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うさぎの鳴く声②【小説】

真剣な思いあるほど 重ならぬ
けれど誰もが 想いふかくて

ウサギのトマト

君は今、何を感じているのだろう。

この世に生を受け、幼くして親元から離れ、住まいも変わり、今キャリーバッグの中で1人苦しんでいる。
まだ小さいだろうに。

妹から託されたウサギのトマトの事を思うと、主観的に感じずにはいられない。
思ったところで、動物の運命は人間の手に委ねられている。
そう今は私の手に委ねられているのだ。

ハンドルを握る手にジワっと緊張感が走る。
ちょっとだけかじったスマホでの知識によれば、ウサギは1日食べられなければ死に近づくのだそうだ。
寂しくても死なない。けど、食べれなければ死が近いのだそうだ。

寄り添わなくてもいい。
けど、温もりは欲しい。
生きていれば1人じゃないって思うから。
けど、生きていれば1人でいたいから。

1人ご飯の多い私はそんな問答を心の中で繰り返す。
結局、恵まれてるのだろう。
1人でいるようで、誰かに愛されている。
愛情は消えない。

トマトにもそんな愛情を受けてもらいたい。

動物病院に来るのは何年ぶりだろう。
飼っていた猫が高校生の頃に亡くなってから、10年ぶりとか。


ドアを開けて入った動物病院は、先ほどの病院とは明らかに違った。
入り口にイグアナがいた。いや、違うのかな?爬虫類的な何か?

ウサギの専門ではないですがと紹介されたが、何を伝えたいかはわかった。
手広いのだ。
ハンモックを付けた小屋の中にいる何か。
はしゃぐ犬。
動かないカメ。

待ち時間もなんのその、とにかく診察して欲しいのだろう。動物病院内はぎゅうぎゅうだった。
あまりの異世界に驚きと共に楽しさもあった。
次々と入れ替わる診察待ちの患者達。種類も違い、感情も違い。服を着せられる子あり。無関心にスマホをいじる人あり。
興奮して、早々と病院を後にする子あり。
そこに寄り添う人がいる。
ペット飼う生活など、ここ何年か知らなかった。

トマトは検査と診察を済ませ、ビタミンや整腸剤を補給して、薬をもらった。
「また明日来てください」

日常であり、生きている気配がした。
私の生活とは違う、日常の光を感じた。
何かに寄り添い、大切にするというのは、こういう時間を持つという事なのだろう。

温かい。



獣医の哲也


大切にされている子は見たらわかる。
動物だからと言って、感情がわからないと思ってはいけない。
幸せそう、楽しそうな空気は、やはり伝わってくるものがある。

毎日診察をしていると、感情を噛み締める場面が何度も出てくる。
小さな街の動物病院。僕はそこの院長をしている。
志強く開業したが、やはり苦しさや限界は感じている。
生き方に正解はないのかもしれないが、適切に近い飼い方はある。
情報は日夜更新される。
できれば最新の飼育情報に触れて欲しいし、余力を持って飼育して欲しいと思う。
できると思うことが意外とできないのが、動物の飼育の現状だと思う。


小さな子ウサギを見ながら、僕は思う。
妹が飼ってるんですと伝える彼女は、紙に書いてあるメモを見ながら、症状を説明してくれる。
飼い主本人が時間を取れないことも、動物の診察ではよくあることだ。
だが、獣医療は症状を伝えてくれる人がいなければ、病気の特定すら難しい。

できることをして、あとは見守るしかない。

少し冷ややかな感情を感じながら、患者を見送った。
幸せであれ。


トマトの飼い主

学校から帰ってくると、姉はもういなかった。
書き置きには、病院に行ったこと、明日も病院に行かなければいけないこと。
予約が取ってあること。薬の飲ませ方。

几帳面な姉らしいメモが残されていた。
今夜を楽しみたいから帰ると、一言だけおどけたメッセージが添えられていた。

姉は最近実家を避けているような気がした。
忙しいとは言いつつも、意外と落ち着いた生活を送っている感じがした。
けれど、きっと姉は忙しいのだろう。
聞けば教えてくれるかもしれないが、10歳以上離れている姉の気持ちは察しがたい。
頼れば助けてくれるけど、実際はめんどくさいだけなのかもしれない。
姉はいつでも私にとって姉だった。
いつも私の手の届かない大人の世界にいる憧れの女性だった。

憧れでもあり、歯痒くもあり、母の頼れる姉であった。
父が不在がちの我が家では姉が精神的な支柱であり、尊敬の存在なのだ。

姉からのメッセージがスマホに届く。
「トマトはご飯食べてる?20粒くらい入れといたけど」
「3粒ぐらい残してたから食べてくれてると思う」
「ちょっと継ぎ足しつつ、どれくらい食べてるかわかるようにしてあげてね。薬も忘れないで」
めんどくさいと思いつつ、めんどくさいことを頼みたいなら、母より姉を頼ってきたような気がする。
姉が少し実家をめんどくさいと感じているのなら、私のこともあるのかもしれない。
現実的な意味で姉はいつでも保護者だった。
ご飯もメンタルケアも将来への備えも、めんどうな事への支えはしてくれたと思う。

ただそれが自分ならちょっとめんどうだなって思う。
だから、いつも気持ちは少し複雑だった。

3話目につづく

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