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【読書エッセイ】どうしても本が読みたかった1日に選んだのは『母影(おもかげ)』

今日、この休日にはどうしても読書がしたかった。

どうしてこんなにも読書がしたかったのか。その理由はいくつかあるが、一つは先日聴いたstand.fmでの話題だ。話題は「趣味『読書』とはどのくらい読書量から言えるのか」というものだった。読書を趣味として公言するには、読書量や読書のジャンルが豊富でなければいけないという意見もあるらしい。

私は読書エッセイを書くたびに「読書が苦手だ」と書いている。だから趣味として読書をしているわけではなく、活字の苦手を克服する意味もあって読書をしている。しかしこの話題を聞いたとき、強烈な違和感を感じた。私はほぼ小説しか読まない。それもここ一年くらいで読むようになったばかりだ。以前はビジネス書も読んでいたが、最近は仕事として読まざるを得ない場合を除き、あまり読まない。では、そんな私には「読書を趣味とする資格がない」というのだろうか。そもそも趣味とは言っていないが、何かを楽しむことに制限が加えられるような気持ちになり、複雑な気分になった。

『趣味』という言葉を他者の尺度で制限されることがあるのだろうか。私は趣味と呼べることがいくつかあるが、それが「浅い」ものであることも自覚している。それでも趣味は趣味だ。このnoteに様々な駄文、駄作を投稿しているのも今や趣味のひとつになっている。

前置きが長くなってしまったが、今日選んだ一冊は尾崎世界観さんの『母影おもかげ』である。尾崎世界観さんはロックバンド「クリープハイプ」のヴォーカル・ギターであり、この『母影おもかげ』で芥川賞候補にもなった。ラジオアプリGERAではラランドのニシダさんと共に『ダブルスタンダード』という番組も配信している。私はその番組も聴いているので、以前から彼のこの作品を読みたかったのだが、ようやく手に取ることができた。


小学校では独りぼっちの「私」の居場所は、母が勤めるマッサージ店だった。「ここ、あるんでしょ?」「ありますよ」電気を消し、隣のベッドで客の探し物・・・を手伝う母。カーテン越しに揺れる影は、いつも苦し気だ。母は、ご飯を作る手で、帰り道につなぐ手で、私の体を洗う手で、何か変なことをしてる。少女の純然たる目で母の秘密と世界のいびつを鋭く見つめる、鮮烈な中編。芥川賞候補作品。

 裏表紙 紹介文より

小学校低学年の「私」の視点で描かれるこの物語は、「私」の知り得た限られた語彙、目線で語られている。
「私」は母が何か「変」なことをしていると感じているが、その「変」なことが何であるかはわからない。読者はその世界の裏にある意味や、「私」が理解できない大人たちの言葉の意図を知ることができるだろう。「私」の純真な語りとは裏腹に、大人たちの言動には強烈な不快感を覚えさせられる瞬間がある。この言葉ひとつひとつが持つ不快感に、この作品の凄みを感じた。

巻末には又吉直樹さんの解説が掲載されているが、このエッセイを書く前に読むべきではなかったと感じている。素晴らしい解説で、読んでしまうと影響を受けざるを得ないと感じたからだ。

とはいえ、この読書エッセイは読書感想ではないので、ここで締めくくることにする。読書エッセイだけは「だ・である調」で書いているが、これもnoteを趣味として遊んでいる部分のひとつである。そして、誰に制限されることもなく、そろそろ読書も趣味のひとつに加えることにしようと思う。



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『趣味は「面白いを探求すること」』
ミノキシジルでした。

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