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週末歌仙*葉ノ拾貳

歌を詠むということ

短歌とは、感動したこと、悔しいこと、悲しいことや嬉しいこと、すべてを言葉にのせて表現するものです。
歌を詠むこと、それは、長い人生において心の薬となるでしょう。
私も人生の山坂を短歌に支えられ、 81歳 まで 生きてこられました。
だからまず難しいことはおいといて、あなたの心が感じたままに、歌をつくってみてください。
きっと作歌の楽しさが、だんだんわかってきますよ。(楓美生)

歌人・楓(かつら)美生(みお)
昭和17年10月28日 杉並区荻窪生まれ

玉川上水の桜橋を散歩中、その後歌の師と仰ぐことになる人物と
偶然出会ったことがきっかけで、短歌を始める。
多摩歌話会(歌人集団)に15年ほど所属。
NHK、地方の短歌大会入賞。
現在は近所の歌好きを集めて、短歌の指導をしている。

<好きな歌人>
栗木京子、寺山修司、尾崎左永子
<好きな歌>
ここに咲きここに散りゆく秋萩のごとき一生(ひとよ)を悔いざれよゆめ

第一首

(想像してみてください…)

行楽日和の秋の1日。
歌会の仲間と埼玉県にある聖天院を訪れた。
重厚な山門をくぐり、境内を散策。
ああ、ここには、遠い異国から来てこの地を開拓したひとの御霊が眠っているんだなぁ。

ここで一首ーー
(みなさんなら、どんな歌を詠みますか? わたしの歌は……)

異国の地
発展させし 高麗(こま)王の 
苦難偲ぶか無窮花(ムグンファ)
*の散る
<2002年 聖天院にて詠む>

注)「無窮花」は大韓民国の国花。和名(漢名)では「むくげ(木槿)」。

(写真提供:写真AC・RedHouse/Studio Zappaさま)

<解説>
聖天院は、埼玉県日高市にある真言宗のお寺です。
奈良時代に創建された古刹で、この地に帰化した渡来人たちの菩提寺でもあるのだとか。
続日本紀にこんな記述があります。

「駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の七国の高麗人一七九九人を以て武蔵国に遷し、高麗郡を置く」

この時に集められた渡来人たちのリーダー的存在だったのが、「高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)」だったと言われています。
彼が日本へやってきたのは、当時唐・新羅の連合軍と戦争中だった高句麗への援軍を頼むため。ですが、援軍を連れて帰る前に、高句麗は滅びてしまった。故国を失った若光はそのまま日本へ根を下ろし、仲間と共に未開地の開拓に励みました。いったいどんな想いで荒れ地に鍬を入れたのか……。
作歌にインスピレーションを与える土地や建物はたくさんあります。でも、その成り立ちや歴史的事件などの情報を持って詠むのと、そうでないのとでは、歌の深みが違ってきます。事前学習をしてから訪れるのももちろんいいですが、行った先で案内板をよく読んだり、地元のひとから話を聞くことはとても重要です。そして、得た情報をすべて文字にしないことは、もっと重要だったりします。
今回の歌も、若光のひととなりやその想い、開墾にまつわる苦労話などは、すべて「無窮花」に託しました。それにより、味わい深い歌にすることができたのではないでしょうか。短歌の良し悪しを決めるのは、いかに魅力的な「行間」を創り出せるかだとわたしは考えます。言葉の足りない部分は、読者が好きに補えばいいのです。
ところで。
聖天院には「高麗王廟」というものがありますが、これが歴史上の人物「高麗王若光」の墓であるかどうかについては異論もあるようです。
聖天院からほど近い高麗神社の裏山に、それらしき円墳があるという噂もあります。
宗教や民族、利権問題などいろいろありそうなので深入りを避けつつも、そういったことも歌の「行間」に忍ばせられればいいかもしれませんね。

歌を詠んでみましょう!

テーマは……
旅先で詠む

・・・・・・・・・・

第二首

(想像してみてください…)

夫が病死し、気分が晴れず、なにもやる気の起きない日々。
家にこもっていたら、宅配便が届いた。
送り主の欄には義姉の名前がある。
箱を開ければ、まだ茎が青々とした採りたての巨峰。
でも手紙の類は入っていない。

ここで一首ーー
(みなさんなら、どんな歌を詠みますか? わたしの歌は……)

姉よりの
「巨峰」は 茎の青くして
無言の便り乗せておもたし
 
<2014年、秋に詠む>

<解説>
落ち込んでいる時に励ましの言葉をかけてもらえるのは、とても嬉しいことです。でも、気の利いたセリフよりもっと心に響くもの――それが「言葉にならない言葉」ではないでしょうか。
この時わたしは主人を亡くして、だいぶ気落ちしていました。だから慰めの手紙をもらっても、上滑りに終わったかもしれません。それを見越してかどうかは判りませんが、メモ書きひとつなく送られてきた巨峰に籠められた義姉の思いやりが、深く心に刺さったのを覚えています。夫の田舎で農家を営む義姉が、もしかしたら自分で収穫して送ってくれたのではないか、と思うとなおさらでした。
さて、歌詠みの技術的な部分で言えば、「巨峰」というもの自体が持つイメージをうまく活用できるかどうかが肝になります。今でこそシャインマスカットに押されがちではありますが、巨峰は長らく「高級なブドウ」の代表格でした。つまり、特別な存在なのです。また、粒が大きく、ひと房がずっしりと重いのも特徴ですよね。
今回わたしは、「義姉の想い」を「ブドウの重さ」で表現しました。ではこれが、例えばデラウェアなど軽い品種のブドウだったら、印象が違ってきませんか? 逆に、「日常的」「気軽さ」などを出すには、デラウェアのほうが適しているかもしれません。
表現したいテーマに即したアイテムを選ぶことは、とても重要です。そして選んだアイテムの特徴をどう演出に活かすか。それを考えるのも作歌の楽しみと言えるのではないでしょうか。
巨峰を送ってくれた義姉も、何年か前に他界しました。寂しい限りではありますが、今でも巨峰を見るたび、あの時義姉がわたしにかけてくれた思いやりが甦り、心が慰められます。たぶんそれは「言葉にしない言葉」だったからこそ、色褪せないのでしょう。わたしには巨峰に想いを載せるような高等技術はありませんが、せめてわたしの詠んだ短歌が誰かにとっての「巨峰」になれるよう、これからも精進を続けていきたいと思うのです。

歌を詠んでみましょう!

テーマは……
ぶどう

・・・・・・・・・・

あなたの短歌をご寄稿ください!ー『作歌のこころみ』

『週末歌仙』では、老若男女問わず気軽に作歌を楽しみたい方を募集中です。
「うまくつくれない」
「それ、おもしろいの?」(おもしろいです!)
そんな皆さんは、まず肩の力を抜いて、自分の心と向き合いましょう。
なにかを美しいと感じたり、楽しいと思ったり……。心を動かされたら歌の詠み時です(笑)

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短歌:楓 美生
編集:妹尾みのり

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