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【深掘りNo.3】ダンサーと図書館員〜原爆を知ったとき〜

※楽しそうなタイトルに見えますが、蠍座ステリウムの蠍人間のため、文体や内容がズーンと重いかもしれません。

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極度に死に怯えた理由は、
被爆3世という環境もあった。

祖父は20歳の時に、広島で被爆した。
曾祖母は祖父を助けるため、入市被爆している。

後に祖父は中学校の先生になって、
自分の体験を話し、
原爆の恐ろしさを生徒に伝えていた。

広島では幼い頃から平和教育がスタートする。
幼稚園や保育園でも千羽鶴を折ると聞くし、
今はどうか分からないが、
義務教育期は8月6日が登校日だった。

結婚して県外に住むようになって、
愕然としたことがある。

広島では、毎日のように、
原爆関連や被爆者の報道が流れるが、
それが当たり前じゃないってこと。

広島に根ざした報道の内容だったと、
初めて知った。

ノーベル平和賞受賞の中継を見るため帰省

初めてといえば、
私が祖父の被爆体験の詳細を知ったのは、
生徒による手作りの紙芝居だった。

書類が積み上がった机の上に
見たことがないほど大きな茶封筒があり、
興味がわいた。

のぞくと、中身は紙芝居。
しかも、祖父の話らしい。

絵の具が乾いて波打った画用紙。
子どもの字は下書きをそれて、
なぞったはずの黒ペンの字が斜めに傾いている。

幼い頃から本が好きだったので、
わたしはすぐに夢中になって読み始めた。

字を追ううちに、呼吸が浅く速くなる。

母から「おじいちゃんは原爆にあって、ひどいめにあっとるんよ」とは聞いていたが、
具体的な内容は何ひとつ知らなかった。

身内の悲惨な経験を、
知らない子どもから、
紙芝居という形で知らされる。

ショックだった。

紙芝居は楽しいもの。
そんな先入観もあり、
怒りと恐怖と混乱に陥った。

当時のわたしは、
「こんなむごい話を紙芝居にして、なんで本人に」とさえ思った。

この時、ひそかに自分に誓った。

「せめてわたしとの間では、おじいちゃんに悲惨な原爆の記憶を思い出させない」

この誓いは、
長くわたしの心にあった。

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