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3月の徒然(1)

🌸序

「3月の和名は実は沢山あって、どれも花盛りの優しい名前ばかりなんですよ」

弥生(やよい)
禊月(けいげつ)
花見月(はなみづき)
桜月(さくらづき)
花月(かげつ)
花津月(はなつづき)
早花咲月(さはなさきづき)

黒板にチョークの音がカツカツと鳴って、その度に砕けた欠片が光に当たってキラキラと散っていく。古文の宮原の声は今日も安定で眠気を誘う。

そもそも期末後の消化期間とはいえ、次の学年に上がる前、のんびり無関係な話をしている時点でずれている。

春眠暁を覚えず──古文の時間は休憩にもってこいだ。

宮原はうちのクラスの担任で、古典を愛しているだけあって、おっとりしているというか、浮世離れしているというか、言っていることが大体おかしい。

平安時代中期の歌人、和泉式部(いずみしきぶ)が大好きだと言う宮原は、ことある事に高らかに宣言する。

「ではこの問いが解けた人には、私の大好きな和歌の内一つだけ、特別に教えてあげますよ」

……ご褒美にもなってないんだよなぁ。
一生知らなくても問題無さそう。

窓で揺れるカーテンごしに外をぼんやり眺めているか、別教科の勉強中か、イラスト描いているか、隠れてスマホ触っているか、要するに誰も問いに答えようとはしていない。

一人を除いて。

中谷葉月(なかたに・はづき)は、クラスの中で特別目立つ方ではない。いつも大体本を読んでいる文学少女という印象。
ただ、暗いかと言えばそうでもなくて、数人の友達と休み時間にケラケラ笑っているのもよく見るし、不機嫌そうな顔は見た事がない。80点。

これって結構凄いことのような気がする。

思春期真っ盛りは過ぎているとはいえ、まだ何者にもなれていない不安定さの中で、不機嫌そうな顔している奴は案外多い。

大体、和泉式部って誰?紫式部と清少納言なら聞いたことあるけど?

噂によると中谷葉月は、宮原の大好きな和泉式部の和歌をコンプリートしているとか、していないとか。マジだったら、ある意味勇者で開拓者。先陣切って勇ましいことだ。やっぱ75点が妥当?

そうやってクラスメイト観察しながら無礼千万に格付けしたり、脳内アテレコ吹き込んだりしている間に授業は終わり、宮原が黒板を消し出した。

遅れてチャイム。鳴り終わる頃には、もう宮原はいない。いつもの事だが、あいつマジで残業しないよな。そこだけは尊敬する。

「おいナルミ、今日も行くぞ」

俺の名前は鳴海奏多と書いて、なるみ・かなたと読む。なんとも騒々しい名前だ。頭の中ではザッパーンと波が打ち寄せては鳴り響く。
音大で出会って結婚した音楽好きの両親らしい名付けだと思うし、まぁわりと気に入っている。

名前を呼んできたコイツは中学からの腐れ縁、安藤春樹(あんどう・はるき)。
いつもカラオケに行きたがる。なんでそんな毎日歌いたいかねぇ。歌は好きだけど、毎日となるとお財布も喉もキツい。まぁ、断ったことないけどさ。

俺も歌うのは好きだから。

行きましょうかね、と薄いカバンを掴んで帰り支度。ホームルームが残ってるけど、これ以上宮原の声聞いたらねむみが重症で限界だし手遅れになる前に今日はもう早退です。
おつかれさまでした。

下駄箱で、逆にこれからクラスへ向かうだろう宮原とすれ違う。
目線で問うな、口を使えよ、先生。

「安藤君、鳴海君、今日はずっと起きて授業聞いていたから、教えてあげるね」

聞いてない、教えてくれなくていい、言いかけてふと過った中谷葉月のコンプリート伝説。

”つれづれと  空ぞ見らるる  思ふ人  天降り来ん  物ならなくに”(つれづれと  そらぞみらるる  おもうひと  あまくだりこん ものならなくに)

──ぼんやりと空を眺めずにはいられないのです。愛しい想い人が空から降って来るなんて事、ないとわかっていても──

「春だからと言って、浮かれて空ばかり見ていると、足を掬われますよ?」

珍しく辛辣な台詞を吐いて、注意するでもなく教室へいつも通り向かう後ろ姿を見ていると

「誰も聞いてないのに、アレさ、自分が言いたいだけだよな」

と安藤が言った。

あぁ、そうだな、と答えながら、空から降ってくる少女の幻想は、有名なアニメに出てくる三つ編みの少女ではなく、中谷葉月にどこか似ていた。


つづく ⇒ (2)破


休憩書き

このあと、『破』『急』と連載する予定の為、あとがきではないので休憩書きです。
(そんな日本語は無いので今作りました)

3月が始まりましたね。

年度末で多忙の方も、新学期や新生活前の方もいらっしゃると思いますが、何かそわそわ、わくわくが混じった気持ちになりませんか?

3月って、クラス替えや卒業、転勤といった別れのイメージがあるのと同時に、何かが始まる前の準備期間というイメージがあって、落ち着かない気持ちになります。

そんな落ち着かない春の弾む気持ちを書いてみようと思っています。短編なのに、ゆっくり書きたくて連載形式にしました。

続きもお付き合い頂ければ幸いです。

日常の延長に少しフェイクが混じる、そんな話を書いていきます。作品で返せるように励みます。