私には来年が無い。それがちょうど良い。
⭐️ネガティヴが嫌いな人は読まないでください!⭐️
以前にこんな記事⬇︎を書いた。
来年の自分がイメージできない。
2024年12月31日までで終わる(注:自殺予告ではありません)。
その状況は変わらないまま、最後の月である12月に間も無く突入する。
こんな状況は初体験であり、どうすればいいか分からない。
ここ半月ほどで、不眠症による体調不良が急加速してきた。
夜は浅い眠りですぐに覚醒する。
その後は朝まで眠れない。
身体が重くて起こせない。
昼間は眠いし倦怠感がひどい。
以前はそれでも炊事、洗濯、庭木や芝生の手入れなどの家事を頑張れた。
楽器のレッスンに行ったり、自宅練習もよく頑張った!
今はもう頑張れない。
倦怠感が一定レベルを越えると、気力の問題ではなくなる。
それでも、最低限の家事は何とかこなす。
これができなくなったら…と思うと怖くなる。
一般的には、不眠症→鬱病という図式だし、私の主治医の診断も鬱病だ。
私の見方は違う。
主治医は「鬱的な気分はどう?」と尋ねるが、「ぼちぼちです」と答える。
不眠症で眠れない結果、疲れ切って気分が沈む(鬱的とも言える)だけ。
母親も大学病院で鬱病と診断されて、20年間も入退院を繰り返した。
最後には、「あなたのお母さんの鬱病は重症すぎて治せない」と宣告され、系列の療養施設に移された。
しかし、療養施設の医師は、先入観を持たずに患者を観察する医師だった。
「お母さんは鬱的な症状は見られない。まずは、抗鬱剤をやめましょう。」
母は短期間で動けるようになり、顔に表情も戻って、すぐ退院となった。
「鬱病でない人が抗鬱剤漬けにされて廃人同様になる事例、実は多いです」
いい加減な医療を長年見てきたので、医師のことは基本的に信じていない。
私も鬱病ではなく、原因不明の不眠症だと確信している。
(原因は「そういう体質・気質だから仕方ない」ということ)
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1週間前、バイオリンの練習中、左肩甲骨に突然激痛が走った。
もちろん、バイオリン練習は中止。
バイオリンどころか、呼吸すらまともに出来ないくらい痛い。
バイオリンは不自然な姿勢で弾くから、筋肉や腱を痛めたのだろう思った。
でも、ネットを色々検索していくうちに、【心臓病】に行き当たった。
父親が心筋梗塞で亡くなっているので、遺伝因子はある。
また、悪玉コレステロールの値はずっと高い(医師曰く、これも遺伝)。
遺伝的に心臓疾患を抱えやすい上に、不眠症の過労が心臓に負担をかけた。
ひどい冷え性も血液循環の悪化だから、心臓の機能低下は納得がいく。
一般的には、この時点で循環器内科などの医療機関にかかるのだろう。
以前の私なら間違いなくそうしたはず。
でも今の私は、医療に頼る気にならない。
どちらかと言えば、ほっと安堵している。
今年12月まででおしまいになることが、現実味を増してきたから。
来年のスケジュールを入れないなんて、生まれて初めてだもの。
何かしらの直感が働いたようだ。
こういう社会的に役に立たない場面では、私の直感はとても鋭いのだ。
心臓発作が起こったら、悶絶するほど苦しいだろう。
でも、最期のときを迎える人はみんな苦しいはずだから、そこは平等。
心筋梗塞で即死した人を間近に見たことがある。
居合わせた我々はとても驚いたが、本人はもっと驚いたかも知れない。
ほんの1分前まで、気持ちよくカラオケで歌を歌っていたのだから。
でも、大好きな歌を歌い終えてからだから、素敵な最期だったとも言える。
即死すぎて、悶絶する暇も無かったかも知れない。
歌った気持ち良さだけを感じて。
自殺は怖いし、私にはできない。
電車のホームを猛スピードで通過する電車を見て、こりゃ無理だと思った。
私の意思によらない心不全などの自然死であれば、受け入れるしかない。
また、自殺と違って堂々と死ねる(言い方が奇妙かも知れないが)。
こういうのも「希死念慮」に入るのだろうか。
学術的な定義やカテゴリー分けに興味はないが。
私は十分に頑張って生きてきたし、出来るだけのことをした自負がある。
どれだけ頑張ってきたかの自己評価は、極めて個人的な営みである。
ただ、この社会が私にとって余りに厳しすぎる環境だったことは確かだ。
社会に責任転嫁したいのではなく、「そういうものだった」ということ。
もし、自意識などと言うものが無ければ、昆虫のように生存本能だけで生きられていれば、不眠症にすらならなかったのかも知れない。
人間以外の生き物で、不眠症になる種があるのだろうか?
「十分頑張ってきたから、もうこの辺でいいんじゃないの?」
今はこんな軽い気持ちです。
☆☆☆☆☆☆☆☆ 余談
Q:もし来年生きていたらどうするの?
A:その時はその時。
何を感じ、何を考えるのか。
何か行動を起こすのか。
その時の自分に任せます。