『私たちのブルース』-ハンスとウニの場合-青春とほろ苦さと
Netflixで2022年4月9日配信より配信開始の『私たちのブルース』がイイ!
このドラマは、済州島を舞台に繰り広げられるオムニバス。
心の柔らかいところを突くような、ちょっとほろ苦い大人の物語だ。
そしてなんと言ってもキャストが豪華。
イ・ビョンホン、イ・ジョンウン、チャ・スンウォン、シン・ミナ、キム・ウビン、ハン・ジミンなどなど、錚々たる面々が登場する。
ここでは、Ep1-Ep3で描かれた、チャ・スンウォン演じるハンスと、イ・ジョンウン演じるウニの物語について感想を綴っていきたい。
1. 20年後の私たち-それぞれが辿り着いた場所とは
転勤により、数十年ぶりに故郷済州島で暮らすことになった銀行員のハンス。懐かしい土地で、懐かしい同級生たちと久しぶりの再会を果たす。
しかしそれはハンスの心を動かすものではなく、むしろ、長年疎遠だった旧友たちに気まずささえ感じていた。
実はハンス、銀行員として安定した生活を送っているように見えるが、借金まみれ。
心に一ミリの余裕すらない。
一方、初恋の人ハンスとの再会にときめいているのが同級生ウニ。
今や実業家としてビジネスに成功している彼女は、素直にハンスの帰郷を喜んでいた。
ところで、この二人には共通点がある。
高校時代を同級生として済州島で過ごしたことはもちろん、貧乏な家庭で苦労して育ったこと。そして、長男長女として家族を支える立場だったこと。
そんな二人にはかつてキスをした思い出がある。
ハンスに片想いをしていたウニが、無理矢理ハンスの唇を奪ったのだ。
この出来事を笑顔で懐かしむ二人。
それは二人の間に長い年月が流れたことを意味している。
それでもウニにとってのハンスは、無邪気だった青春時代の象徴。
ハンスとのキスは彼女にとって大切な思い出だ。弟たちを養うために無我夢中で過ごしてきた人生の中で、唯一キラキラと光っている。
しかし、一方のハンスは人生が沈んでいる。
娘の夢(ゴルフプロとして活躍する)に自分の全てを賭けたものの、うまくいかずにどん底。再会を喜ぶウニとは裏腹に、金目当てでウニに近づく。
***
このシチュエーション、考えただけで切なくなる。
ウニにとっては色褪せていない思い出も、ハンスにとっては忘れかけていた過去の一場面にすぎない。むしろ、人生がうまくいっていない中年男にとって、過去の自分と今の自分の比較は辛いだけ。
「なぜ、こんな風になってしまった?」
「あの頃に戻れたら」
そんな思いが頭によぎり「今」が一層惨めになる。
だいたい、たとえスタート地点が同じでも、20年も経てば全く別の場所に辿り着く。それは残酷な現実だが時の流れとはそういうものだし、人生もまた然り。
ハンスとウニ、二人が20年後に辿り着いた場所もまた、まったく別の場所だった。
そんな彼らは、変わってしまった「今」の自分達に目を向けるより、共通の思い出である「あの頃」を懐かしむ。
そこは温かく居心地の良い場所。
だからこそ、逃げ込みたくもなるのだけれど。
しかし「あの頃」や「思い出」は、遠くから懐かしむ分には美しくても、掘り返してもいいことはない「不可侵な場所」でもある。
それでも近づいてしまうほどに抗えない魅力があるのが「思い出」。
ハンスとウニはこの場所で、実際に傷つくことになる。
2. ハンスの場合-見失った人生を取り戻すまで
ところで、ハンスとはどんな男なのだろう。
貧困家庭生まれたものの、家族に支えられソウルの大学に進学。
銀行員としても支店長に就任し、それなりの成功も収めている。
そして、愛する妻と娘に恵まれ、娘の夢を必死で支えている。
なのにだ。
「娘の夢」に固執するあまり、彼と彼の周りの人々が不幸になっている。
「ゴルフを辞めたい」と弱音を吐く妻や娘の言葉には耳をかさず、母親の面倒を弟に押し付け、妹には借金を申し込む。いや、家族だけではない。友達にまで借金をしている。
そう。完全に行き詰まっているのだ。
それでも娘のゴルフ留学を諦めないハンスの執着は、いったいどこから生まれるのか。
彼の執着の根っこにあるのは自己実現だ。
つまりそれはハンス自身のため。
彼は自分の人生で成し遂げられなかったことを娘に託している。
「やりたいことに心置きなくチャレンジできる人生」を娘に与えたいと考えているのだ。
それは、そんな風に生きることを許されなかった自分の人生へのリベンジであり、生きる希望でもあった。
もちろん、初めは娘のためだったはず。でも、それはいつしか自分の人生と同化してしまった。だから簡単に手放すことができない。妻に泣かれても、大金が必要なアメリカでのゴルフ留学継続にしがみついてしまう。
しかしその一方で、「本当は何もかも投げ出したい」というのが彼の本音だったのではないだろうか。
それでもそこに留まろうとするのは、「娘の夢」に費やした時間を諦められないから。
人はコミットした時間の分だけ、それに執着してしまう…。
さて、そんなハンスが衝動的に海に入り、波の上で浮かぶ場面がある。
苦しげな表情で海に浮かびながら、彼が考えたことは何だろう。
「金を貸してほしい」
その一言と引き換えに、失うであろうものの大きさに揺れていたはず。
ハンスの横では、同じく海に浮かぶ「あの頃」の自分が心配そうな顔して、「今」の自分を見ている。その眼差しが、痛い。
「こんなはずじゃなかった」
そう思っても今更やめられないハンス。
いや、もしやめたとしても、その後の人生をどうすればよいのかわからない。
だからつい「金を借りることができれば、全てはうまくいくかもしれない」という考え取り憑かれる。
この「海の上のシーン」は象徴的だ。
自分で自分を解放できないハンスの苦しみが、広い海原でゆらゆらと揺れている。
弟や妹に苦労をさせている情けなさ、長男としての親に尽くせない不甲斐なさ、そして大切な友人の気持ちを利用する狡さ。
どれをとっても「あの頃」の彼が望んでいたものではなかったはず。
そういう意味で、20年という時間は「ハンスの人生の糸」をがんじがらめにしてしまったのだと思う。
そしてついに、すべてがウニに全てがバレる時がやってくる。
それは絶望的なことである一方、少なからずハンスをホッとさせたのではないかしら。
それによって、彼はようやく重い荷物を下ろすことを決意し、それが「ウニのお金を受け取らない」という選択につながった。
そしてその選択は彼の最後のプライドを守り、人生をやり直す決心をさせたのだから。
それにしても「自分の人生、こんなはずじゃなかった」という心情は、人生の中年期を生きる人間にとって他人事ではないとしみじみ思う。
夢中で生きてきたからこそ、ハタと振り返った時に感じる「寂しさ」や「戸惑い」、あるいは「絶望」みたいなものは、誰しも少なからず感じることがあるのではないかしら。
それでも、過去に戻ることはできない。
ならば、身軽になって前に進むしかないのだ。
そう、ハンスのように。
3. ウニの場合-人生に対する自負とほろ苦さ
ビジネスを成功させ大金持ちになったウニ。
日々飽くことなく魚をさばき、昼夜を問わず働いた努力の結果でもある。
そして仕事に夢中だった彼女は独身。
田舎で未婚は珍しいのかもしれないが、お金のため、家族を守るために人生を費やしてきた。
地に足がついた彼女の生き方は、たくましく、そして頼もしい。
同級生たちからも一目置かれている。そして、狭い世界で生きる彼女は、地元の人々との繋がりを糧に生きている。
そんなある日、忘れていた初恋の相手が目の前に現れる。
舞い上がるウニ。
そしてふと振り返る。
自分は何か大切なものを人生のどこかに置き忘れてきたのではないか?
それは、ハンスとの旅行でつぶやいた彼女の言葉に現れている。
「わたは今まで何をしてきたのだろう?」
がむしゃらに走ってきたからこそ、立ち止まると揺れてしまう。
離婚をちらつかせる昔好きだった人との旅行は、彼女の心を少なからずときめかせた。「期待をしてはいけない」と思いつつ、その感情は止められない。
だいだい、封印してきた恋心というのは、一度火がつくと燃え上がると早いのだ。
でも、悲しいことにハンスの目的は「金」だった。
それを知った時、ウニが大切に心にしまってきた「思い出」は壊れた。
無防備だっただけに、ウニの傷は深かったはず。というより、大人になってからの失恋は堪えるのだ。
観ているこちらも、心の柔らかいところをぐさっと突き刺されたような気持ちになり、とても、とても痛かった。
ともあれ、正直、ウニの気持ちを踏み躙ったハンスは許し難い。
でも、ウニもどこかでわかっていたはず。
「ハンスは変わった。そして自分も変わった」と。
ウニはずっと現実だけを見て生きてきた。
家族を養うという責任感や貧乏はイヤだという思いを胸に、ゆるい夢など抱かず、必要なものを手に入れることに集中した。
そしてその生き方に後悔はないように見える。
それが自分の生きる道だと割り切る強さが彼女にはあった。
だからこそ実業家として大成功したのだと思うし。
一方で、そんなウニだからこそ、これまで目をそらしてきた「女としての自分」に揺れたのだと思う。目標を達成した時、人生に足りなかったものに思いを馳せる余裕が生まれたという側面もあるのだろうけれど。
ともあれ、悲しいことに、ハンスとの再会はウニの美しい思い出を傷つける結果になってしまった。
それでもウニは、その現実を静かに受け入れ「大金をハンスに送る」という情けと懐の深さを見せる。実際のところ、この彼女の人間力の高さこそがビジネスの成功に繋がっているのだと思う。
とにかく、彼女は「今、自分がやれること」を見極め&実行した。
結果として、ハンスはウニの送ったお金を受け取らなかったが、そのことはウニの心を再び温めたはず。
大切な「思い出」は少し形を変えたけど、それもまた人生。
いつか「あの時あんなこともあったけど」と、良い部分だけを記憶に留めておくことが、彼女にはきっとできるような気がする。
さて、「思い出」は罪深く、だからこそ美しい。
一方で「現実」はそうではない。
なぜなら「思い出」は綺麗に包装された箱で保護されているけど、「現実」は刻々と変化する生ものだから。
それでも人は「現実」を生きるしかない。
そして時々、思い出の箱を開けて、ほろ苦さを味わうのだ。