案外、単純
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やりたいことは、なんなのか。
自分がなんの役に立てるのか。
限りあるいのちを、必死に生きている人や、多くの人に影響を与えながら輝いている人たちを見ていると、まぶしく、それはそれはカッコイイ。
一方で、自分の無力さに打ちひしがれる。
必死に生きることって、カッコいいけど、何を必死にやればいいのか。
目の前のことって、どれのこと?
すきなことって言われてもなぁ。
これだけは極めたい、なんてものが、自分にはないのかも。
気分や体調に振り回されて、ぜんぜん自分をキープできない。
こうありたい!って書いた、ノートのページは、どこだったか。
借りてきた本と、しおりがはさまった本はふたつの山をつくっている。
生理さえ終われば。
低気圧が抜ければ。
部屋が片付けば。
そういう自分の言い訳に気づいてばかりで、さらに自己嫌悪。
どうにもならん。
こういう自分、外では見せないように頑張ってるけど。
家に帰ってくると、どうも、ネガティブ魔女みたいな、どうしようもない自分。
いっそ、外でも見せてみるか。
そんなの、無理か。
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という、下書きの中に保存されていた、ネガティブ沼にさまようときの自分を、ちょっと掘り起こしてみました。
なんやかんや言っても、人間、案外単純。
ちょっとだれかと話して、冗談言って、笑ったら、それだけでわりと元気になるやん。
そう、このときの自分に言いたくなったので引っ張り出してみました。
わたしなんか、歌うか、しゃべるか、笑うかで、だいたい解決するやろ。
そう言い聞かせてくれる自分がいて、なんか気が軽くなる日でした。
仏教というものに少し触れてみて、
『仏教における四苦のように、人生にあるどう頑張っても避けられない苦しみは、あきらめるしかありません。ですが、「諦める」のではなく「明らめる」と考えるのです。』
という言葉に出会いました。「明らめる」とは、事実や事情を明らかにして受け止め、今できることをするということ…らしい。
そんなこと、できるのか。
そう思いつつ、仏教の考えって、ちょっとおもしろいかもと感じました。
生まれることが、はじめの苦しみ、とは、なるほど。生きるということは、苦しみの連続なわけだと、あっさり納得する自分がいます。
日々、迷走、苦悩中のわたし。
今日も生きてます。