見出し画像

眺める、の背後にあるやすらぎとくつろぎ


ちょっと驚くほどに、鋭意回復中。
熱が高くなくて、頭痛もないという状態が久しぶりすぎて若干おろおろする。
ふつうに動いてもいいのか?と。これまでずっと身体をかばうようにそうっとそうっと過ごしていたので。

ほんとうに辛かったとき、テレビの音も画面の明かりすらもキツかった。スマホもむりで、ぐったりと目を瞑って横になっているか、唯一心がやすらいだのは、病院に向かうタクシーの窓から見上げた空だった。

神経の刺激による情報処理というものが、とんでもなく身体に高負荷であるということがよくわかったし、そんな中でも自然はただただ、やさしいのだった。

なのでなるべく、観葉植物や猫を眺めて過ごすようにしていた。
眺める、ということの偉大さ。
眺める、の背後にあるやすらぎとくつろぎの偉大さ。

神経を刺激する情報を、わたしたちはくつろぎながら眺めることはできないんだな、と。
それはわたしたちから、なにか注意や注力を知らない間に奪っていくのだ。
だから、元気で余剰エネルギーがあるときはそれができるけれども、生命の危機みたいなときは、ちゃんと身体が拒否してくれる。

なので、今日もいちにち安静にしてたけども韓ドラを1話しかみなかった俺、えらい!としておこう。


それにしても、わたしとかんくんに食欲が戻りつつあることを想定していなかったのか、冷蔵庫にはポカリとゼリーしかなくて。
腹を空かせた俺らはさみしくそのへんに転がっていたメロンパンをかじって飢えをしのいでいたわびしい今日だった。
(旦那さんが早退してくれて肉うどんを作ってくれました!)


油断せずに明日まで安静にしてたら、いい感じの経過かなと思う。
治りかけが肝心!と野口晴哉先生もおっしゃっていたのでね。あんにょん!