
日々雑感~最近思うこと
昔、30年位前に、私の友人が「今は世の中がメチャクチャになっていると思うんだけど」と言った。
その時私は、ふうーん、まあ、そうかなあ、くらいにしか思っていなかった。
が、その直後、1995年に阪神淡路大震災が起こり、地下鉄サリン事件が起き、激震の中で私も個人的に火事にあったりして(震災とは関係無い)、生活をリセットせざるを得なくなった。
思えば1995年以降、世の中は暗い淵へと落ちていくしかなかったような感じがする。
その友人はいつも旅をしていて、電車で日本中あちこちの町に行っていたから、何か肌で感じていたのかもしれない。
そして30年経った今。世の中はメチャクチャを通りすぎて、カオスと化したのではないか。
要因は携帯電話の普及とIT化による情報量の増大? トドメはコロナ禍?社会の高齢化?
今や朝から晩まで一日中、救急車両のサイレンが鳴り響き、夏場でもインフルエンザやコロナが流行し、酷暑で熱中症は続出、詐欺事件は後をたたず。
メンタルクリニックは満員で、賃金は上がらず物価は上がる。
今を生きる私たちには、もはや、右に行くのか左に行くのか、どちらへ進めば光が見えるのかすら、わからない。そもそも光がまだあるのかさえわからないのに、進まないわけにはいかず、手さぐりで少しずつ当たりをつけているようなものだ。
何かが始まり、何かが終わる。それは、単に古い幻想から新しい幻想へと対象が変わるだけかもしれないけれど。
いずれにしろ、人間が決めることなど単なるその場かぎりの幻だから、AがBに変わったとて、本質的に何かが変わるわけでもなかろう。
始まりがあれば、必ず終わりが来る。
もし、人間の意識が進化し続けているのならば、「おしまい」は、どんなカタチになるのだろうか?
少なくとも今はまだ、旅の途中といったところ。好きな夢を見て、物語の絵を描いていられる今はまだ、「可能性」とか「希望」が有効に設定されているので、「詐欺」に合うことはあっても「絶望」はまぬがれるかもしれない。
そうこうするうちに出口は無くなり通路は狭くなり唯一見つけた梯子に皆が殺到して…
なんかそんな話があったなあ?
江戸の戯作者、平賀源内先生は、
「何事もなづめば害あり」とのたもうた。
(ひとつのものにのめり込むな、
どこからも等距離の、
ニュートラル・ポイントに居ろ)
現実はモザイクみたいに見る角度によって様相を変える。感情に流されない覚めた目は、あっけらかんとした絶望でもって、この世界を観察し続けているのに違いない。