見出し画像

私が生命を生きる? 生命が私を生きる?

「やりたいことをやる」と決めた理由。
 ①死ぬときに「やればよかった」と後悔したくない。
   →これは自分に必要だと思う。
 ②未来を考えるのが不安で、今できることをやって気を紛らわせたい。
   →現実逃避。できれば避けたい選択肢だけど仕方ない。


人はなぜ考えるの?
どうして意識が備わっているの?

日本では、ヒトは平均で80年くらい生きて死ぬ。
親を含む祖先から生命を受け継ぎ、子や孫など下の世代に生命をつなぐ。

生命をつなぐだけなら、意識なんて要らないはず。
危険が迫れば警戒したり、お腹が空けば捕食すればいい。
本能だけで十分。

生まれたいと願ってこの世に生まれた人はいない。
気づいたら、生命の一つとしてこの世に存在していた。

そして、死にたくないと願っても必ず死ぬ。
少しでも長生きしたいと思って、どんなに努力しても同じ。

生まれる時と死ぬ時に、自分の意思は全く関係ない。
何も分からず生まれて、そして死ぬだけ。

死を避けるために、全ての体力・気力・知力を使って抵抗する人もいるだろう。
これも本能で足りるはず。


物心ついた時から自我が芽生え、どんな人生を生きたいかを考えるようになる。
より良く生きるために勉強したり、成長するために努力したり。

与えられた生命を自分が思うように精一杯生きるために?
でも…、勉強すると何がいいの?成長って必要なの? 

地球上の環境を大きく変更して、ヒトの存続に有利な建物や道路を作った?
速く移動するとヒトの存続に有利だから飛行機を作った?
原子爆弾は?

☆☆☆☆☆☆☆
せっかく与えられた生命を私は存分に楽しむことができなかった。
「私は生命を生きられなかった」のかな。

生命は、私の意識に関係なしに突然生まれて、近い将来死ぬときに死ぬだけ。
「生命が私を生きている」だけなのかも知れない。


落ち込んでも絶望しても何でもいいですけれど、
生命の前では大したことではないのかも知れないですね。
やっぱり、やりたいようにすればいいのだと思った次第です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?