台湾映画はゆるやかに心を揺さぶる@Netflix配信3選 『弱くて強い女たち』他
「愛の不時着」以来、韓国コンテンツ沼をさまよう私。
韓国ドラマはもちろんだけど、韓国映画もなかなかの沼だと思う。
でもそれは最近のこと。
アジア映画好きな私にとって、韓国映画よりも馴染みがあるのは香港映画や台湾映画。
台湾映画で言えば、侯孝賢監督の「悲情城市」は何度も観たし、「ヤンヤン 夏の想い出」「恐怖分子」などエドワード・ヤン監督の作品も大好きだ。
さて先日、気になっていた台湾映画「弱くて強い女たち」がNetflix で配信されていることを知った。
せっかくなのでここ数日は韓国コンテンツ沼を一休みし、Netflix で鑑賞できる台湾映画の世界に浸ってみた。
1. 弱くて強い女たち(原題:孤味)
女手ひとつで三人の娘を育てあげた秀英は、音信不通の夫への複雑な思いを抱えて生きている。そんな彼女が70歳の誕生日をむかえたその日、夫が亡くなったという知らせが入った。
夫への愛憎、夫と長年連れ添った愛人への複雑な感情を抱える秀英。そして三人三様の人生を生きる娘たち。この映画では、そんな彼女らの現実や想いが交錯する様が描かれる。
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夫の死を知った秀英は、夫の「お葬式」を彼を看取った愛人ではなく、妻である自分が執り行う事にこだわる。
ところで、お葬式は誰のためのものだろう。
故人を悼むための儀式という意味では故人のためのものと言えるが、目的はそれだけではない。故人の死を他者に知らせることもひとつの目的だし、故人と別れを告げ気持ちの区切りつけるための儀式でもある。
この「気持ちの区切りをつける」という文脈では、残された人々のための儀式であるとも言える。
話を映画に戻すと、自分の元から去っていった夫への執着を捨てきれずにいた秀英にとって、夫のお葬式はまさに「区切り」だった。
それは過去との決別であり、それまで抱いてきた感情を浄化させるための儀式だ。
だが、区切りをつけることは簡単なではない。激しい葛藤が彼女の中で渦を巻く。
一方で、娘たちが父に抱く感情は秀英のそれとは違う。
自分たちを捨てた父であっても、母が父のせいでどれだけ苦労をしたかを知っていても、父は父。呆れることはあっても憎むことはない。三女にいたっては父、そして父の愛人とこっそり連絡をとっていた。
この状況、秀英としては面白くないのは想像に難くない。
娘たちのために、それこそ髪を振り乱して働き子育てをしてきたのは母である自分。それにもかかわらず、金銭面においても精神面においても何一つ支えになることはなかった父を娘たちが庇うのは、彼女からすればやりきれない。
また、秀英と娘は距離が近いからこそ衝突が頻発に起きる。
一方、会えない父親は美化され、要は父親がいいとこ取りをしている。
逆説的だが、娘たちは母に守られて生きてきたことで、父を深く憎まずにいられた。つまりは秀英が夫によって背負わされた苦労の分だけ、娘たちの父への憎しみは薄れていくという皮肉な現象。
でもそれは仕方がないこと。
親子であってもそれぞれ別の人生を生きているわけだし、考え方が異なるのは当たり前。立場が違えば見える景色も違うのだから。
さて、この映画の根底に流れるテーマは「家族」だ。
前述の「お葬式」の話に戻すと、「お葬式」のもう一つの意味は、故人の死を悼むために家族が一同に会することにある。
たとえ離れて暮らしていても、家族が亡くなれば一旦現実の生活を止め故人を思い出す。そして故人を含む家族と自分との関係に改めて向き合うことになる。
この物語も、まさにこの「お葬式」で家族が一同に会することで起きる葛藤を体現した形で展開する。
故人の死に向き合うことで、登場人物それぞれが自分の人生を振り返るのだ。
その過程で、家族だからこその思いやりを知ると同時に、家族だからこそむき出しになる負の感情と対峙することになる。
それらを淡々とゆるやかに、リアリティを持って描いているのがこの映画だ。
秀英の人生を軸にしたこの作品が伝えたいことのひとつには、「決別すべきとき」を知ることの大切さがあると思っている。彼女が長い間消化できずにいた夫への感情は、抱えていた年月の長さの分だけ重みがあり、言葉はで語りきれない彼女の人生が詰まっている。
実際のところ、秀英の決断が描かれるラストシーンはこの作品の核であり涙が自然と溢れた。
とにかく、心に染み込むとても良き作品だった。
ところで、この映画ではビビアン・スーが次女役で出演している。日本でバラエティに出演していた頃とはガラリと雰囲気が変わった彼女。この映画のプロデュースも担当したらしい。彼女はすごく良い歳の取り方をしていると感じた。
「弱くて強い女たち」は今年のベストに入りそう。
2.先に愛した人
「先に愛した人」も家族を取り巻く物語だ。
息子の視点で描かれるこの物語は、劇団員の若い男(恋人)と暮らしていた父の死後、95日が経過したところから始まる。
保険金受取人が夫の恋人になっていることを知り激怒する母。一方、ゲイである父の恋人は無愛想で、見た目はチャラく口も悪い。
彼の家に乗り込んだ母は恥も外聞もなく、狂ったように父の恋人を怒鳴りちらすが、父の恋人も負けてはいない。
二人の戦いにうんざりする息子だが、父の恋人と時間を過ごすうちに気持ちに変化が生まれる。
ところで、この物語は「父」の心変わりに端を発しているが、恋愛のもつれを描いているわけではない。
自分の存在意義を見失った母と、自分に嘘をつくことに疲れた父、そしてマイノリティであるがゆえの苦しみを抱えつつ、純粋に父を愛した父の恋人、この三人を巡る「愛すること」についての物語なのだ。
三人の中心にいた「父」の死後、父の恋人も母も、自分の気持ちに折り合いをつけるためにのみ行動している。
それが馬鹿げた愚かな行動であっても、非難されるものであってもやめられない。彼らは恋人・夫の死を受け入れることができないのだ。
しかし、時間はゆっくりとすべてを飲み込み、不器用な二人はやがて着地点を見つける。それぞれに、愛する人の思い出を抱えながら。
父の恋人、母、父。
この三人のうち誰に感情移入するかで感じ方が変わってくるのがこの物語だ。
アニメーションで始まるこの映画はなんとなくオシャレで、なんとなくコミカルで、なんとなくシリアスで、なんとなくハートウォーミング。
主題歌を含め、全てがゆるやかで、登場人物たちの痛みがじわじわと心に染みる、そんな作品だ。
3.君の心に刻んだ名前
最後に紹介するのは「君の心に刻んだ名前」。
こちらはBL(ボーイズラブ)を扱った純愛映画。
舞台は1987年台湾。
戒厳令が解除されたばかりでLGBTに対する偏見が今とは比べものにならない程はびこっていた頃のお話。
男子高校の同級生であるアハンとバーディは、お互いに惹かれ合いながらもそれが「普通でない」ことに苦しみ葛藤する。
ただ好きになっただけなのに、ただ恋をしただけなのに、そのことが罪であるかのように扱われる現実。
自分の気持ちを隠しきれないアハンと、自分がマイノリティであることを否定したいバーディのすれ違いが切なく胸に刺さる。
自分に正直に生きられない辛さがひしひしと伝わってくる映画だ。
結局のところ、人間は自分に嘘をつき続けることなどできはしない。だってそんな生き方はどう考えても自然じゃないし、何より苦しすぎる。
ならば自分に正直になる、つまりは自分自身に向き合うしかない。たとえそれが痛みを伴うものだとしても。
そんなことを思いながら、鑑賞した。
個人的には、アハンを演じたエドワード・チェンの金城武的なイケメンっぷりに見入ってしまい、深く深く感情移入してしまった。
4.台湾映画の良さはゆるやかに感情を揺さぶること、そして映像の美しさ
「弱くて強い女たち」あまりに印象的だったので紹介(感想)に力が入ってしまったが、「先に愛した人」「君の心に刻んだ名前」も心揺さる良き作品だった。
さて、今年に入って観た台湾映画はこの3作と「ガールズ・リベンジ」の計4作。
どの映画にも共通して言えることは映像が美しいということ。
台湾映画の映像には独特の空気感があって、個人的にはそれがとてもしっくりとくる。
そして、もうひとつの台湾映画の特徴がゆるやかに感情を揺さぶるということ。
これと対局にあると思うのが韓国ドラマ。
激しく感情を揺さぶる作品が多い。
韓国映画の特徴は欲望、愛憎、復讐、悲しみなど人間が逃れられない感情をストレートに刺激する作品が多く、それに加えて鑑賞者を飽きさせないスピード感がある。
一方で、台湾映画のゆるやかさは日本映画のそれに通づるものがあるような気がする。同じように愛憎や復讐、悲しみを扱ったとしてもストレートに感情に訴えかけることをしない。劇的な展開に心が揺さぶられるのではなく、映画全体を観終えた後じわじわと心に染み入ってくる作品が多い。
なんかこう、静かに心を揺さぶるのだ。
どちらが優れているということではなく、それぞれの特徴が興味深い。
いずれにしても、しばらく離れていた台湾映画の世界に浸ったことは有意義だった。これからも新しい作品を開拓していきたいと思う。