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自己紹介♯1 運動音痴だった私が運動を伝える理由 



・なぜ?私がトレーナーとして活動するようになったか?

はじめまして。ヨガトレーナーのMINORIです。
興味をもって読んでくださっている方、ありがとうございます!
私は、トレーナー・理学療法士として、
赤ちゃんから高齢の方、神経難病がある方からスポーツをする方まで、
幅広い方に「動き」のサポートを行っています。

「なぜ?このような活動をするようになったのか?」
「運動を通して何を伝えたいのか?」について、もっと皆さんに知ったうえで、動きをお伝えできたら…と思い、#1では小学校から大学時代に感じたことや経験がどのようにトレーナーや理学療法士の活動につながっているか?について書いています。

 こちらの記事を読んでいくと、自分の過去の経験や感じたことを知っていただくことで、読んでいる方にも「あ、自分もこんな感覚あるかも…」とか、「運動についてのとらえ方」について新しい気づきがあるかもしれません。

・幼少期の不器用・運動音痴な私

 そもそもですが、私は不器用・運動音痴でした。
 幼稚園から小学校に上がっても、自分の髪をゴムでまとめられない
靴紐は結べない、集団行動をしても遅い、スキップはできない…など、
今の自分からは考えられないほどどんくさい人間だったので
(今考えると、視覚がない状態の固有感覚の乏しさ、協調運動の苦手さがかなりあったのでは??と思います)
自分のどんくさいという劣等感から
「周りから嫌われてないだろうか?」とか
「集団行動では周りに取り残されないように…」
という思いがあったという記憶と共に、
「なんでこんなに人と比べてどんくさいのだろうか?」
「なんで器用な人は人とうまくやってもいけるし、そんなに明るくふるまえるのだろうか?」という、
自分には運動ができる人というのは、自分からは程遠い人間の存在であるように感じていました。

・運動に目覚め心身共に変わった中学時代

そんな不器用で劣等感を感じていた小学校時代ですが
姉が通っていた卓球教室に自分も通うことになり
小学5年生から卓球というスポーツに初めて出会いました。
ですが、スポーツクラブに入ると、やはり周りの子達に比べ
プレーの技術・身体面においても当然劣っていることが多くあり
自分に自信もなく、周りとはなじめず
クラブの練習では、細々と目立たぬように隅っこで
先生と繰り返しラリーの練習をするという日々が続いていました。

ですが、中学校に入学し、初めて地区の卓球大会に参加をした際
地方で経験者がほとんどいない中だったので、たまたま準優勝に。

今振り返ると、この準優勝という経験が
今まで感じていた劣等感・自信のなさ・周りの目を気にして
運動で相手とのかかわりを避けていた自分を
大きく変えるものになったと思います。
同時に、自分が運動に対する価値観・捉え方が変わった瞬間
でもありました。
 
 「こんな運動音痴・不器用な人間でも、大会で勝つことができる。」
 「私って、意外と運動できるかも…」

周りより劣っているという劣等感がたくさんあって
自信のなさから周りとうまくなじめないという気持ちだったり
目立たぬように細々と動く状態から

「できるかも…」という自己肯定感がほんの少し上がったことによって
「もっとうまくなるためにはどうしたらいいのだろうか?」
「どういう風に運動をしたらうまくなるだろうか?」
という問いが頭の中で立てられるようになり
周りの目を気にして動くのではなく
自分自身に対しての意識が増えたことで
周りの人と関わっていくことができるようになっていくことを
中学校で経験しました。

・医学による解剖学・神経・運動学の出会いと骨折から身体の構造を学んだ大学時代

 そこから、時を経て、中学校から高校進学し、卓球からはいったん離れ、スポーツとは無縁の生活でしたが、医学部へ進学し、部活でフットサルに出会いました。

 その時には、スポーツ・運動に対しては自信もあり
「自分はできるだろう」という気持ちと
練習すればもっとうまくなるという思いだけでプレーをしていましたが
大学1年の秋に、相手との接触プレーで負傷し、右足の三果骨折で病院に入院し、手術をすることに。

当時、理学療法の学生ということもあり
骨・関節・靭帯などの基本的な知識を学んでいるときに
骨折で手術を経験したことで
身体の内部の構造である
身体の中の血液が重力によって移動する感覚や
骨格や関節がどんなふうに動くのか、靭帯が伸びている感覚
関節に対して体重をかけていきたいけれども
骨の不安定性からかけられないような感覚など

医学的な知識を学んでいるおかげで
単に「痛い」「動けない」というだけでなく
身体内部の構造がこういう風な状態にあって、今は痛い。とか
骨・関節・靭帯・筋肉がこのような状態にあるから動けない。
という言語化ができたことによって

大学時代の経験から
人の痛みや人が動けないなど
その人が感じている感覚や感情の言語や、動きの状態が
身体内部がどうなっていることで、その表現や動きになったのか?
についての理解を深めていったように思います。

ここまで、なが~く書いてきましたが

私自身の小学校から大学での「運動」を通して
「運動」というものは
・自分の思っている価値観や人格の変化が起きるものであり
・身体の構造理解を深めることで動きに変化を起こすことができる
という風に考えています。

その経験から、トレーナー・理学療法士として活動する際には
・運動が苦手という人でも動けるということ
→運動から価値観・人格の変化は起きる
・ヒトの身体を理解し、感じることで動きや表出が変わる
→知識と体感を言語化することで、身体の理解が深まる
ということを常々考えながら動きのサポートをさせていただいています。


ここまで、長い長い自己紹介にお付き合いいただき、
ありがとうございました。


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