Lycian Way #4 ~桃色に染められて~
地獄の谷
翌朝、カバクビーチを出発した僕はパラダイスビーチ≺Paradise Beach≻を目指した。
本日の計画は、パラダイスビーチを経由してSidyma遺跡手前のキャンプサイトで宿泊するというものだ。
キャンプサイトとは言うものの、ただの拓けた土地である。
シャワーやトイレがないことはもちろん、水も補給できないだろう。
つまり、今回の旅で初めて野営をすることになる。
パラダイスビーチまでの道のりは、岩がごつごつと隆起した海岸沿いを歩く。
分かりやすく言うなら「伊豆っぽい道」である。
それなりに高度感のある、灰色の岩肌がむき出した地形。
自分がランダムに細かく飛び出した岩肌に、足を引っかけ転ぶことを想像するだけで身震いする。
これまた細かいアップダウンの連続で体力をかなり消耗した。
しかし、そんな道も2時間歩くと、パラダイスビーチに到着した。
パラダイスビーチで小休憩&ランチを取ることにした。
ランチと言っても、ドリトスとナッツだ。
すると、男女二人がビーチに下りてきた。
二人はロシアから来たという。
このビーチが気に入って1週間ほどここでキャンプをしているらしい。
丁度、日課である海水浴の時間だったみたいだ。
ここから山道を少し上ると有料のキャンプ場がある。
そこで飲み物や軽食を確保しているらしい。
「のんびり海沿いでキャンプってのもいいなぁ。」
と思いながらも僕は先を急いだ。
二人が食料補給をしているキャンプ場まで行き、その先の谷あいを登れば平らな道に出る。
その平らな道を8㎞ほど進むと本日の宿泊地に着く。
しかし、その谷あいこそ地獄の谷であった。
標高500mアップ、距離にして約1.5㎞。
かなりの急勾配を登る。
地面も日本の登山道のように歩きやすい道であればよいのだが、ゴロゴロとした岩の上を歩く。
さらに追い打ちをかけるような気温。
僕は順調に、少しづつ谷あいを登った。
しかし、最後の最後ででルートを誤った。
ロープが張ってあったため、急勾配であったにも関わらず何の迷いもなくその道を選んだ。
疲労もあってか、Lycian Wayの白とオレンジのマークのことなどすっかり抜け落ちていた。
そこからが本当の地獄の始まりだ。
平らな道に出る直前の急勾配は、僕がルートを間違えたこともあり、両手を使わなければ滑り落ちてしまう道だった。
そしてこの道を地獄たらしめたのはトルコ特有のとげとげした葉っぱ。
それが枯れ、落ち葉となり乾燥して硬度を高める。
それに、掴めるサイズの岩の面がどんな状況か分からない。
僕は三点支持をしながら、片方の手で掴む先の岩の状態を確かめる。
崩れ落ちそうにないことが確認出来たら、その手にぐっと力を入れるのだが、高確率で硬度の増したとげとげの枯葉を巻き込む。
「ぐあぁぁぁ…」
しかし、手を離すと滑り落ちてしまうため耐えるしかなかった。
とげとげ葉っぱチクチクの刑だ。
「あぁぁぁぁぁ… …クソが... …なんだこの道… …誰が考えたんだよ… …」
と心の声が漏れる。
暑さ、疲労、痛みが絶えず襲い掛かる状況に僕は苛立ちを隠すことができなかった。
僕は必死に耐えながら最後の傾斜を登った。
そこでようやく正しいルート上に出た。
正しいルートを振り返って見ると2本足で十分、ことのほか歩きやすい道であった。
怒りに任せて放った、「誰が考えたんだよ…」のアンサーとしては、「誰もそんな道を考えてない」である。
僕の手には細かい葉っぱが刺さり、血が滲み出ていた。
最悪だ。
おまけに終始口を開けていた為、喉もカラカラ。
残りの水も少なかった。
僕は命からがら地獄の谷から這い上がった。
満身創痍であった。
しかし、その先にはご褒美が待っていた。
再び天国へ。
そして天国へ
地獄の谷の先には天国があった。
僕はそう信じていたから登ることができた。
というより、その存在を知っていた。
その天国と言うのは、グランピング施設である。
このグランピング施設で、食事と水分の補給をしようと考えていた。
勿論、宿泊するお金は持ち合わせていなかったが。
何かしらの食事とジュースは手に入れることができると踏んでいた。
それらが無くても水は100%手に入る。
グランピング施設で僕を待っていたのは、ベルカイ(Berkai)とドゥイグ(Dyugu)の二人だ。
ベルカイは満身創痍な僕を見て声を掛けてくれた。
僕は「何か飲み物をください!」と一言。
すると建物の中からドゥイグが出てきた。
こんな飲み物があるよと冷蔵庫の中を見せてくれた。
僕は手作りであろうプラムジュースを注文。
一杯目を秒で飲み干し、間髪入れずにもう一杯注文した。
生き返った。
甘いジュースを飲んで一息つく。
二人は、僕の様子を伺いながらサルマを作っていた。
サルマとは塩漬けしたブドウの葉っぱに米などの穀物を包んだトルコの伝統的な料理だ。
3日前のキャンプ場でトルコ語のハンドブックを渡した際に頂いたのもサルマだ。
その後は、お待ちかねの食事の時間。
ベルカイとドゥイグはこの施設の料理人だ。
ベルカイは、僕に料理を振舞ってくれるという。
僕は伝統的なトルコ料理をお願いした。
左から人参のヨーグルト和え。
豆とニンニクを潰したもの。
その隣のプレートは忘れてしまった。
そしてサルマにスープ。
パンもついてきた。
どれも絶品で腹がはちきれるほど量を食べた。
しばらく動けなった。
どうせ残りの行程は8㎞の平らな道を歩くだけだったので、ここでしばらく休むことにした。
まさに天国にいるような気持ちだった。
あ、パンと言えば。
大したことはない謎…(後編)
僕はベルカイに、トルコでは料理を頼むとパンが必ずついてくることについて聞こうとした。
しかし、どうでもよくなった。
そういうもんなんだと思った。
そんなことを聞いたところで、「そういうもん。」という回答が返ってくることが何となく分かった。
インドカレー屋で、ナンが運ばれてきて疑問に思わないのと同じレベルのことだと思った。
だから僕は「そういうもんナンだ」、とこの謎に蓋をした。
お披露目
食後は二人と楽しい時間を過ごした。
そこでギターまで弾いてしまった。
ベルカイはトルコの歴史、日本の歴史、アニメについてよく知っていた。
僕の名前を言うと、「ナルトの父ちゃん!」「奥さんはクシナ!」と興奮気味に。何故か源義経も知っていた。
「忍者は本当にいるの?」「写輪眼は本当にあるの?」といった可愛らしい一面もあった。
日本に移住したいとも言っていた。
あいにく、日本への移住の仕方は僕には分からなかった。
ドゥイグは笑顔の素敵な女性。
ベルカイが料理を作っている時、僕は暇つぶしにギターを弾いていた。
そこで弾いていたのが「いつも何度でも」。
千と千尋の神隠しの曲だ。
僕の演奏を気に入ってくれたみたいで、食後にもう一曲お願いされた。
G-FREAK FACTORY「ダディ・ダーリン」を演奏。
コードを唯一覚えていて、マイブームな曲だった。
この旅にギターを持ってきてよかったと初めて思った瞬間だ。
ギタレレというコンパクトで軽いギターとはいえ全長540kmの山道に持ってくる代物ではない。
無くても困らない物である。
むしろ、重くかさばり邪魔なものですらある。
でも持っていったら、何か面白いことが期待できそうだし、さすらいの旅人みたいで格好いいじゃん。という理由で持ってきた。
実は、日本を出国する直前までこのギターを持っていくか悩みに悩んだ。
空港のチェックイン時には、「手荷物に持っていくには少し縦の長さがオーバーしてますが…一旦上司に確認してみます。」とお姉さんが特別に許可をくれた。
また、3日前のキャンプ場で誰かにあげようとも考えていた。
揺らぎに揺らいだギター。
今回、ようやくその答えが出て報われた。
トルココーヒーの勧め
ベルカイから「トルココーヒーでも飲むか?」という提案があった。
僕は折角だから頂くことにした。
実は、現地でトルココーヒーの作り方を知ることもこの旅のサブタイトルとして掲げていた。
僕は作業風景を見せて頂くことにした。
伝統的な砂を使った作り方とは違い、コンロを使ったやり方だ。
そのため、自宅でも同じように作ることができるだろう。
まずは、トルココーヒーを作るのに欠かせない、「ジェズベ」と言う銅製の片手鍋を用意する。
この時点で、「そんなもの家にねーよ」と突っ込みが入りそうだが、火にかけることが出来る鍋なら何でも良い。
そして、カップ、水、コーヒーの粉、砂糖(必要な場合)を用意する。
カップはトルコ語でフィンジャンと言っていた。
エスプレッソサイズの小さなものだ。
コーヒーの粉は深入りで、できる限り細かく挽かれた粉が良い。
砂糖はお好みでいれる。この時はティースプーン一杯分。
カップ一杯分の水。
ティースプーン一杯分の粉と砂糖。
これらをジェズベに入れて混ぜる。
そして火にかけて泡が出るまで待つ。
ここでドゥイグはダンシングタイムを挟んでいた。
泡が出てきたらカップに泡を移す。
再度火にかけまた泡を作る。
泡をまたカップにいれて、残りのコーヒーをカップに移す。
伝統的なロクムと言うお菓子と、口の中に入ったコーヒーの粉を流すための水をセットして完成。
非常にシンプルだ。
ご自宅でも是非。
↓ 作り方の画像
ヤギ使いの声に乗せて
ベルカイ、ドゥイグと楽しいひと時を過ごした僕は、本日の野営地に向かうことにした。
3時間ほど居座っていた為、体力もしっかり回復していた。
後は平らなアスファルトの道を8km歩くだけだ。
僕は足取りも軽く、2時間ほどで野営地に着いた。
野営地に着いたのは17時くらい、この時期は19:30を過ぎないと暗くならない。
僕はテントを設営し、日没まで時間もあったためギターを弾くことにした。
ギターを弾いているとヤギの大移動が始まった。
隣の土地のおじさんが「サッ!!」「ヒヤー!」と大声で叫んでヤギを移動させ始めた。
僕はその声に合わせてギターを弾き、歌を歌う。
日も傾き出し、太陽は木の影をうまくかわし僕の体を温める。
勿論、歌は「ダディ・ダーリン」。
「あー太陽が西の山を突き刺して、桃色に染めながら一日を終える。」
そんな歌詞が今の状況を表していた。
「あー。最高に心地よい。」
これを贅沢と言わず、なんと言うのだろう。
そんな状態だった。
気づくと僕の前にまでヤギの群れが押し寄せていた。
ヤギたちは僕のテントに興味を示しながらも、草を食い、追いやられるように先へ進んでいった。
今まではキャンプ場で寝るとき、何かの音や、誰かしらの声がかすかに聞こえていた。
しかし今日は、ヤギ使いのおじさんの声も聞こえなくなり、辺りは静寂に包まれた。
僕はテントの中から空が桃色に染まるのを眺め、眠りに着いた。