Lycian Way #2 ~そして僕は途方に暮れる~
おばあさんVS魚
重い腰を上げてLycian Wayを歩き始めたのは、フェティエに到着してから3日目のこと。
もう少し滞在したい気持ちを押し殺して歩き出す。
帰国便のリミットがなければ一週間は滞在していただろう。
歩き始めは息が上がる上がる。
体も環境に慣れていないせいかだるい。
アスファルトの坂をしばらく歩くと途中で砂利道にそれる。
それっぽい道に入った。
とげとげの葉っぱが多い道だ。
短パンの僕には試練の道。
早速Lycian Wayの洗礼を受ける。
アスファルトの道には水の入ったタンクがあちこちに置かれていた。
これは非常用の飲み水なのか?
使い道、使ってい良いのかも分からないが、水分不足で倒れる心配はなくなった。
アスファルトの舗装路と砂利道の峠を抜けると≺Kayaköy≻という小さな町に着いた。
小さなマーケットを見つけたので少し休憩。
コーラを購入しお店の前で体に流し込んだ。
キンキンに冷えたコーラが体に染み渡る。
体力が尽きていた僕はげっぷを抑える力も無く、喉の深いところから「ごえぇ~」という音色を奏でた。
手持ちの温度計を確認すると気温は34℃、湿度は16%。
タンクトップは汗でビトビト。
ただ、湿度の低さと容赦なく降り注ぐ太陽の熱ですぐに乾く。
小さな町ではあるが観光客の姿が多い。
ゴーストタウンを観光するためだろうか。
僕も次の町に行くために入場料を払いゴーストタウンを通り抜ける。
(入場料は70リラくらいだった気がする。)
ゴーストタウンの入り口にはお土産屋さんがあった。
お土産屋のおばあさんに声を掛けられ、銅像のようなものを押し売りされそうになるも、「It's heavy」の一点張りで難を逃れた。
理由は分からないが、去り際に手書きのナザールボンジュウ付きのブレスレットをくれた。
何故無料でくれたのかは分からない。
餌として釣りに使ったのか、シンプルな優しさなのかは分からないが、僕はお礼を言い、遠慮無くブレスレットを受け取り、お店を後にした。
僕は無料という言葉にすぐに食いつく魚だ。
今回は餌だけ頂いた僕の勝ちだ。
おばあさん本当にありがとう。
敵対意識を持ってごめんなさい。
世界に羽ばたけ
ゴーストタウンを抜けて山道に入った。
この山道を降りた先にビーチリゾート ウルデニズ≺Ölüdeniz≻がある。
出会った人に「Ölüdenizのビーチは綺麗だぞ!」と聞いていた為、メインルートではないが寄ることにした。
Ölüdenizのビーチから北に3㎞ほど歩いたキャンプ場に宿泊する計画だ。
ビーチに向かう山道の傾斜もきつく、大変であった。
ただ素晴らしい景色だったのを覚えている。
ビーチに着いてフラフラとお散歩。
ビーチには無数のパラソルベッドが並べられている。
その上で昼寝をする沢山の人の姿があった。
さすがは人気のビーチ。
海に入りたい気持ちよりも、荷物をほどく面倒臭さが勝り早々に撤退。
それに、それなりの疲労もあった。
ビーチから道路に上がった先には二人のバックパッカーの姿があった。
名前はÖmerとBahar。
二人はアクセサリーを売って、トルコ中を旅していると言う。
値段は付け値。
買い手がその気持ちを渡す。
この手のお金のやり取りは苦手だが、僕は応援の気持ちと同族に出会えた喜びもあり、ネックレスを一つ購入することにした。
相場も何も分からないので、僕の気持ちと感覚で支払った。
また、段ボールの上にアクセサリーが並べられている光景を見て、あることを思いついた。
「二人にゴザをプレゼントしよう。」
フェティエで二泊目のホステルに泊まった時、そこのハウスメイトであるジャンスーにお披露目したあのゴザだ。
そして僕は持参したゴザを二人に渡した。
二人はすぐに段ボールからゴザにアクセサリーを移して販売を始めた。
ゴザを彼らに渡した理由は、荷物をもう少し削りたい気持ちと日本文化に触れてもらいたい気持ちがあった。
今日一日ゴザをバックパックのサイドポケットに差して行動していた。
しかし、お尻を覆えるサイズにカットして軽量化をしていたものの、体にかかる負担が大きい。
それにこの先500㎞以上持ち続けて何回使うことがあるだろうか。
体力勝負の毎日で、いざゴザを披露する局面が来ても、面倒臭がってバックパックから取り出さないのがオチだろう。
このゴザは、友人が花火大会の屋台でクラフトビールを販売していた時に一緒に販売していたものだ。
その販売のお手伝いに行った時、仲良くなったご夫婦の旦那さんに「トルコに持って行くなら君に買ってあげる。」と言われ頂いたものだ。
その思いを持ってトルコに持ってきたのだが、それなりに体に負担がかかっていた。
勿論、カットしたゴザのおおもとは実家で大切に保管している。
また、外国の方に日本の物をプレゼントすることにも意味がある気がした。
トルコ中を旅する二人が使ってくれれば、ゴザという日本の工芸品?をトルコの人々に広く知ってもらうことができる。
それが直接僕のためにならなくても、日本の文化を知ってもらうきっかけに繋がれば日本人として何かと得ではないか。
どういう形かは分からないが、そういう思いは何かしらの形で返ってくるものだとも思う。
以上、2つの理由でゴザを手放した。
ゴザを手放す理由としては十分ではないだろうか。
GIVE & TAKE
ウルデニズのビーチからアスファルトの坂を上りキャンプ場に着いた。
Aydede Campingというキャンプ場だ。
ここのオーナーも快く僕を迎えてくれた。
キャンプ場はかなり賑わっていた。
シャワーを浴びた後、テントを設営し夕食の支度をした。
バックパックから夕食を漁ってい時、日本から持ってきたトルコ語のハンドブックが出てきた。
イスタンブールやカッパドキアのような観光地を除き、基本的に英語が通じないという記事をどこかで読んだことがあった。
そのため、トルコ語のハンドブックを使いながら現地の人とコミュニケーションをとろうとしていた。
しかし、文明の発展した現代にはgoogle翻訳がある。
ハンドブックをいちいちバックパックから取り出して伝えたい言葉を探すより、そっちのほうが手っ取り早い。
ハンドブックと言っても、ポケットに入るサイズでもなければウエストポーチに納まるサイズでもない。
Google翻訳であれば言語を事前にダウンロードしていれば、オフラインでの使用が可能だ。
携帯の充電が尽きたら終わりだが、その時はパッションで乗り切るだろう。
そのため、僕は存在すら忘れていたトルコ語ハンドブックを手放すことに決めた。
これまたゴミ箱にポイするだけではつまらないと考えた。
どうせなら誰かにプレゼントしたほうが面白い。
そこで、僕のテントの隣に小さなテントを張っていた男性に声を掛け、受け取って頂けないか聞いてみた。
彼は少し沈黙した。
するとその小さなテントの中からもう一人男性が顔を出した。
僕は驚いた。
その小さなテントに男性二人で泊まっていたのだ。
そんなことを他所に、彼はテントから顔を出した男性に事情を説明し始めた。
すると、テントから顔を出した男性は「君が良いならいただくよ!」と言い、あっさり交渉成立。
僕はハンドブックを彼らに渡し、夕食の準備に取り掛かった。
僕の夕食はパンの上にツナとドリトスを乗せた特性カロリーフードだ。
そんな夕食を食べていると彼らが僕の前に現れた。
彼らの手には紙皿と紙コップ。
彼らはそれら二つを僕にくれた。
その皿の上には、サルマと呼ばれるトルコの伝統的な料理とヨーグルト。
コップの中にはマンゴーティーが入っていた。
僕は食事がグレードアップしたこと、そして大したものも渡せていないのにお礼をくれたことが嬉しかった。
幸先悪し
翌朝、僕は喉の痛み、鼻水がひどくなっていることが気になった。
というのも、前日、トレイルを出発した日の朝のこと。
僕は変な喉の痛みを感じていた。
また、トレイルを歩いている最中にサラッとした鼻水も滴っていた。
ただ、松の花粉か乾燥だろうと思って大げさに気にしないでいた。
しかし、本日一発目の鼻水は緑色でドロドロ。
完全に風邪だ。
今思えば昨日歩き始めた時に感じた、体の重さの原因は風邪のせいだったのかも知れない。
僕は少しショックを受けながらもこの現実を受け入れた。
海外で病院に行くのには少々抵抗があった。
それに、乾燥で喉からやられた、ただの風邪だろうと思った。
とは言ってもそんな状態でトレイルを続ける気にもなれず、今日はこの街に滞在しようと決めた。
まずは寝床だ。
キャンプ場にもう一泊するか、街の宿に泊まるかの2択だった。
宿を取ればしっかり体を休めることができる。
ただ宿泊料が高い。
それに、ここから少し距離がある。
さらに体調を崩したのだから、一人部屋に泊まることになるだろう。
ここでの出費はできれば避けたい。
しかしキャンプ場でもう一泊して、体をしっかり休めれる訳もない。
そして、僕は安らぎを求めて宿を予約した。
キャンプ場を出る前に、最後のプレゼントを二人に渡すことにした。
それは前掛けだ。
前掛けは友人のイベント出店のお手伝いで使っていたものだ。
本当はこれを身に着けてトレイルを歩くつもりであった。
ただ、これから続くアップダウンで足上げしづらくなるのではないか。
猛暑日が続く中、腰回りが蒸れたり股間の風通しを妨げそうだなぁ。
という「来る前に分かっただろ問題」が出てきた。
そのため、彼らに前掛けを渡した。
丁度いいことに、男性の一人は料理を勉強している学生であった。
これから使ってくれれば嬉しいな。
宿に向かう道中で、喉スプレーと鼻水抑制剤を購入。
何が何だか分からなかったが、日本人が使って効果のあったと言う商品をネットで調べて、それらを選んだ。
宿のチェックインを済ませ、レストランで栄養のありそうなご飯を食べて眠りに着いた。
明日、症状が回復しなければまた宿を取らなければいけない。
するとさらにお金がかかる。
最悪、病院に行かないといけないかもしれない。
するとトレイルを歩き切れなくなるかも。
そんな良くない考えが頭をめぐった。
そして僕は途方に暮れた。
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