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週末歌仙*葉ノ拾参

歌を詠むということ

短歌とは、感動したこと、悔しいこと、悲しいことや嬉しいこと、すべてを言葉にのせて表現するものです。
歌を詠むこと、それは、長い人生において心の薬となるでしょう。
私も人生の山坂を短歌に支えられ、 81歳 まで 生きてこられました。
だからまず難しいことはおいといて、あなたの心が感じたままに、歌をつくってみてください。
きっと作歌の楽しさが、だんだんわかってきますよ。(楓美生)

歌人・楓(かつら)美生(みお)
昭和17年10月28日 杉並区荻窪生まれ

玉川上水の桜橋を散歩中、その後歌の師と仰ぐことになる人物と 偶
然出会ったことがきっかけで、短歌を始める。
多摩歌話会(歌人集団)に15年ほど所属。
NHK、地方の短歌大会入賞。
現在は近所の歌好きを集めて、短歌の指導をしている。

<好きな歌人>
栗木京子、寺山修司、尾崎左永子
<好きな歌>
ここに咲きここに散りゆく秋萩のごとき一生(ひとよ)を悔いざれよゆめ

第一首

(想像してみてください…)

旅先での田舎道。
両側には枯草で覆われた草原が広がっている。
地平線へ目をやれば、風に揺れるススキの群生。
茶色く干からびた下草に映える、白い穂の鮮やかさ。

ここで一首ーー
(みなさんなら、どんな歌を詠みますか? わたしの歌は……)

しろじろと
野末に生うる 枯れ尾花
*
おのもおのも
*に穂を細らせて
<2010年 秋に詠む>

注)「枯れ尾花」は「枯れたススキの穂」のこと。
「おのもおのも」は「それぞれ」という意味。「各々(おのおの)」。

<解説>
秋の野に 咲きたる花を指折(およびを)り かき数ふれば七種の花

万葉集に収められた 山上臣憶良(やまのうえのおくら)の歌ですが、ここに詠まれた秋の七草のひとつがススキです。
都心ではもう目にしなくなりましたが、昔は秋になると空き地いっぱいにススキの生い繁るのを見られました。なので、その辺から引っこ抜いてきたススキを飾り、お月見を楽しんだりしたものです。
さて、短歌には大きく『叙景歌』『叙事歌』『抒情歌』と、みっつの分類があります。今回の歌は『叙景歌』にあたります。一般に自然の風景をそのまま詠めば『叙景歌』、そこに感動などの「想い」を書き加えれば『抒情歌』とされていますが、景色を見てなにかを想わない限り歌にはしませんので、たとえ『叙景歌』『叙事歌』であっても、ニュース原稿のように書いてはいけません。
今回の歌も、秋の景色を詠んだだけのふりをしていますが、冒頭の「しろじろ」と「おのもおのも」という繰り返し言葉に意味を潜ませてみました。
ススキという植物は水分の多い時は穂が締まり、枯れるに従って白くふわふわとした穂になります。枯れても美しい、もしかしたら枯れてからのほうが美しいという珍しい植物ではないでしょうか。その白い穂が、枯草の広がる荒涼とした景色の中たたずむ姿に、わたしは「生きることへのひたむきさ」を感じました。
そして「おのもおのも」です。ススキによく似た植物に「オギ」がありますが、オギは地下茎、ススキは株立ちです。(ひとつの根元から数本の茎が立ち上がっているものを株立ちと呼びます。)根は同じだけれど、1本1本の茎が自立し、それぞれの想いを抱えてそこに在る――その様子に人間社会を重ねたことが、この歌を詠んだきっかけかもしれません。

最後に、ススキが出てくるステキな歌をご紹介します。

道の辺の 尾花が下の思ひ草 今さらさらに何をか思はむ
(万葉集 巻10-2270)

昔から何度も歌に詠まれてきたススキ。秋ならではのもの寂しく、それゆえ孤高な雰囲気を漂わせる、とても趣深い植物です。

歌を詠んでみましょう!

テーマは……
枯れ尾花(ススキ)

・・・・・・・・・・

第二首

(想像してみてください…)

田舎から箱いっぱいの立派な栗が届いた。
1度ではとても食べきれないし、とりあえず皮を剥いて冷凍しよう。
黙々と栗の皮を剥くわたしの前で晩酌していた夫が、いつの間にか一緒に皮を剥き始める。
他愛ないおしゃべりをしながら小一時間、すべての栗の皮を剥き終えた。
よし、明日の朝は栗ごはんだ!

ここで一首ーー
(みなさんなら、どんな歌を詠みますか? わたしの歌は……)

夜更けまで
夫と栗の 皮むきて
今朝の厨(くりや)
*は秋の香漂う 
<2013年、秋に詠む>

注)「厨」は台所の意。炊事場。

<解説>
1首目と同じく、秋を代表するアイテムを用いた歌です。でも、だいぶ趣が違いますね。
『秋』というと物憂さや寂しさなどをテーマにしがちですが、実は楽しい季節でもあるんです。『食欲の秋』という言葉があるほど、野菜や果物、魚類など美味しいものがたくさん出回りますし、日が短くなった分だけ帰宅が早まり、家族で共に過ごす時間も増えたりしますよね。地域によっては、みんなでひとつのこたつに入ってまったりし始める時季でしょうか。
この歌は、初物の栗を手に入れたわくわく感と、家族と過ごすゆったりした時間の愛おしさを詠んだものです。栗は食べられるようにするまで手間がかかりますが、その時間も、気の合う相手と一緒なら逆にありがたいかもしれませんね。
ところで台所を意味する『厨』ですが、枕草子など古典では『涅屋』と書き表されることもあります。「涅」が意味するものは「泥」。昔の炊事場は土間だったために、この字があてられたのだと考えられています。一方「厨」は、中国で台所や食糧庫などを示す漢字として使われていました。それが日本へ伝来し、漢字文化の広がりの中で「涅屋」と置き換えられたようです。
さて、ここまで読んでお気づきになったかたもいるかもしれませんね。「栗(くり)」と「厨(くり・や)」。そう、掛詞になっているんです。こんな遊びも、歌を楽しげに見せるコツのひとつです。

歌を詠んでみましょう!

テーマは……

・・・・・・・・・・

あなたの短歌をご寄稿ください!ー『作歌のこころみ』

『週末歌仙』では、老若男女問わず気軽に作歌を楽しみたい方を募集中です。
「うまくつくれない」
「それ、おもしろいの?」(おもしろいです!)
そんな皆さんは、まず肩の力を抜いて、自分の心と向き合いましょう。
なにかを美しいと感じたり、楽しいと思ったり……。心を動かされたら歌の詠み時です(笑)

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短歌:楓 美生
編集:妹尾みのり

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