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《エッセイ》 不安だけど生きてる。

結局、私は自分のパニック発作を克服できたのか?

答えはイエスでもあり、ノーでもある。
ドイツ語を話す国では、イエスでもノーでもない、その中間という意味を込めたいときにスラングで「ヤイン」と答える。ヤー(はい)とナイン(いいえ)の合体バージョンである。私の答えもそんな感じだ。

どうやって普通に生活できるくらいに回復したか。
私の場合、一番役に立ったのは瞑想だった。瞑想と言うと、読者さん方は何を思い浮かべるだろう。私は仏教の座禅を思い出す。私の父は、私が子供の頃からよく座禅をしていた。今では朝と晩、一時間近く座っている。

パニック発作の後、どうして私も座禅するようになったか。それが父に言われたからか、父を見て自分からやってみようと思ったか、それとも本に書いてあったからか、よく覚えていない。
でもとにかく座って呼吸に意識を集中すること、それを毎日続けることによって、自分の中の思考の嵐をちょっとだけ客観視できるようになった。
つまり、理由のない不安が自分の奥底から不意に押し寄せてきても、その感覚に呑み込まれず、不安が自分の中で波打っているのをただ見ている、ということだ。書くのは簡単だけど、実行するのはそう簡単でもない。何をするにもそうだけど、継続して練習した方が断然うまくいく。

あの頃は、まるで何かにすがるように座禅を怠らなかったな。座禅しないと、がんばって築いてきた、自分が正常でいるための助けのようなもの、異常にならないための鎧が崩れ落ちるんじゃないかと、がむしゃらにしがみついた。つまりは切羽詰まってたから、頑張れたんだ。
精神科で処方してもらった薬も、お守りのように持って歩いてはいたけれど、なるべく飲まないようにした。依存が怖かったから。最初の方はもちろん飲んでたけれどね。

パニックになってから、もうすぐかれこれ10年が過ぎる。今でも時々、パニック発作が怖いし、なったらどうしよう、と思ったりもする。そしてこの不安のせいで、何かに向かって、全身全霊込めて、全速力で走ろうとはしなくなった。何をするにも心のどこかに逃げ場のようなものを作って、無理をしないように、エネルギーを完全燃焼して訳がわからなくならないようにと、省エネで日々を生きている。おばあちゃんみたいだな。

このままでいいのかな、と言う思いが時々私の頭をよぎる。
悩んだりもする。もっともっとやらなきゃ、って焦ったりもする。
今はこれでいいんだよ、なんとかなってるし。生きてるし。
自分で自分に言い聞かせてる。

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