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彼女のクトゥルフ Ⅱ 2018/0714〜0721

先週もおそろしく暑かった。目的もなく外を出歩けばバターのように身体が溶ける。そうやって不定形になった身体から神経症気味の魂がむき出しになって、カラカラとアスファルトに転がる。どこからかやって来た野良犬がそれを咥えて、トボトボと歩み去って。そんな心象で過ごした夏の日々は気がつくと何も残らず消えていく。だからここに書き留めておくことにした。

というわけで今回もクトゥルフ的な私小説。サラッと、またはダラダラなんとなく読めるかと思うので、よろしければ最後までお付き合いください。


0714 

◇上野・縄文展における人の流れとヘビのとぐろ

朝から上野に縄文展を観に行った。

上野駅から博物館の入り口、そこから縄文展の会場まで辿り着くまで、とにかくもう灼熱。日差しがジリジリと肌に差す。博物館入り口の門のところで日傘を貸し出していたが、それも納得。

さすがに建物に入ってしまえば涼しい。しかし人が多い。大河のゆるい流れにのるように縄文アクセサリーに縄文土器を眺める。

「ほら、これ普段は長野に展示してるやつ。前にも見たね。憶えてる?」

彼女が横からささやく。たしかに見覚えがあるものも多い。

彼女は縄文を愛する女で、日本全国の遺跡を巡り歩く。お気に入りの幾つかには、旅行ついでに私も連れて行ってもらった。

「この水紋式土器の模様、水の波形からきてるって言われてるんだけど、わたしは違うと思うな」

渦巻き模様でグルグル装飾された土器を前にして、彼女が自説を展開。

「これヘビじゃないのかな。ヘビがとぐろを巻いてたり、何匹も土器に巻きついてるようにも見える。ほら、むかしの人はヘビを神様みたいに思ってたわけじゃん」

なるほど言われてみれば、そうも見えてくる。たしかに古代の人々はヘビを祀っていたらしい。民俗学関係の本でも読んだ記憶がある。

またヘビというところから、長野県の諏訪大社近くにあるミシャグジ様が思い出された。

ミシャクジ様というのは洩矢神(もれやしん)という縄文時代から信仰されている白蛇の神様。その古の神が祀られた土地には、現在もその子孫である守矢一族が住んでいる。つまり天皇家よりも古くからの現人神、その血脈がいまでも続いているということになる。

なんと伝奇的で心ざわめく設定だろうか。

……ついうっかり「設定」なんて書いてしまったが、事実この場所は現実世界の長野県茅野市にある。ちなみに敷地内に資料館もあって、これがまたすごかった。

また、この場所は知る人ぞ知るパワースポットでもある。実際にそこを歩いていたら、まず彼女が「磁場が、すごい……」と言って固まり、私の免疫系も変調をきたしたようで腕と背中が急にじんま疹のようになって驚愕。しかし大変なのはそれからで……

……とまあ話がまた飛んでしまったが、とにもかくにもヘビは古代から信仰の対象であった。

四肢を持たない長い体で毒をもつこと、また脱皮をすることから「死と再生」の象徴とされたのだ。

個人的にヘビは苦手というか怖いのだが、神様だというのも分からなくはない。恐ろしいからこそ崇めるということもあるのだろう。

「……ね? ヘビに見えてきたでしょう」

たしかに無数の細長いヘビがのたくったりとぐろを巻いているようにも見えてきた。または一匹の大蛇が土器に絡みついているような。

「わたし、ヘビ好きなんだ。うちの家には大きいアオダイショウがいて、ヌシみたいになってる。それが庭にある鳩の巣をおそって卵飲み込むところとか、やんや言いながら家族で見てたもの。母親も父親も弟も姉も、みんなヘビが好きなんだよね」

彼女の実家は古くからの地主で、いまどきバカでかい庭に竹林、さらに蔵まで建っている。その広大な敷地のどこかで、アオダイショウが鳩の卵を丸呑みにする。それを彼女の家族全員が集まって見守っている。その情景を思い浮かべた。

まるで蛇神に贄を捧げてるかのような、伝奇的な儀式を執り行う彼女の家族……。かなり猟奇的な一家だ。

そんなイメージのせいというわけではないが、なんとなく体調がすぐれなかった。人が多いので早くも疲れてきたのか。すこし座って休憩する。

次は土偶コーナー。

今度はひたすら土偶を眺めて歩く。

やはり縄文の土偶は宇宙人ぽい。そして遮光器土偶を見て思い出されるのはドラえもん映画『のび太の日本誕生』で、ギガゾンビが子供心に恐ろしかった。

それにしても縄文アクセサリーとか土器に土偶、それぞれ地方によって個性とか流行があったことがうかがえて、なんとも興味深い。

そうしたものを専門に作る職人や芸術家がいて、各自で腕を競い合ってたんじゃないだろうか。作風によって、なんとか派、なんとか一門とかに分かれてたりして。

そうやって縄文ライフに思いを馳せていたら、青森県の三内丸山遺跡に行ったときによみがえった縄文時代の私の過去世……というか止めどなく溢れ出した妄想物語が、再び脳内にフラッシュバック。

それが具体的にどういう話なのか、いまここに書き連ねようとしたけど、いい加減に脱線もどうかと思う。なので今度いつか改めて書いてみたい。

禍福あざなえる縄のごとく展開する縄文ストーリーが自分の脳内で渦を巻いている。それに需要があるかどうかは知らないけど。

縄文展を見終わって、博物館を出る。

◇谷根千の手作りパン

しばらく公園沿いの道を歩いて、いわゆる谷根千エリアに入っていく。この一帯は近年やたらと人気で、外国人観光客や日本人のカップルなどで賑わっている。この日もうだるように暑い中、かなりの人が出歩いていた。

この近くに、手作りのパンを売っている店があるのだ。

この前、知り合いに連れて行ってもらったレトロなバーで、その手作りパンをサービスしてもらった。パン好きの彼女が、それをすっかり気に入ってしまった。

ここまで来たのは、そのパンを買うためだ。間もなく目的のパン屋を発見した。

普通の住居ぽい建物の1階にその店はあった。パンを売っている女性とは前にバーで話もしていて、一応は顔見知りだ。

そのとき私はウィスキーでかなり酔っていて、いつかテレビで見た『天使のパン』の話をした。それは、たしかこんな話だった。

「難病によって仕事を辞めた夫が毎日毎朝、不自由な身体でパンを一斤だけ精一杯に焼く。それを妻が『天使のパン』とパッケージングしてネット販売しているが、とにかく大人気で予約がずっと埋まっている。パンをこねているときに物言わぬ夫は必ず涙を一滴だけ流す。その理由は分からない。このパンを食べると、何故か同じように涙が一筋、頬を伝うのだという……」

いかにも感動ヒューマンな演出のドキュメンタリーだった。フジテレビだったかと思う。きっと映画化でも狙っていたのだろう。そんな記憶にも不確かなエピソードを引き合いに出して、

「そういうことって、実際あるんですかね。でも酵母とか菌とかそういう世界って、ものすごくオカルトぽくもなりそうだから、あるといえばあるのかも……?」

「……伝説的な名人になると『手に酵母菌が住んでる』なんて言われ方もしますが」

「あー、それありそう! 手の熱さとか厚さとか物理的なこともありそうだけど、一生懸命にパンこねたり焼いたりするときって菌とか情念とかいろいろ入り込んで発酵したりして、味が違ってくる。なるほどなあ」

「まあ、そういうこともあるのかも……」

「まったく同じ調理方法と技術の二人、いやな性格の奴と素直でいい奴の作ったパン、目隠しで食べ比べしたりね! あとストーカーとかサイコパスの焼いたクロワッサンとか、やっぱり必要以上に捻れて歪んでたり」

「……そう、ですね」

相手のリアクションなどお構いなしに、そうやって一方的にまくし立てた。その夜の記憶が急によみがえってきて、急に恥ずかしくなってきた。いたたまれなくなってくる。

「お久しぶりです! こないだ頂いたパン、すごく美味しかったんで、買いに来ちゃいました」

「うわー、ほんとに来て下さったんですねー。ここまで来るの暑かったでしょう」

いつものように愛想を振りまいて話す彼女の背後で、私は瓶の底にへばりつくイチゴジャムのようにじっとり黙り込む。完全なる付属物のように曖昧な笑みを浮かべ、ただそこに突っ立っていた。

そういった辛い思いをしながらも、無事にコッペパンとあんパンを購入。

コッペパンは彼女の実家へのお土産と明日の朝食に。あんパンは歩きながら一個食べた。しっかりとした小麦の香り、あんこの控え目な甘さ。素朴でまっとうな味わいだ。

もし自分がパン生地をこねたら、きっと支離滅裂で、まとまらない味になるだろう。だから私はパン屋にもなれない。

◇盆の墓参りでは不在

死んだ幼なじみの墓が、谷中霊園の入り口あたりの寺にある。

友達が亡くなったのはもう十年近く前、それから何度か墓参りに来ているのだが、この寺の坊主がなんとなく気にくわない。あまりここで悪口を書くのもどうかと思うのだが、なんというかセコい。

じつは同じようなことを生前の本人からも聞いていて「あそこには入りたくないぜ」なんて言っていたその数年後に入ることになったのは皮肉だが、まあそうなってしまったのだから仕方ない。

この寺の坊さん(今回はその奥さんだった)には来る度に釈然としない気分にさせられるのだが、今回もそこに立ち寄ることにした。

「でも東京はお盆だよ、いま。お盆だったら自分の家に帰ってるわけじゃん。だから、ここにはいないんじゃないの?」

なるほど、そうかもしれない。でも私と彼の実家は埼玉にある。だからまだいる……のかな? 瞬間的に『千の風になって』を口ずさみそうになったが、とりあえずやめておいた。不謹慎かなと思った。

この墓はもともとが南方で戦死した彼の祖父の弟のものだとかで、そこに暫定的に入れたとも聞いたような。だから新しく家族の墓を買ってお骨も移した可能性もある。そういえば卒塔婆も見当たらない。すると本当に彼はここに不在ということになってしまいそうだ。

「その友達の実家に電話して聞いてみたら?」

そう彼女が言うのだが、実家の電話番号なんていまさら分かるものかと思った。しかし意外にスラスラ番号を言えることに気づく。携帯が普及する前からの付き合いだから、よく実家にも電話していた。

その日の朝、急な知らせを彼の父親からもらって、あわててそこに駆けつけたことを思い出す。友達は、そこで本当に死んでいた。

祖父や祖母といった存在はほぼ無意識のうちにも送る側が覚悟をしているものだが、同い年の幼なじみの突然死というのは衝撃だった。

それを自分はなんとなくいつまでも引きずっている。あれから、もう十年経とうとしている。そういえば彼の実家はいまどうなっているのだろう。

この番号にいま電話をしたら、まずは彼の両親が出て、ごく普通に彼に代わってくれるような気がする。あの頃のように。

「あ、久し振り。いまね、おれそこにはいないんだぜ。あの坊さん嫌いだったしさ」

もし彼の残留思念のようなものが、いまでもそのへんを漂っているのなら。

小学生の頃から変わっていて、面白い奴だった。でも妙に律儀というか生真面目なところがあった。そんな彼なので、現在の私に対して、説教でもしてくるんじゃないだろうか。

「だから○○○○は駄目なんだよ。(彼は何故だか私をよくフルネームで呼んだ)もっと真面目に、粛々と生きたらいいだろうに」

実際に特徴的な彼の口調による説教が聞こえてきた気もするが、それは私が得意な脳内で自動再生される音声、つまり幻聴なのだろうと思われる。

ようするに私は誰かに叱られたい気分なのだ。

「でもお盆で家に帰ってるときにここにいる人がいたとしたら、それは家でちゃんと迎え火とか焚いてもらえない状況なわけでしょう。そういう人っていうか霊? ばっかりが残ってるとこに来ちゃってさ、それ考えようによったらすごく……」

なんて彼女がホラーなことを言ってくるのに耳を塞いで、ふたたび炎天下を歩き出す。

相変わらず暑い。でも暑いには暑いんだけど心なしか寒気……! それに肩や首のあたりが重い。自分の周囲が不吉な気配に包まれているような気がして気分が落ち着かない。

もういい年齢になったのだが、私はいろいろ影響を受けやすい。

◇台湾式冷やし中華と排骨チャーハン

日暮里駅近くにある台湾料理屋で、ランチの特製冷やし中華。独特のスパイスが効いて、それに黒酢が使われている。野菜もたっぷりだ。ひと味違った冷やし中華で、とても気に入った。それからミニ魯肉飯と小鉢、デザートには愛玉子(オーギョーチー)も付いてきた。

彼女が注文したのは排骨チャーハンのセット。こちらはミニ湯麺が付いてきた。

味もコスパも最高。お客さんには台湾人が多いから、きっと本場の味なのだろう。すっかり満足した。さらに台湾ビールも飲んだので、それで不吉なムードはとりあえず去った。台湾ランチによる浄霊。私の心はわりと単純だ。

◇マリオカート後、いつもの飲み屋

日暮里から電車に乗って、マンションに戻る。

部屋に入った途端にグッタリする。彼女は本格的に眠くなったらしく寝室に引っ込んでいく。私はグッタリはしているのだが目がさえて眠れず、ひとりでゲーム。

中東ぽいスラム街をパルクールアクションで飛び回りつつ、何人ものゾンビを夢中で始末した。

そこに高校の同級生から連絡。最寄り駅に着きそうだというメール。そういえば夜に飲みに行く約束をしていた。とりあえず直接マンションに来てもらうことにする。

手早く部屋を片付ける。すっかりゲーム世界にリアリティを持っていかれている私と寝起きで機嫌が悪い彼女とで、あまり噛み合わない口論。噛み合わないのですぐに終わる。

それから間もなくやってきた同級生を交え、しばらくマリオカートなどしてほのぼのと過ごす。

その後は板橋に電車で移動。行きつけの居酒屋で飲むことに。

ところが先週くらいからどうも内臓的に疲労しているようで、あまり飲めなかった。

なんだか気分も暗くなる。実年齢よりもさらに十歳くらい老け込んだような気がしてきた。そうなると自分はもうすっかり終わりだ(実際その年齢になってみれば「終わり」でも何でもないだろうが)という考えに支配され、いたたまれなくなる。

店にはしばらくずっと忘れ物の携帯電話が置いてある。いつ誰が残していったのか判然としないらしい。持ち主を割り出すためデータを確認したのだが、メールの内容がおかしい。どうやら病院関係者が共有して持っている仕事用の端末らしいのだが、自殺幇助を斡旋しているような文面。それから常連の温厚な恐妻家の薬剤師さんが、学生時代に覚せい剤を精製して横流しをしていたという物騒な過去を告白。それらの話をまるで幻聴のように聞いた記憶が残っている。

店の老夫婦はいつも通りに呑気な感じではあったが、それすらどこか不気味に思え、いいしれぬ不安。全体的に不穏な空気が流れているように私は感じていたが、それを醸しているのも感じているのも、じつは自分だけなのかもしれない。

とにかく不調だ。

「お前、それ単なる夏バテだよ。疲れてるだけだ。ちょっと前まで、おれもそうなってた」

医療従事者でもある同級生はそう言うことだし、まあそれもあるだろう。内臓的な不調と精神は密接にリンクしている。

あまりテンションの上がらぬまま店を出て、埼玉へ帰る同級生をすぐ近くの駅まで見送った。

それから彼女としばらく歩く。

「……縄文展のさ、あのヘビの土器のやつとか」

ふと昼間の博物館のイメージがよみがえって、私が言う。

「なんか全体的にクトゥルフぽくなかった? もしかして縄文人、クトゥルフの神とか崇めてたりしてね」

もちろんそれはただの思いつきだ。クトゥルフ神話というのは、20世紀のアメリカで、有色人種と海洋生物(タコとかイカとか甲殻類とか)が大嫌いな偏見まみれのパルプ作家が生み出した、人工の神話体系である。そんなものが日本の縄文時代において信じられていたはずはない。

「まあでも分からなくもないかな。言われてみればイメージが重なる」

ところが彼女もその思いつきを肯定して、私の妄想はさらに広がっていく。

あるいは神経症気味で偏屈なラブクラフトが錯乱の末、宇宙の真理とかそういうものに審神者としてアクセス。彼の解釈によって、その真理はコズミックホラー、ゴシック調の怪奇小説として語られ、パルプマガジンに掲載された。けれどそれは実際に普遍的な宇宙の神話なのかもしれない。

それに近いような信仰だとか畏怖を、縄文の人々が抱いていても不思議ではない。つまりクトゥルフは根源的な恐怖、神や宇宙人、オーバーロードの実相を捉えている可能性もある。

そういえば、縄文土器も有名な遮光器土偶だけでなく合掌土偶とか、やたらと宇宙人ぽい造形が目立つ。

やはり古代に外なる神や邪神が宇宙から飛来していたのだ……なんてひとしきり気分が盛り上がっていく。

そんな薄暗い夜道。すぐ横を歩いている彼女のシルエットが、さっき見た土偶に似ていることにふと気がつく。


0715

◇東京のお盆は早い

彼女の実家は東京に古くから根付いた家系で、古い儀式とかしきたりを異様に(埼玉の新興住宅地に生まれ育った私からすると)大事にする。だから毎年この時期には必ず実家に帰る。

お盆の迎え火、送り火など盛大にやって、近所の人とか親戚も大勢集まるらしい。なかにはもちろん、あの世から帰ってきた人々も混じっているのだろう。なにせお盆なのだから。

そういうわけで部屋にひとり。

昨晩は大して飲んでもいないのに、やはり内臓的な不調に悩まされる。つまり精神的にも不安定。

とにかく家でじっとしていたので、この日の記憶はほとんどない。ひとりで書き物などをしていたが、二日酔い特有の不安感に終始包まれていたような気もする……。


0716

◇地獄の蓋が開く日

この日は、閻魔の齋日

「今日は地獄の釜の蓋も開くんだよ」と彼女が説明してくれた。

地獄の閻魔様も獄卒も、江戸とか明治期の労働環境で有給もクソもない(その意識もなかっただろうが)使用人たちも、この日ばかりはお休み。みんな実家に帰ったり、好きなように過ごしたらしい。

この話は、去年もその前の年にも、まったく同じ文言で彼女から説明されていた。

彼女はまるで同じ時刻、同じ場所で自動的に作動するリマインダーとか博物館の音声ガイダンスとか、そういったアプリケーションのようだと改めて思う。じつは自分でも自覚があるらしい。本当にそういう存在なのかもしれない。

巣鴨にある閻魔堂にお参りして、その帰りにはプレスリーだらけのレトロな喫茶店スカイに立ち寄ってランチにした。

彼女はドライカレーで、私はイカキムチ定食。ここは料理メニューが充実している。他の喫茶店ではまず見かけないイカキムチというメニュー。ズッと気になっていたそれは、かなり辛目に仕上がっていた。すごく真っ赤な色をしている。

地獄には色んな種類があるらしいから、イカキムチ地獄なんてのもあるかもなと妄想しながら完食。じつにうまかった。


0717

◇モンキービジネス

夕方、新宿駅で待ち合わせ。彼女の知り合いの女性が監督した映画を観る。土曜の朝にやっているアニメ『おさるのジョージ』の原作者夫婦のドキュメンタリーだ。

共同制作の絵本でイラストを担当した旦那さんは、天才肌で無邪気で優しいおじさん。それと対照的に、話つくりやプロモートを主に担当する奥さんはすごく強気でグイグイいく人だったらしい。ふたりはよくバランスが取れ、互いを大切に想い合う夫婦だったという。

そんなふたりのエピソードはわりとぶっ飛んでいて、ナチスドイツが侵攻してきたパリから改造自転車で逃げ出すなど見せ場も多い。しかし演出はわりと控え目というか、ごく真っ当なドキュメンタリー作品に仕上げたという印象。

もっとふざけるというか、オーバーに盛り上げてもいいんじゃないかと思ったのだが、クラウドファンディングでユダヤマネーの出資を受けて(夫婦はともにユダヤ人)いるらしい。その関係で遠慮とか忖度? なんて邪推もしたが、まあそんなこともないか。

全体的にはオリジナルのアニメーションなども可愛らしく、きれいにまとまっていた。

◇特攻隊が集った店の薩摩料理

映画の後には新宿三丁目に歩いて、薩摩料理の居酒屋。雑居ビルの地下に降りたところにある店で、かなり古くからありそうだった。

実際に店の人が言うには、鹿児島の知覧で若い特攻隊員たちに料理を振るまっていた「特攻の母」なる女性がはじめた居酒屋らしい。話をしてくれた男性は、その人の孫。まだ小さい頃、この店に遊びにくると特攻隊の生き残りの人達が集って飲んでいたという。歴史と物語が漂う店である。

9時頃になると仕事がようやく終わった大学の同級生も合流して、三人で飲みはじめた。

料理はそこそこ値段もするが、ちゃんと鹿児島から食材を仕入れている本格的な薩摩料理。それでやっぱり芋焼酎の種類が豊富で、そっちの料金はかなり良心的。またグラスになみなみ注いでくれるのがうれしい。

やはり人気なようで週末などはいつも予約で一杯らしい。週のはじめくらいに少人数でスッと入るのがよさそうだ。


0718

◇二日酔いのときは鬱ぽくなる。心が辛い。だったら飲まなきゃいいじゃんと言われると、それもそうだ。本当に自分はどうしようもない人間だ……って余計に憂鬱になるから言わないで

↑の長い小見出し通りの状態。とくに外出の予定もなく、部屋のなかで身動きとらずに固まっていた。

彼女が大量に注文していたネット通販の段ボールが届く。なるべく配達の人を見ないようにサインして受け取った。だから次々にやって来てチャイムを押す配送業者が、相貌のない不穏の象徴のように思えてくる。

「荷物、よかったら開けといて」

彼女からそう連絡が入るが、開けるのをためらった。冷房を効かしてブラインドを降ろした薄暗い部屋で、積み重なった段ボール箱をじっと眺める。

昼頃、せめて少しでも生産性のあることをしようとパソコンを開く。しばらく文章を打ち込むが、すぐに気が散る。漫然とネットを眺めていると、同世代の自主映画監督が商業デビューをしており、しかもその評判がすこぶるいいことを知る。直接的に面識はないが、間接的には知り合いだ。かつて自分が参加していた作品のことなどを思い出す。やはり悔しい。しかし自分よりも直接面識のある人の方がきっと悔しかろうなと、何人かの顔を思い浮かべる。

結局のところ自分には共同作業は向いていない。他人との関係も上手く行くところでは上手くいくにしろ、ストレス耐性であるとか、相槌とか愛想笑いとか、ようするに我慢とかそういうもの、さらに言えばもっと根源的なものが私には欠落している。だから破綻した。

そんな生活と精神の改善、そこまでいかずとも気晴らし、脳のうんこ、いわばリハビリのためにnoteをはじめた。これはこれでいいのかもしれないが、いまのところ一銭にもならぬので、また単価がおそろしく安いWebライターを再開しようかとも思う。あるいは以前の職場に頭を下げる、しばらく放置していた転職サイトをチェックする、いい加減にそういう行動をとった方がよかろう。分かってはいるのだが、まったく関係のないインターネット空間を徘徊。

きっとスピリチュアル的に表現すれば、いまの自分は「波動が下がっている」。Twitterなどをのぞいてみても、人の悪意や欺瞞、つまらないプライドにまみれた自意識の醜悪さ、歪んだ承認欲求ばかりが目に入り、なかでもとくに気にくわないアカウントが自動ピックアップされる。さかのぼってあらゆる発言をチェックすると、そのすべてが気にくわない。見なきゃいいのに。自ら不快感を味わいにいく、このスタイル。そうしたアカウントに抱く嫌悪感はそのまま自己に対する嫌悪に相似。だからそのアカウントのことがよく分かる。滅びてしまえばいいと思う。私のこのような部分を道連れに。

あれよあれよと波動が、魂のステージがどこまでも下降するスパイラル。邪気がこの身体でマニュファクチュア、さらなる邪気を呼び寄せる。もうすぐ額に邪眼が出現する。いまさら厨二病がはかどる。

闇属性の暗い波動を放つ私は冷蔵庫を開け、そこにあったチーズケーキを貪り食った。これは一昨日来た友達のお土産だ。甘い。うまい。

甘く冷えたケーキを立て続けに2個食べて、なんとなく頭が落ち着く。

それで気弱になっていることもあって、高校の同級生にお礼のメールを打つ。この間も波動が安定せず、飲んでも盛り上がらなかった。たまに会ったのにスマンと詫びておく。

彼女が帰ってきて、積み重なった段ボールを開ける。その一つから、彼女が私へのプレゼントに注文したというアロハが出てくる。

薄い黄色の生地に、骸骨人間がサーフィンやギター、ドライブなどをしているポップな絵柄。

「ね、可愛いでしょ?」

これはある種のメメント・モリなのかと思いながらアロハを受け取る。

よく考えれば、私は数年前に死にかけた。そこから拾った命だ。ついでに昨年も原因不明のアレルギー性肺炎で死を覚悟した。いまは嘘のようにピンピンしているが。喉元過ぎればなんとやらだ。

私もこの骸骨のように、もう死んでいるような気分で楽しく生きたらいいのだとも思う。

夜、彼女は仕事で疲れているらしく、早々に寝てしまう。

ベッドの横に立って、じっとその寝顔を眺めて「ごめん……」と呼びかける。まったく私は不甲斐ない。だからサザンの『涙のキッス』でもYouTubeで見ようかと思ったところ彼女が目を覚まし、私の安易な感傷タイムを阻んだ。

「緑のさ、なんか、苔みたいで分裂するやつ……。ぶわって、なるやつ……それ、なんてクトゥルフだっけ?」

起きるなり聞いてくる。またそういう夢を見たらしい。

そして多分、それはヨグ=ソトースじゃないかなと思う。

そういえば先週注文した『図解クトゥルフ神話』もさっき届いていた。そっちでもチェックしてみようと思う。


0719

◇まったく記憶がない

思い出そうとしても、なにも出てこない。記憶をなにかに食われたような欠落。なにがあったのか。


0720

◇土用の丑の日

夜、冷凍していたウナギの蒲焼きをレンジでチン。そこにタレをかけオーブンに少しかける。炊いた米にその蒲焼きをのせて、即席のうな丼

これは彼女が実家から貰ってきたものだ。よくは知らないが、有名どころの蒲焼きなのだろう。冷凍されてはいるが、クオリティが高級。そもそも土用に鰻を食べる習慣なんて、彼女に会うまでの私にはなかった。

「土用の丑の日に鰻を食べるけど、梅干しも土用の日から干すんだよ。それは知ってた?」

「ほら、こうやってヒルコが庭に干すの。三日三晩、昼は太陽に晒して、夜は夜露をたっぷり吸わせる。そうすると、ふっくらした梅干しができるんだよ」

彼女が大量の梅干しの写真を見せてくる。ヒルコというのは彼女の父親のことで、これは私が付けたあだ名である。いまでは彼女も普通にそう呼ぶ。

ちなみに「ヒルコ」とは諸星大二郎の『妖怪ハンター』シリーズに出てくる登場人物、というよりクリーチャー。

これがヒルコのフィギア。あやしげな古墳の奥が黄泉の国につながっており不用意にそこに足を踏み入れると、これに襲われる。

そして空間のゆがみ的なものにより中途半端にこの怪物と一体化してしまい、頭部から節足を生やしてウゾウゾ動き回る男。

彼女が話す父親のエピソードから、このシーンが連想されたのだった。

ヒルコ(彼女の父親)は、日本全国の寺社仏閣や古代遺跡を、独自の哲学だか信仰だかに基づいて定期的に巡っている。普段から常人の三倍くらいの速さで歩くから、その巡礼も凄まじいスピード感と過密スケジュールで行われる。娘である彼女もそれに同行するが、付いていくのが大変らしい。

そのような巡礼や独自の祭礼、または普段の生活における奇矯な振る舞いを通して、おそらくヒルコは太古の地霊とかの復活を目論み、あるいは逆にその復活を阻んでいる。

どちらにしても神秘や怪異に感応して日々蠢いているのだと思われる。

その霊的な実相は、諸星大二郎が描いた「ヒルコ」のように、頭から節足が生えたようになっているに違いない。普段から人とは違った方向にフル回転する脳を擁した頭部(実際に幼少期の知能テストはすごい結果だったらしい)、そこにシャカシャカとよく動く何本もの節足が直結する。

彼女の父親はそのような存在だ。本質的には、頭部と脚部のみで構成されている。私はまだ会ったことのない彼女のヒルコを、大変に尊敬している。

ヒルコとは元来は日本神話における神。水蛭子または蛭子という漢字が当てられる。伊弉諾と伊弉冉の国産みの際、最初に生まれた神であるが、不具であったため海に流された。そして流された先では吉兆をもたらす神とされるエビス、つまり七福神のメンバーの恵比寿様と混同、同一視されるのだ。つまりヒルコは福の神でもあるのだが、やはりその出自から王権を脅かすような底知れない暗闇をうかがわせる。ちなみに路線バスの旅をしていた往年のギャグ漫画家もその眷属らしい。彼にまつわる都市伝説は有名だ。

そんなヒルコが毎年つくる梅干し。

これはいかにも御利益、あるいは祟りに溢れていそうである。霊験あらたかな梅干しだ。今年の出来も楽しみだ。

そういったことをツラツラと考えていたら、ようやく元気が出てきた気がする。ウナギで滋養がついたのかもしれない。

ところで梅干しとウナギは食い合わせが悪いというが、それは嘘らしい。

0721

◇夏にうだる少女と、闇に蠢くもの

朝から録画していた『時をかける少女』を再生。

公開された当時、自分の周りでも大いに流行っていた。久し振りに全編通して見返す。

相変わらず夏の青春がまぶしく光る。少女のスカートが短い。でもパンツはチラリとも見えない。

この少女は本当によく走る。でも今年の夏だったら、さすがにこんなに走れはしないだろう。なにせ殺人的に暑いから。走ろうとしても、すぐにへたり込んでしまう。それでは時はかけられない。ただ夏にうだる少女。まあそれもちょっと見たいような気がする。なんかエロそうだし。

ところで(完全にネタバレになるけど)最後の方で未来人の少年が時を止めて主人公の少女に話しかけた後の展開が、ちょっとおかしいように思えた。

なんで主人公の手首のカウンターの数字(タイムリープできる回数を表す)、一回分戻ってるんだろう。

「未来人が時を戻したから、最後の一回を使う前に戻ったんでしょ? 別に変じゃないよ」

「物分かり悪いな、こいつは」という目で見ながら、彼女が言ってくる。

でも、そうじゃない。

未来人が時を戻したのに、この少女には「なかったことになったはずの記憶」がまだある。それがおかしい。主人公の連続性はずっと保たれている。つまり書き換えられたはずの未来が「なかったこと」になっていない。

そこが疑問だと私は言っている。

「これは主人公を視聴者と同じ視点に立たせるため作劇上の必然で起こる矛盾なのか、それとも未来人の使っているデバイスは特別性で任意の相手の意識を一緒に巻き込めるとか、タイムリーパー同士が接触するとそういうことが起きる設定なんだとか、なんらかの説明があってしかるべきじゃん。でもないわけでしょ。だからおかしいって言ってる」

「……たしかに。巻き戻された時間の記憶あるっぽかったね」

「だろう? だろう? そうだろう? おれSF的な視点があるから、そういうとこ気がついちゃう。なのに頭悪い奴に言い聞かすような言い方してきちゃってさ。すごい心外だね!」

いつになく彼女を言い負かした。それで得意な気分になって、落ち着きがなくなっている。自分でも分かる。意味もなくウロウロ部屋を歩き回りながら歯を磨いた。

映画を見終わって、彼女はシャワーを浴びて化粧をはじめた。これから出掛けるので、身支度に忙しい。

「そうだね、すごいね。SF好きだもんね。ついでに食器も洗ってね」

言われるがまま朝食の洗い物をすませる。

「あとベランダの植物にも水やって。ゴーヤもチェックしてね」

またもや言われるがまま素直にベランダへ。じょうろで水をやりながら、ついでに歯も磨く。私も出掛ける支度をしなくてはならない。

「出掛けるときゴミも出しちゃおうか。まとめといて」

キッチンの流しにたまったゴミなどを一つにまとめて玄関に出しておいた。そのついでに洗面台で歯ブラシに歯磨き粉をつけて口にくわえて戻る。身支度は効率的にしなけれならない。

「……ねえ、さっきからずっと歯磨いてるよ。それ何回目?」

そこでハッと気がついた。……2回目くらい? まったく意識していなかった。自分では効率的な行動を心がけていたつもりだ。

「生きづらくないの?」

彼女がこちらを見て聞いてくる。

「まあ……」

私は下を向いてボソボソと口ごもる。小さい頃から母親にもずっと言われてきたのだが、どうも私は注意欠陥多動性障害、つまりADHDの気がある。

大人になって彼女と暮らすようになってからも相変わらず、最近ますますその傾向がつよくなってきたとよく指摘される。

「いろんなところに気が散っちゃうんだね。集中力が散漫だから、ひとつのことも続かないし、かといってマルチタスクもままならない。……やっぱり生きづらい?」

「……だいぶ生きづらい」

「ずっと見てるからよく分かるけど……」

彼女はファンデーションを塗りながら眉毛を描き、ドライヤーで髪を乾かしながらエアコンとテレビのリモコンを操作している。

私は俯いて、ついには涙がこぼれ落ちそうになっている。ここ最近の状況と、それに至るまでの自分の状態。タイムリープしたら取り返せるだろうか。しかし自分のなかに根本的な欠落があったら、時間を巻き戻したところで所詮は同じことを繰り返し……。

「あなたもこうなっちゃえば、きっと楽になるよ」

彼女の頭部からはウネウネとした触手が生えて、化粧、ドライヤー、リモコン操作といった先ほど挙げたタスクをすべて同時に実行中だ。さらにもう一本の触手を使って、口紅を塗りはじめた。その姿はまるで諸星大二郎の漫画に出てきたヒルコのようでもあり、クトゥルフ神話に出てくる怪物にも見える。無数の触手はそれぞれ個別に意思を持ったヘビのように蠢いている。しかしながら優秀な生体コンピューターのように統合が取れ、驚くほど正確に機能している。正直うらやましい。

「すごく便利だよ。ヒルコに頼んでみようか?」

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