「自分自身」へと立ち戻る ーホワイトマジック規定1よりー
アリス・ベイリー著『ホワイトマジック』の中で私の気になる箇所にフォーカスしてそこから考えたことを書きました。秘教を知っている人も知らない人も楽しんでいただけたら幸いです。
この記事は、はてなブログ 宿木御法のWhite Magic Life!からの転載です。
「自分自身」へと立ち戻る
『ホワイトマジック』規定1の冒頭には次のように書かれています。
この部分の個人的な解釈として、私自身の教師時代の体験を取り上げたいと思います。
東日本大震災を取り入れた授業案づくり
私は元高校の教師です。教員研修でとっても難しいテーマを出されたことがありました。「東日本大震災に関することを取り入れて、グループで総合学習の授業案をつくれ」というようなものでした。
当時は同期の人と行く合宿のようなものがあり、6人くらいのグループで数日かけてその授業案を共同で作りました。合宿に行く前に各自図書館などでいろいろ調べてから臨みました。
私は国語科でしたが、同じグループには他の文系教科の先生も、理系教科の先生も、実技教科の先生もいて、勤めている高校もみんな別々でした。
完成したものはグループによって多種多様でした。
防災のことを考える授業案や被災地での心理的ケアについての授業案など。
別のグループには阪神大震災で被災した経験のある先生もいて、発表の時にご自身の体験談を語られていました。
そんな中、私たちのグループは(ちょっと意外かもしれませんが)将来の夢について考える授業案を作りました。
なぜこんなテーマになったかといいますと…
グループのメンバーが事前に調べて持ち寄った資料の中に、十代の被災者の手記のようなものをまとめたものがありました。それを読んでいると、あることに気づいたんです。
こういうプロットを持っている手記がいくつもあることに気づきました。
その資料を使って作った授業案は…
被災者の手記をクラスで読んで、書き手の心に起きた変化を追体験し、自分の将来の夢は何かを生徒が考える
というものでした。
自分でいうのもなんですが、この授業案はよくできてたなあと思います。なんか、発想がすごいです。というのも、同期の先生と一緒にグループで考えたからだと思います。自分一人でこういうことは思いつかなかっただろうし、またそれを授業案にするなんてことは一人では難しかっただろうと思います。
研修の後、各自学校へ持ち帰って実践もしております。私が授業実践で利用した資料はこちらです。
同じプロットを持つ手記がいくつも存在するのは…?
ところがその時は、「どうして同じようなプロットを持った手記がいくつもあったのか」というところまでは考えが及びませんでした。研修といっても、何かと日々忙しい中でやっているので、そこまで考えてる余裕がなかったといいますか。
改めて考えてみると、どうして被災体験をした十代の人はそのさなかで自分の将来の夢を見つけたのでしょう?
教師を辞めてセラピストに転向し、『ホワイトマジック』を読むようになった今になって、そのことが少し考えられるようになりました。
ジュワルクール大師が「規定1」の冒頭で言っているこのフレーズを見ると、私はあのグループ研修で扱った震災の手記を思い出します。手記を書いた方にとっては、被災体験が「稀に情緒が高まったとき」というのに当たるのではないかと思います。
大震災で被災するなどということは、何度もあってはならないことだとは思います。でもたまたま、そういうときに「大きな自己」へと立ち戻ったという体験をした人が何人もいるのです。(「大きな自己」というのは将来の夢に限らず「自分はどのように生きていきたいか」というその人の生涯にわたる目的のようなものを指すと思います。)
しかし「大きな自己」に立ち戻るたびにそういう体験ばかりしていては、身が持たないですよね。ジュワルクール大師は、私たちにどんな風にして「大きな自己」に立ち戻ってほしいと思っているのでしょうか?もう一度『ホワイトマジック』からの引用を見てみましょう。
白魔術師(=ホワイトマジシャン)というのは、「情緒が高まるような」体験をした時だけに限らず、もっとありふれたタイミングでも「大きな自己」に立ち戻ることができる人なのではないでしょうか。
これからホワイトマジックを勉強して、自分もそうなれたらいいなと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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