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ミュート 【小説 幸せの復讐①】

私は人に好かれる自信がなかった。

目の前に人がいると、何を話していいのかわからなくなってしまう。
言葉が出てこないわけじゃない。
むしろ文章は私の力で、小説は私の友。
言葉の表現には少し自信がある。

けど、何を出したらいいのかわからなくなってしまう。
だから、ミュートにしてしまう。
思わないわけじゃない。ただ音にならない。

出していい話題がわからない。

たとえば今日の天気とか、たとえば美味しかった昨日のおやつとか、道で出会った面白い人、それとも今日テーブルの角にぶつかったこと?
情報の渦の中で迷子になりそうになる。
何を話せば、楽しいって思ってくれるのかな。



たった1人出会った大切な人を振り切ることができないのは、そんな事情かもしれない。

私の壁をぶち壊して入ってきた彼は、人と親しくなるのがうまく、そしてさみしがり屋な人だった。

家庭内別居なんて言葉があるなら、私は家庭外別居で旦那は私がいない地域で仕事をして、私のいない地域で生活をしている。

単身赴任で。

言葉は難しく、そして危険なものだ。
単身赴任なんて認めるんじゃなかったかな?
ただちょっと完璧な嫁でいたかった。
そんなことで動揺する人だって思われたくなかった。

今まではそんなことを考えもしなかった。
体温が35.7℃になるまでは。
何となく慣れたまま、心地いいような気がして、エアコンの設定温度を旦那の心地いい温度にしていた。その中で私は靴下と腹巻きを使い、少し温かめの布団を使っていた。

私の生活には旦那が入り込んでいる。
家庭外別居している旦那が。
自分の体調よりも身についた相手への気遣いが、忘れられない思いが自分に染み込んでいる。

ミュートにした心の声が、自分にだけ聞こえる大きさで再生された。
エアコンの設定温度を変えなさい。



ふと周りを見渡してみた。

いないはずの旦那の心地いいが詰まっている気がした。
悪くはないのかもしれない。でも、良くもない。
離婚したわけではない。愛してないわけでもない。
仲はいい。

けど、一緒に暮らしたいほどの愛情が自分に今あるのかと言われたら、少しだけ心の音量を注意しないといけないかもしれない。

幸せとは幸せになるとは、自分のことを考えることかもしれない。

結婚する時にも、そう誓った。
幸せになるって、そう誓った。


🔚



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