ひなたぼっこばかりしていたあの頃
どうも、わたしの「です・ます」調は、陋屋の片隅で書かれたように暗くなって、よくない。
今日は、なるべくあかるく、快活に書いていくつもりです。
毎日更新しようと決めたとき、なるべく簡潔に書いていこうと心に決めたのですが、わたしは自分の書いたものが、書き終わったあとにも、ずっとずっと気になってしまう性質で、どうも、いまだに心のどこかで、他人の受けを狙っているようです。
よくない、よくない。
あまり受けを狙っても、毎日のように面白いことを思いつくのは難しいものです。他人のことは、わたしにはどうにもなりません。
今日は、あまり肩の力を入れず、ちょっと日記的な書き物をしていくことにしましょう。
日記。
このところは、修士号を取るための論文をずっと書いています。
わたしは元来の不精者で、あまり外には出がらないものですから、ずっと、研究室に独り籠もって、ひとりカップラーメンなんかをズルズルと啜ったりしています。
会話分析、と呼ばれる研究をわたしはしていて、日常会話についてあこやこれやと思いを巡らせているのですが、他人の会話を、何度も何度も、何度も何度も何度も何度も、暗い研究室の片隅で再生している様子は、はたから見ると妖怪じみているのではないかと、ときどき考えては、ひとり、そんな自分に可笑しくなってしまって、かびの匂いのする研究室の片隅で、ケタケタと、笑ってしまいます。
んふ、んふ、んふふふふんふ。
文学部の三階に、独り笑い声がこだまします。
こうしてケタケタと笑いながら修士論文を書いていると、ちょうど二年前、学部の卒論を書いていた頃を思い出します。
(卒論は、CiNiiからも見られます https://ci.nii.ac.jp/naid/120006652302/)
これは、うつ病についての論文です。
このころは、身体も心もよくなかったこともあって、これはほとんど、自分のことについて調べているような気がしながら、書いていました。
あまりにも疲れたときには、空を見上げて、大学の桜の下で、何時間でも、ぼんやりとひなたぼっこをしていました。
ずっと空を見上げていると、雲の形が、目を閉じても瞼の裏側にしばらく残って、それが消えるまでのわずかな間だけは、教授たちでさえ知らない自由を手に入れたような気持ちになったものです。
それだけなら良かったのですが、そのうち、日向ぼっこをしている自分に、だんだん欲が出てきてしまいました。
人の目につく桜の木の下のベンチで、ろくに読みもしない太宰治を片手に寝そべって、ちょっと影のある文学青年を演出しはじめたのです。大学の女の子たちに、カッコいいと思われないかな、と期待して、チラチラと周りを見返しては寝そべるのを繰り返したものですが、当然、だれも声を掛けてはくれませんでした。
真冬の寒空の下、枯れ葉だらけのベンチに寝そべっている様は、それこそ、妖怪のように見られていたかもしれません。
真冬の日向ぼっこ。
今年も、行き詰まったときに始めているかもしれません。