人生なのだってこと。
お仕事柄、ひとさまから「希望」や「望み」や「未来に起こしたい変化」を耳にする機会は多いんだけど、自分に正直になればなるほど、その望みはとっても個人的になり、とってもイノセントになり、ありきたりのものではなく唯一無二のものになり、そのひとだけの”祈り”のようなものになっていく。そういう言葉に触れるたびに、もちろんそこには「欲」の部分もからんでくるんだけれど、その「欲」にまみれたものですら、神聖に感じるときがある。
正直であるっていうことは、神聖なことなんだ。だってわたしたちは、いろんなことを正直に言ったりやったりして、誰かを傷つけたり怒られたり押さえ付けられた過去を誰しもが持っているから、正直であることに慣れていない。
正直に話す?正直に伝える?正直に自分の望みをオープンにする?
ノーノーノー。ありえない。
って。
誰か、相手がいるときに正直になれなくってもいい。正直さに危険が伴うこともわかってる(わたしだって人生の辛苦くらい知っているのだ、こう見えて)。でも自分の中で、自分のためにだけ、安心で安全な場をつくってあげて、そこでは正直に自分の夢や、望みや、我欲まみれのわがままで身勝手でゲスな欲望を、許して受け止めてあげられるといいんじゃないかな、と思う。
もしあなたが美しいドレスを望むなら
それはあなたにふさわしい。
もしあなたが心地よい椅子を望むなら
それはあなたにふさわしい。
もしあなたがキラキラした宝石を望むなら
それはあなたにふさわしい。
もしあなたが温かい人間関係を望むなら
それはあなたにふさわしい。
もしあなたが最高の幸せを望むなら
それはあなたにふさわしい。
もしあなたがなにかに心が惹かれるなら
それはそうするべきなんだ。
って、わたしたちの中に住んでいる、賢くて慈悲深くて気のいい太っちょのバディーはいつでも語りかけてきてくれる。
だから「それがいったい、なにになるの?」なんていう胸クソ悪い質問をしてくるようなクソコーチのコーチングを受けてはいけない(往々にして、クソコーチはあなたの心の中にいる)。
なにになるのもくそもないのだ。
それはただ、あなたにふさわしいから
あなたに「望み」としてやってきているだけなのだから。
あなたが「望み」を抱いたみたいにみえるけど
ほんとうは逆なのだ。
あの、なにか、ことばにならない、
世にも美しい光みたいなものが、
「望み」になって「あなた」をとおして
この世に現れているっていうのが、ほんとうだ。
あなたが生きているんじゃなくって、
いのちが「あなた」を表現しているように、
のぞみが「あなた」を表現しているだけなのだ。
だから
もしあなたがなにかを望むなら、それはあなたにふさわしい。
とてもとても、とてもふさわしいものなのだ。
追伸:ちょっと「KU⭐︎SO」配分が高めだった本日のnote(当社比)。やだな、嫌われちゃったらどうしよう(どうもこうも。悲しもう)。言葉が悪くてごめんあそばせ。
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