コンフォートゾーンからスルリと離れる2
先日のコウモリ侵入顛末で、実はその業者はウチに侵入したコウモリを追い出している。
業者はその時の作業とこれから(する予定だった)清掃・除菌作業込の料金を提示していたので、追い出し代を支払っていない。
料金を踏み倒す事はしたくないし、後で恨まれると嫌なので、
そのお代はどうするか?
と消費者センターに息子は聞いていた。
既にかなり甘く見られているのに、
支払う必要はあるのですか?
相手側が提示すればお支払いすればいいことで、特にそれについては言う必要がない。
と言われたそうだった。
驚いた・・・
ここでまたひとつ目が覚めたというか、メタ認知。
そうだ。
この暮らし系アプリのルールから言って、見積もり提示から承諾しての作業だ。
業者は名刺を渡し、そそくさとスプレーを撒き散らしはじめて私も驚いていた。
コウモリを何匹か追い出すことがパフォーマンスだったのかもしれない。
そして顧客を信用させて、意味の無い除菌清掃代ゲット。
彼らは契約を取る営業マンでもあるわけだ。手段を選ばずか・・・
私、あまちゃんですよね〜
騙す騙されるとかではなく、資本主義の一遍を見た気がした。
その出来事で、私は自分の働き方を見直そう、と無意識に思った。
というのは薄々は感じてきたが、私の仕事は自分的に悪循環のタスクばかり振られているのだ。
4年前からECサイト作りからAmazon販売まで手掛けていた。
US Amazonで販売している商品がヒットし、今度は利益率を上げるためにAmazonの船便手配をしている。
三国間貿易というらしい。
Amazonがその航路を手配してくれるのだ。そんなあまり知らていないことをやっている。
というか、やらないといけないような立場になっている。
貿易事務さえもしらないのに、外注にお願いするべきだと伝えても、社員がやってほしいという。あなた英語も多少できるし、中国語もわかるでしょ、みないな。同僚に中国人社員がいるので彼とチームで最初のその三国間貿易をやり遂げた。彼は設計担当者だか、私と同様にマルチタスクを課せられている。
まあ、仕方ない・・・が、
管理職でもないのに、そんなに責任感を持ってやる意味があるのだろうか。
・・・そのためにデザイン仕事がどんどん減っているのだ。
販促画像が間に合わず、仕方なく派遣の方にお願いすれど、指示をするのも時間を食う、出来上がっても私が修正している。
これって、そもそもがおかしい。
あまりにも理不尽に感じていたため、昨年から地道に上長に交渉し、今年の春から事務的内容・物流作業は各部署に振り分けることができた。
しかし今度は社長が自ら、とある海外ECサイトを手掛けるようにと、英語の交渉ができるでしょ、みたいな扱いで新しいタスクを持ってきた。
これは完全に甘く見られている。
やればやるほど、デザイン仕事から遠のく・・・
一方、私は今年から
副業的な物を作っている。
ひとつはアナログな手帳。
もうひとつはオンライン講座。
中小企業の一社員で、浪人息子を養育しながらの二足わらじ。
仕事で満たされていない部分、
これからデザイナー兼企画者として、どんな仕事をしていきたいか、
私なりの未来像があるので、その橋がかりのような、小さな階段をいくつか作っていこうと今年から始めている。
そのためには寝る時間を削ったり、朝早く起きてその作成に取り組んでいる。
好きでやっていること
そうなんだけど…
なんか違う気がしてきたんだ。
私は今の会社を飛び出す気持ちが、副業物を作ることで育ってきたのかもしれない。
つまり、今の会社業務以上のことをするようになり、自作自力の楽しさも分かってきた。
コンフォートゾーンから出てもいいかもしれない、と気持ちが自立し始めたのだ。