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また炎上!車椅子インフルエンサーの「クレイジー」な振る舞い

車椅子インフルエンサーがまた「放火」したようだ。

ここ数年、Xの障害者界隈で車椅子インフルエンサーが障害について社会に問題提起して炎上するのは珍しいことではなくなった。

この記事で取り上げるのは先日のイオンシネマ某店舗と車椅子インフルエンサーにまつわる一件である。
最初は問題提起であったイオンシネマ側の対応は早く謝罪文を公開したことで炎上は本格化しXのトレンドにランクインした。

こちらが炎上の原因となった元の投稿である。

炎上した張本人である車椅子インフルエンサー中嶋涼子(敬称略)は脊損の中途障害者である。
本人のXのプロフィールを見ればわかるが「ちょっとクレイジーな車椅子インフルエンサー」を自称していてすでに危険な匂いがする人物である。

近年の車椅子インフルエンサーの炎上は古いところだと乙武イタリアン事件にさかのぼることができる。
ただしここ数年については乙武洋匡とは違い中途障害者が「主役」になることがほとんどだ。

今回の事件もこの一件に似ているところがある。
投稿者である車椅子側が店側に「車椅子を抱えて欲しい」と要求したこと、そして投稿者が相手側である店名を晒してしまったことである。

この問題の本質はなんだろうか?

いつも通りインフルエンサーである中嶋涼子を叩く声が目立つが不思議なことに「仲間」であるはずの障害者側からも非難されている。

誤解されがちだが車椅子インフルエンサーは障害者の総意とは言えないのだ。

最初、私はイオンシネマの店舗責任者(便宜的にこう呼ぶ)らしきから「この劇場はご覧の通り段差があって危なくて、お手伝いできるスタッフもそこまで時間があるわけではないので、今後はこの劇場以外で見てもらえるとお互いいい気分でいられると思うのですがいいでしょうか。」と発言したという投稿内容を見て「これは嫌な言い方だな」と思った(もちろん中嶋涼子の投稿が全て真実かはわからない)。

私は常日頃から障害者の存在、価値観や発信に疑問を抱いている。とはいえ先ほどのような発言は不快感を覚えるので中嶋涼子に少し同情した。

しかし、私の障害者仲間は「車椅子席もあるし車椅子を運んでいる最中に何かあったら責任取れない」と言っていた。

忘れていたが今時の映画館はどこも車椅子席を簡単に確保できるし当該店舗にも車椅子席はある。
また、ここでは取り上げないがネット民からは彼女の過去の動画内での迷惑行為を指摘されイオンシネマ側の謝罪もあり彼女を擁護をするのは「社会が障害者に合わせるべき」という強い社会モデル派ぐらいである。

この手の問題はいろいろな意見が出るしアナログな意見、つまり抽象的な議論になり錯綜しがちである。

個人的な見解は…

・まずイオンシネマ該当店舗の言動はたしかに不快である。
・中嶋涼子側のいつも車椅子ごと運んでくれるしいつもそうすべきだという主張は苦しい。責任問題もあり車椅子席があるだけで十分な配慮である。
・インフルエンサー相手とはいえ誹謗中傷はまずい。

この手の問題でよく言われる通り、乙武イタリアン事件もそうだが車椅子に乗った障害者を抱えて運ぶのは怪我の危険、そしてそれ伴う訴訟リスクがある。
これはXでもすでに何人も車椅子ユーザーに指摘されていることでもある。これについては彼女や彼女の擁護派も突かれると一番弱いところであろう。

彼女は車椅子インフルエンサーでありこういう問題提起が「飯の種」である。
ただ私は彼女が売名に伴う金銭目的に意図的に炎上を起こしているとは思わない。
半世紀前の左翼運動の刺激を受けて青い芝の会は法に触れるのも辞さない障害者運動を展開した。
だが今は時代が全く異なり法に触れたりモラル違反は叩かれるのが現実だ。

もう一つは中嶋涼子に対する過剰なバッシングについて
Xを見るに投稿している人が真面目に問題を考えたり議論しようと思っている人ばかりでないのは明白である。
これは別に障害者にまつわる問題だけではなく時事ネタ一般に対するXの「通常」の反応である。
これは旧Twitterから変わっていない。

確かに車椅子インフルエンサーの行動はモラルに欠けるし道理として苦しい部分はある。
私をはじめ先天性障害者たちの中には車椅子インフルエンサーに対して冷ややかな態度を見せる人も多い。
車椅子インフルエンサーの大半は中途障害者である。

だが親しくもないフォローもしてしない相手にタメ口で突撃したり荒々しい文体で攻撃するのは慎むべきであろう。

今回の件に関して「映画なら自宅で見ろ」と言った放言もありさすがに「いやいやそれは違うだろ」と思わざるを得なかった。

「車椅子に親を殺されたのか!?」というぐらい鼻息の荒い健常者も多い。
このように障害者、健常者双方にとって一方通行の発信をする便所の落書きとなっているのがXの現状である。
次の投稿はそれぞれ健常者と障害者の投稿である。もはや論理破綻しておりやりたい放題である。
具体例としてはかなり極端であるがXの混沌さ、そして健常者と障害者の溝を体現しているのではないだろうか。

前者は障害に責任を、後者は社会に配慮を求めているのである



ここで界隈に不慣れな親愛なる健常者の読者のためにも少し障害者事情に触れてから記事を終えたい。

まず著名な車椅子インフルエンサーの大半は中途障害者であり彼らは私のような「やさぐれた障害者」と違いエネルギッシュである。
そして先天性障害者の大半は中途障害者を別な人種とみなしている。障害や病気は同種や近い種の人で群れがちである。

そして現代の身体障害者は障害の本質を障害ではなく社会に求める「社会モデル」を志向してる。これは人によって度合いは異なる。

乙武洋匡や中嶋涼子のような車椅子インフルエンサーが「社会」という言葉を多用するのはそのためである。

現代では建前上、障害や障害者の責任に帰すのは避けられているが健常者は内心、障害者本人の問題であるというのが本心であろう。

障害者が「社会」に「配慮」を求める姿勢についても今述べた前提を健常者が理解していないゆえ噛み合わないのは当然である。
この辺は障害者が一方的な発信になり論理的な説明を欠いていることに原因がある。

これが新興のSNSやfacebookであればここまで炎上しなかったかもしれない。
しかし、Xでなければバズりにくく問題提起や案件につなげたりと言ったことがしにくいという矛盾が発生する。

今回の決着がどうあれ車椅子インフルエンサーの炎上が近いうちにまた起こるのは確実であろう。


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