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うさぎの鳴く声④【小説】

きっかけは 思いゆらめき考える
その行動が つなぐ君へと

若干の抵抗感を見せながら、うさぎのトマトは軽い診察と飼い主への問診を終え、本人は健康診断へと向かった。
血液診断などを年に一回した方がいいそうで、今回はその用事らしい。
健康のためとはいえ、トマトは何をされてるかよくわからないだろうから、ウサギも獣医も大変だなと思う。

私は獣医にはなれないな。
目指したこともないけど、動物が好きだから獣医にはなるはずなのに、その動物から嫌われてしまうとはつくづく悲しい仕事だと思う。
もしかすると、獣医にしかわからないありがとうのサインとかあるのだろうか。
夜中に枕元にありがとうって、お礼でもしにきてくれたら可愛いのかもしれない。
…それもちょっと違うのか。

診察室でトマトが検査を受けているのを待っている間に、そんなくだらないことを考えていた。
「ねぇ、お姉ちゃん、これいいんじゃない?」
妹の奈々が壁を指差して声をかけてきた。
くるりと振り向くと、手書きっぽいカラフルなポスターが貼ってある。

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ポスターにはそんな文字が書かれていた。
「お姉ちゃん犬飼ってみたいって言ってたじゃん」
「言ったけど…」
ずっと前のこと、YouTubeで今話題のボールを運ぶコーギーにハマりにハマり、毎日じっくり見ていると奈々に話したことがある。
それからはコーギーを見るたびに可愛くて仕方ない。けど、一人暮らしの家に犬を上げるなんて想像ができなかった。

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ポスターの売り込みをぼーっと眺めてみる。
興味があるように見えたのだろう、奈々は続けてこう言った。
「試してみるといいよ。私もトマトを飼う前はウサギを飼っている友達の家によく行ってたよ。可愛いだけじゃないからさ、やっぱり勉強しとかないと」

我が妹、意外としっかりしてる。



トマトの病院騒ぎがあってから、少しだけウサギに興味を持つようになった。
どのような生活をしていて、どんなことに気をつけなければいけないのか、奈々と話すこともあるし、やはりそこは気になってしまう。

飼いやすいとは言い難いなとは思う。
ある面では飼いやすいし、ある面では飼いにくいのだ。
どんな動物であれ、いや人であっても、命を預かり育んでいくのは、責任でしかない。

ウサギは、カゴの中にずっと収まっているわけでもなく、庭先にほっとけるものでもないそうだ。
そういえば、学校でのウサギの飼育を反対する声をSNSで見かけたことがある。

ウサギを飼うのに注意をしなければいけないことはいくつかあるが、温度、湿度管理、環境管理は欠かせない要素だろう。
うさぎの適温は18〜24度とも言われ、日本の夏は暑過ぎ、冬は寒すぎるのだそうだ。
干し草の痛みやすい湿気は問題外だし、土で暮らす生き物なので、コンクリートでは足を痛めるのだそうだ。
環境の変化に弱く、トマトのように半日で容体が急変してることも珍しくはないそうだ。

でも、知らなければ気づかないし。
飼いやすさとして注目するなら、声を上げないことだろう。
でも、声を上げないからと言って意見がないわけでも、痛くないわけでもない。
声が出せないだけなのだ。
実際、家で過ごすトマトはかなり活動的で、身体の動きを使って自己表現をし、そしてかなりエネルギッシュに走り回るそうだ。
「こそこそ何してるのかな?と思ったら、カーテンがボロボロになってて」なんて、奈々が嘆いていたこともある。
カーテンをかじる行為はイタズラでもあり、けれどトマトにとっても危険なこと。口から入れても消化できるわけではないわけだから。
部屋の作りにも気配りが必要なんだろう。

長々と考えてしまったが、何かを飼うということは大変なことで、大人しい可愛いなんて、人間の作った勝手なイメージなんだろう。


長々とポスターの前で立ち尽くしていたので、興味があると思われたのだろう。
受付の方がペットレンタルサービスのチラシをくれた。なんでも院長先生の知り合いがやっているので、話を聞くだけでもお気軽にどうぞとのことだった。

レンタルサービスに興味がないわけでもないが、自信満々に借りようとも思えない。
そんな余裕が自分にあるのだろうか。
熟考している間にトマトの検査が終わったようで声がかかった。
「検査結果でお待ちのトマトちゃん」
診察室からの声がけに、私たちは立ち上がった。

どうやら最後の診察だったようで、診察室から出た頃には待合室に人はいなかった。
トマトも検査結果は良好で、経過観察しながら過ごせば、特には問題もなさそうだった。

ブラインドが下ろされ、病院内は休診中の雰囲気だ。数歩歩き出したところで、受付に呼ばれた。
「トマトちゃん、お疲れ様でした」
言葉の意味は伝わったかどうかわからないが、トマトがぐったり疲れていて、おそらく機嫌も相当悪いことは確かだろう。
不慣れなケージの中でゴソゴソして、寝場所が定まらないでいる。ケージを持っているこちら側としては、前に後ろに中身のトマトの重みが移動して、トマトには申し訳ないが持ちにくいことこの上ない。
しかし、こちらの勝手で病院に連れてきたわけで、それをトマトに必要なことなんだよって伝えたところで伝わるわけもない。
そんなわけで、トマトをこのケージから早めに開放してあげるべく、早々にお会計を済ませて外に出る。

そんな私たちよりもトマトよりも早く病院を出たい人がいたようだ。
入り口のドアを開けて出たところで、愛犬であろう犬を連れた私服姿の院長先生を見かけた。院内の白衣を着ていない先生はカジュアルで、当たり前にここは先生にとっては仕事場で私でいうところの会社と変わらないんだなと思った。
先生の犬は中型犬くらいのサイズで白と黒の流れるような毛並みの犬だった。クルクルと先生の周りを回りながら楽しげにダンスをしている。

先生も看護婦さんも日常があり、常に仕事をしているわけではない。
不規則な時間ながらも日常を楽しみ、生活をしているのだなと思うと、ふと親しみを覚えた。

足元に白と黒の毛並みが揺れる犬を連れながら、先生は楽しそうに笑っていた。じっと見ていると視線に気付いたのだろう。一瞬のうちに仕事モードの顔になり、「お大事に」と声を掛けられた。
私はなんと返したらいいのか分からず、なんとなく引っかかった気持ちを整理できぬまま、ペコリと頭を下げて前を通り過ぎることにした。

5話目に続く

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