人手不足の効用
近ごろ、町中でこんな貼り紙をよく見かける。
いいことだな、と思う。
人手が無いのに無理して店を開けて、働いている人が大変な思いをすればやめてしまって更に人手不足になりそうだし、事情がわかればお客の方も急ぐからと言って店に無理やり早く出させる要求をしなくなると思う。
大体、そんなに無理してまでやらなくてもいいのだ、たいていのことは。
なけりゃないでなんとかなるし、多少時間がかかろうと、急がなければいいだけのこと。急ぐならファーストフードをチョイスすればいい。
最近は、郵便物も普通郵便はずいぶんと着くのに時間がかかるようになった。近場で以前は翌日着いたハガキも今は2~3日はかかるようだ。関西から関東なら1週間くらいかかるらしい。
それも別に不便だとは思わない。急ぐなら速達なり宅急便なりを使えばいいだけのこと。通信手段が電子化された昨今では、手紙も単なる連絡手段と言うよりは特別なプラスαをともなうものになっている気がする。
思えば、昭和世代の私は、安くて早くてサービス良くて、が当たり前の時代を生きてきたので、最近の傾向が逆行しているような感じに見えてもおかしくないはずだが、なぜかそれは無い。むしろ、やっとそうなったか、という気持ちだ。
昔、駅売店で働いていた時には、一つの店を一人で開け締めするので代わりの人がいなくて、体調が悪くても無理して出勤していた。
周りの同僚のおばちゃんも、吐きながら店に立ったとか言っていた。今なら明らかにやりすぎだと思うが、当時は変に真面目に思いこんでいたし、他人に迷惑はかけられないから自分が頑張るしかない、という会社側に都合のいい「洗脳」をされていたようだ。
何がなんでも店を開けるとか。
店の在庫は常に満杯で欠品はしないとか。
荷物は必ずいついつまでに着くとか。
それが当たり前だった時代はもう昔なんだな、と思う。それをかなえるために人がシステムにしばられて病気になったりするのなら、そんなことはやめてしまえばいいだけのこと。
ずいぶんと無理をしてきたのだと思う。それも、単なる意味も無い思い込みのために。
こうなってきた状況は、コロナ禍とか働く世代の高齢化と人手不足とか要因は色々あるのだろう。
これからはあるものを大切にしながらのんびりなんとかやっていければいいんじゃないかな。もっともっと、はもういらない。
余った食べ物を捨てたりするぐらいなら、夕方にはスーパーの棚が空っぽになるくらいでもいいと思うが、どうか。仕事で夜遅くなる人には特別コーナーでお安くお惣菜を提供して売り切るとか。
そういう、見ていてうまく活用してるなと思える事とか、店の棚が空っぽになってもパニックにならない事とか、「いつでも手に入って当たり前」「いつも沢山モノがあって当たり前」みたいな意識が少しずつ変わっていけたらいいなと思う。
モノがなくなると多分、不安になったりするかもと思うけれど、それは長年、それが日常だと思い込んできたからであって、別にそんなに沢山無くても大丈夫だと思うのだ。
最低限というのがどのくらいなのかを考えてみたり、必要以上を求めてしまうのは何故かを、もう一度考えてみる。
私たちは目の前に沢山モノが積み上がっている状況を、あまりにも普通だと思い込んでいる。だから、もしそうじゃなくなったら、途端に異常だと焦りはじめる気がする。
けれどそんな安心感のために食べられるものまで捨ててしまう事の方が異常なのだ。
その上にどんどん値上げはされている。
どこかおかしいカラクリがあると思わないわけにはいかない。