野口あや子さんの短歌に込められた悲哀
はじめに
今回ご紹介するのは、野口あや子さんの短歌。
造花であるがゆえの哀しみをうたった短歌
読んだ瞬間美しい情景が浮かび、心打たれた作品。
「自らを 百合の造花と 知りし夜 やさしき君の うでをかなしむ」
という短歌です。
31文字の外にある、その余韻。
百合は、何をきっかけとして、自分が造花だと知ることになってしまったのでしょうか。
ほかの生花と自身を比べて、水がなくても、しおれないことから悟ったのでしょうか?
永遠に生き続けていることから不思議に思い始めたのでしょうか?
持ち主が、別の人と花の出自について、話しているのを聞いてしまったのでしょうか?
また、事実を知ってしまった以上、知る前の自身には戻れません。どんな気持ちで暮らしていくのでしょうか。
想像の余地があり、余韻の残る作品です。清らかで切ない雰囲気がとても好きです。また、五・七・五 七・七の型にかっきりとはまっていることも、綺麗さ、爽快感があります。
私の解釈を書いていきましたが、いろいろな読み方ができる作品だと感じています。
ステンドグラス風アート『悲愴のユリ』
こちらの短歌に添えるイメージで、2019年の秋ごろに「悲愴のユリ」というステンドグラス風アートを作りました。
『自分が造花であったと知った、空虚感・哀しみ』『花の主人と百合の心の通い合い』『出会いから、この静かな衝撃の日まで、そしてこれからの繋がり。』『変わっていくけれど、背負っていくけれど、続いていく日常』を表現できていればうれしいです。
こちらは、色のついた箔で彩色する切り絵で制作しました。
百合と、百合を飾った持ち主を中心に構成し、水色・青と銀の模様のついた2つの扇のような造形物で、百合の複雑な哀しみを表現しています。この細かい模様を切って箔を貼っていく作業は、とても時間を要しました。
主人の手の形は、花への慈しみが、にじみ出るようにと思って描きました。百合の入っている紫の壺は、独特の質感を出すために箔を一度くしゃくしゃにして細かい折れ目を付けてから押し当てています。
おわりに
作者さんのプロフィールについては、下記の記事がある程度詳しいので、参考サイトを置いておきます。(無料部分が途中までなのが惜しいのですが・・)源氏物語や俵万智さんの影響を受けたことなど、バックグラウンドが垣間見れます。
https://www.projectdesign.jp/202010/pioneer/008402.php
もう少し全体的な野口さんの歩みについては、余裕ができれば、後日追記でまとめられたらいいなと思います。
短歌の世界は沼が深いと聞くので、私もお気に入りの句をもっと自発的に探しに行きたいなと思っています。
それでは、今回もみなさんの心の琴線に触れる一文との出会いがありますように。