2.左肺を取るまでの経緯
こんばんは、片肺のがんサバイバーのminoriです。
今回は左肺を全摘したときのお話です。
1.おさらい
修正を踏まえつつ、私のがんについておさらい
【発覚した日】2020年6月中頃
【病名】左下葉肺腺癌
【ステージ】3b(ⅢB)→4(Ⅳ)
【肺の状況】
手術により原発巣のある左肺を全摘(片肺になる)、その1年半後右肺に転移が見られた(ステージ4へ)
【現在の治療】
分子標的薬「レットヴィモ(セルペルカチニブ)」を服用中
(2023年1月現在)
2.初めての入院
肺がん告知後の初めての入院は、内視鏡検査のための一泊二日の入院でした。
入院の手続きを行う途中、個室がいいか大部屋(4人1部屋)がいいか聞かれましたが、私は迷わず大部屋と答えました。
病気について情報収集がしたかったのと、純粋に人が恋しかったからです。
科、病院、地域の特徴から何となく予測出来ていましたが、案の定患者さんはご年配の方たちばかりでした。
計5回の入院中、一番若くて72歳。
同世代もいるなー、と思っていたら別の科でした。
内視鏡手術
内視鏡手術はがんかどうかを判断する他、患者さんに適した治療方針を決めるのに役立たせる……みたいです、どうやら(ざっくり調べたところ)。
いち患者の体感的には、喉の奥に何かを突っ込んでプチッとやる、といった感じでした。魔法のランプみたいなスプレーで喉に麻酔し、眠くなる薬を体内に入れてプチッと。
人にも寄りますが、私は痛かったです。
その後は血の混ざった痰を吐き、おかゆを食べて終了。
【こぼれ話】
麻酔で眠っている間に見た夢が、真っ暗闇の中、お医者さんたちがネオンカラーを身体に纏ってサーカスをしている、というサイケデリックなものでした。そうか薬かぁ、ドラッグも薬だったなぁ、とテキトーな感想を抱いた思い出。
3.いよいよ摘出手術へ
内視鏡検査も終わり、次のステップへ。
CT、MRI、核医学などの検査からはがん細胞の大きな広がりは見られず、原発巣を手術で取り除く方向で話は進んでいきます。
手術前後に食事は出ないこと、
術後はすぐには動けないこと、
背中に痛み止めの薬が入ること、尿の管が入ること、
管が取れたらとったらなるべく歩くこと、
などなど、人生初めての手術なので真剣に話を聞いて長期の入院に突入。
手術の前日は、担当医の方からうんこちゃんのついたペンで説明を受ける(呼吸器外科なのに?)。
そして翌朝、私は呼びに来た看護師さんと共に手術室へと赴くのでした。
4.全摘する気はなかった
一旦話を止めますが、私はこの時点で左肺を全摘するつもりはありませんでした。
お医者さん達と同じように、原発巣のある左下葉のみを取るつもりでいました。
しかし前述のとおり、結果的には左肺を全摘しています。
それは何故か。手術の途中、気管支にリンパ節が浸潤しているのを発見したからです。
と、書いてはみましたがよくわかっていません。説明に書かれていたことをそのまま写しただけなので。
要は前回の検査のときから更に広がっていた、ということだと思います。
当時右肺は綺麗な状態だったので、お医者さんは根治性を優先し、家族の許可を得て全摘術にあたりました。
そんなことは一つも知らない私。
当然術後は大変な目に遭いましたが、まさか肺が片方なくなってるとは思ってもみなかった私は、同じ手術仲間のIさんに「えー、苦しくなかったの?人によるんだねー」なんて能天気に話をし、その数日後真実を聞かされるのでありました。
5.イラストを描いてもらいました。
今回闘病記録を綴るにあたり、pocha58様からヘッダーを描いていただきました。
暖かなパステルカラーとフラミンゴの着ぐるみがとっても可愛い!!
吹き出しの台詞は、私ががんと共に生きていく中で一番に思った感想です。
小さな田舎町で空想を形にすることだけを生きがいにしてきた私は、がんを通して新しい世界を見せられてた気分でした。
pocha58様、ありがとうございました。