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うさぎの鳴く声③【小説】
役割に 酔えば酔うほど抜け難く
気づいた私 抜けぬと悩む
(うさぎ穴かな 落とし穴)
「今週末空いてないかな?」
母からのメッセージにため息をつきつつ、返事を返す。
「なんかあったの?」
せっかくのお休みは、せっかくのお休みとして使いたい、ささやかな抵抗。
「トマトの動物病院、お願いできないかと思って」
ついこの間起き抜けに、八百屋の配達員かのように、動物病院に早朝配達したと思ったけど、もう2週間。まだ動物病院に通ってるのか。
子供に罪はないというけど、ウサギのトマトにも罪がないということなのだろう。
仕事の帰り道、もう日の暮れ始めた空の元、道行く人を眺めながら、そんなことを考えていた。
「時間開けるようにがんばってみる」
簡単なメッセージを送ると、自分のスケジュールを確認した。
手元でなんでも解決する便利な時代だ。スマホのスケジュールを見ながら、軽くため息をつく。
今週末くらいまでの予定なら、頭の中に入っていた。半ば事務的に予定を確認しただけだ。
予定がなければ動物病院、予定があれば…母に断りの連絡を入れる。簡単なようで、受けるのも断るのもめんどくさを感じる。しばらくぼーっとスマホのスケジュールを見つめ続けていた。
「相変わらずのスカッと感だこと」
自分のスケジュールに小さくため息をつく。
予定のあてがあるわけではない。ただ、自分の時間は自分のために使いたいだけだ。そんな気持ちが小さなため息になる。
「行けそうだよ」
簡単な言葉を重く感じながら、メッセージを返した。
金曜日に開ける予定だったワインは、別日に移動になりそうだ。
飲み明かしたまま、動物病院にいくわけにはいかない。
それじゃあ、私がトマトの様な果実感を顔に漂わせてしまうことになる。
あれは20年くらい前の夏の日だったと思う。
窓越しに夜出かけた母を見送った。
とても珍しいことだった。
たまに早く帰った父と2人、珍しく家で2人っきり。
私は自分の部屋でゲームをしていた。ガタガタと動く父の動きが壁越しに伝わり、妙な違和感を感じた。
落ち着かないのだ。
父と2人で家にいる。あまりないその状況にやんわりと違和感を感じた。
父は父で、父という存在であり、家族という感覚ではなかったような気がする。
私は子供の頃から、どこか自分のことを俯瞰で見ていた。自分を守るためだったかもしれないし、冷静さを保つためだったのかもしれない。気づいたらくせになっていて、中学生になった時、友達に「そういう考え方冷静過ぎて怖い」と言われるまで、変わっていることに気づかなかった。
かと言って、いつもいつも冷静なわけではないが、冷静と衝動がいつも混じり合って、せめぎ合っている。
その日、母は母で中学生時代からの友達とご飯を食べに行ったと思うのだが、「出かけてくるね」と軽く声をかけと出かけていき、夜中に何事もなく帰ってきたような気がする。
やはりそこでも母は母で、家族というよりも1人の人間であるのだと思った。
なんてことのないその体験と日常の記憶が、ぼんやりだが頭の中に鮮明に記憶として残り、家族というものは単に人の集まる集合体でしかないのだと思うようになった。
心から甘えてしまっていいわけではない。ちょっとヒヤッとした緊張感があるものだと思った。
どこか不安定でバランスを取って成り立っている。
もちろん手放しで幸せで、安定した家庭がないとは言わない。ただ私が体験した私の家庭が、そうであったというだけなのだ。
父となる人が父に向いているとは限らず、母になる人が母に向いているとは限らず、子供になった人が子供に向いているとは限らないのだ。
そこから数年経ち、妹が生まれた時には家族という集合体の中で、自分が家事に協力し支えになることは、どこか義務のように感じていたのかもしれない。
人として一人前であることを子供心に心がけていたように思う。
もしかしたら、最初は褒められてうれしかったのかもしれないが、今となってはもう覚えてもいない。
家族とは心許せる甘えられる存在ではない。
その答えは、今なお未決事項であった。
そんな私にも心許せる存在がいた。
それが当時飼っていた茶トラ猫のトラちゃんだ。
友達の家からもらってきたトラちゃんは、私の話し相手であり、心許せる相棒だった。
トラちゃんは私に動物を愛することの意味をを教えてくれた。
だから少しだけトマトの予定を受け入れやすいのだ。守るべき存在で、一緒に生き抜く存在である。頭の中で動物に対して、勝手にそう位置付けているような気がした。
トラちゃんも喜んでくれるから、そう思うと、週末の予定を前向きに受け入れる気に、少しだけなれた。
土曜日。
後部座席にトマトと妹の奈々を乗せ、予定通り動物病院までドライブ。
ふと前から気になっていたことを聞いてみる。
「ねぇ、なんでトマトなの?」
ケージの中にいるトマトを覗いていた奈々が、不思議そうに私を見上げる。
「なんでって、トマトっぽかったから顔が」
トマトっぽい顔?
「どの辺が?」
すると奈々が両手を顔の横に当て八の字の様な形にする。
「耳がこう横にピョンって跳ねるでしょ?」
確かにトマトはロップイヤーという耳の垂れているタイプのウサギである。ピョンと跳ねているかどうかは主観の問題な気もするが。
「それがトマトのヘタみたいで、熟してないトマトみたいだなって思ったの」
茶色いトマトを想像しながら、赤いトマトを想像する。
わかったような気もするかも…?
「そっか、そうかも」
嬉しそうに奈々に言われたら、他に言うことなど何もない。
奈々は私とは違い、ちょっとアーティスティックな思考をする。よく言えば不思議ちゃんだがかと言って、フワフワと浮き足だった感じなわけでもない。
なので、奈々にそう言われたら、そういうものなのだと受け止めている。
動物病院の待合でしばらく待っていると、今日はすぐに順番が回ってきた。
奈々に付いて診察室に入る。
ここでは飼い主は奈々なので、前に出てもらうことにした。高校生でも飼っている生き物には責任を持って欲しいし、今日この時点では私よりトマトについて、詳しいはずだからだ。
などと言い訳をしてみたが、何か悪いことをしたわけでもないのに、何となく病院というのは居心地が悪い。
自分の行動に点数がつけられているような気がして、落ち着かない。
先生の白衣をじっと見つめる。作業上の使い勝手などもあるのだろうが、私はこの白衣にピリッと気持ちが引き締まる。先生という肩書きは少し緊張感を覚えるものだなと、後ろで診察を聞きながら考えていた。
学校にいても、とりわけいい生徒でも悪い生徒でもなかったつもりではいるけど、素直に受け入れる生徒でもなかったと思う。
問診を受け、くるくるとひっくり返されるトマトを見つめていると、トマトが不貞腐れた目をしていた。
どうやらトマトも大人しく素直に治療を受け入れているわけではないようだった。
不機嫌が顔に出ている。
4話目へと続く