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週末歌仙*葉ノ拾漆
歌を詠むということ
短歌とは、感動したこと、悔しいこと、悲しいことや嬉しいこと、すべてを言葉にのせて表現するものです。
歌を詠むこと、それは、長い人生において心の薬となるでしょう。
私も人生の山坂を短歌に支えられ、 82歳 まで 生きてこられました。
だからまず難しいことはおいといて、あなたの心が感じたままに、歌をつくってみてください。
きっと作歌の楽しさが、だんだんわかってきますよ。(楓美生)
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昭和17年10月28日 杉並区荻窪生まれ
玉川上水の桜橋を散歩中、その後歌の師と仰ぐことになる人物と
偶然出会ったことがきっかけで、短歌を始める。
多摩歌話会(歌人集団)に15年ほど所属。
NHK、地方の短歌大会入賞。
現在は近所の歌好きを集めて、短歌の指導をしている。
<好きな歌人>
栗木京子、寺山修司、尾崎左永子
<好きな歌>
ここに咲きここに散りゆく秋萩のごとき一生(ひとよ)を悔いざれよゆめ
第一首
(想像してみてください…)
急に寒気の増した師走。
大掃除に向けて不要なものを片していたら、古い熊手が出てきた。
そういえば昔は毎年、夫とともに酉の市へ出かけたものだ。
来年の開運招福を願うひとびと。
寒い中で響く威勢のいい掛け声と、3本締め。
夫が亡くなってからは行っていないけど、懐かしいなぁ。
ここで一首ーー
(みなさんなら、どんな歌を詠みますか? わたしの歌は……)
熊手買い
福を念じし 酉の市
夫と手締めの日を懐かしむ
<2024年 師走に詠む>
<解説>
11月の酉の日に神社やお寺で開かれる『酉の市』。熊手を求めて訪れたことのある方もいるのではないでしょうか?
酉の市は、もともとは鎮守さまにその年の収穫を感謝する農民の祭りだったそうですが、社前で辻賭博が行われたり、「酉(とり)」から「取る」の連想で縁起がいいとして商人たちが願掛けにくるなど、規模が拡大していったようです。農具として売られていた熊手も、商人の目には「福を掴んで離さない鷲の爪」とか「福をかき集める道具」と見えたらしく、今では鯛や千両箱など華やかな指物のついた縁起物になっています。
わたしの夫も商売を営んでいたので、毎年酉の市で新しい熊手を買っていました。最初の年は分相応に小さなものを、そこから年々、事業の拡大を祈願して大きなものに買い替えていく。大きなものになればなるほど当然値段も上がりますから、「来年はあっちの大きな熊手を買えるようになるぞ!」と気合を入れる行事であったのかもしれません。
そんな酉の市の「熊手」ですが、みなさんの中でどれだけイメージが固定化しているのか、実は少し不安に感じています。今回の歌は上の句に「熊手」「酉の市」を配し、下の句の最後を「懐かしむ」と締めることで、賑わいと静寂の対比、そこからのノスタルジーを表現したいと考えました。ただ、熊手が一般の人にとってどこまで身近なものであるのか……。
「言葉」や「事物・事象」は、ひとによって抱くイメージがさまざまです。自分と近い感覚の読者になら伝わっても、そうでない読者にはまるで響かなかったり、えっ、と思うような読み取り方をされることもあります。短歌は自分の想いを表現するものなので、伝わることがもちろん重要です。ただ、読者がそれぞれの解釈で楽しむ姿を「おもしろい」と思える心の余裕は、失くしたくないものですね。
さて、酉の市の熊手ですが、店主さんの言い値から値切って買うのがいいとされています。どれだけ値切れるかはまさに交渉! 当初の値段よりも安くできればそれだけ、買い手の商売繁盛につながると言われています。でも、値切った分は「心付け」として店主さんに渡すので、買い手が支払う金額は最初の言い値と同額か、それより高い値段。この習い、なかなか粋だと思いませんか⁉ こういう文化、絶えずに残っていくといいなぁ。
歌を詠んでみましょう!
テーマは……
熊手
・・・・・・・・・・
第二首
(想像してみてください…)
冬晴れの午後。
近所の住宅地をぶらぶら歩いていたら、庭に大きな柿の木の植わった家を見つけた。
枝にはオレンジ色に熟した柿が。
そう言えば実家の庭にも柿の木があって、実をもいで干し柿をつくったりしたっけな。
ここで一首ーー
(みなさんなら、どんな歌を詠みますか? わたしの歌は……)
冬柿の
たわわに実り 色付くを
ながめて遠きふるさと想う
<2020年、散歩道にて詠む>
<解説>
家の軒先に実った柿の実。秋から冬にかけての情趣溢れる光景ですよね。でも実は、古い和歌に柿の実を詠んだものはほぼないんです。
いくつかの理由が推察されていますが、栽培しやすく栄養価の高い柿は大昔から庶民に親しまれたくだものであったことや、梅、橘ほど華やかな花をつけないため、歌の題材として平安貴族たちの心を動かさなかったのではないか、などと言われています。確かに、実っている様も洗練された美しさというよりは、どこか鄙びた滋味を感じます。「侘び寂び」の概念が生まれるのは鎌倉時代以降と言われていますので、江戸時代に大きく発展した俳句に柿の実を詠んだものが多くあるのも、そのせいかもしれません。
今回の歌は、そうした「柿」のイメージと「ふるさと」をつないで郷愁を表現しようと試みました。
ただこれも、「柿が実っている」と聞いてどんな風景を思い浮かべるかで、歌の印象が変わってしまう可能性があります。昔は東京都内の一軒家でも庭に柿を植えている家は少なくありませんでした。また、猿蟹合戦のような昔話の挿絵に藁ぶき屋根の民家と実った柿の木が描かれたりしていたので、読書体験から「柿=ふるさと」のイメージが定着しているひともいると思います。でも果樹園などを思い浮かべた場合には、「ふるさと」とはリンクしづらいかもしれないですね。また、音だけだと「ふゆがき=富有柿」とも取れるので、そのあたり読者がどう捉えたのか、ぜひ感想を聞いてみたいところです。
歌を詠んでみましょう!
テーマは……
柿
・・・・・・・・・・
あなたの短歌をご寄稿ください!ー『作歌のこころみ』
『週末歌仙』では、老若男女問わず気軽に作歌を楽しみたい方を募集中です。
「うまくつくれない」
「それ、おもしろいの?」(おもしろいです!)
そんな皆さんは、まず肩の力を抜いて、自分の心と向き合いましょう。
なにかを美しいと感じたり、楽しいと思ったり……。心を動かされたら歌の詠み時です(笑)
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短歌:楓 美生
編集:妹尾みのり