It's never too late to heal. 癒やすのに遅すぎることはない
タッチワークをご希望される方が増えています。
いらっしゃる方の中には、これまでにカウンセリングや心理療法、何らかのセラピーを受けた経験があるという方が少なくありません。
何かおかしい、何かちぐはぐ、生きづらさや身体の不調を抱えながら、それでもなんとかどうにかならないかと、いろいろな治療法を試された後にタッチというものがあると知り、「自分にはこれが良いのではないかと思った」ということで、セッションにお越しになります。
とはいえ
タッチワークでなければ良くならない
ということではありません。
トラウマにワークする方法はさまざまあり、その中のどれかが自分にちょうどフィットして、うまくトラウマが昇華されることももちろんあります。
カウンセラーやセラピストとの関係性もとても重要です。
自分にフィットするワークに出会い、関係性のあるセラピストに見守られながら回数を重ねていくと、少しずつトラウマの鎖がほどかれていきます。
ただトラウマの中には、身体の奥深いところに沈んでしまっているものもあります。
意識より無意識よりずっと下の真っ暗な深海の底、光も音もないような場所に沈んでしまったトラウマは、探すことはおろか、そこにあると気づくことすら難しいものです。
沈んだトラウマの上には深い海が、その上の水面にはほとんど永遠に溶けないと思われる厚い氷の大陸が、さらにその上にコンクリートの要塞が、さらにそれを覆い隠すカムフラージュの草原があります。
その草原でレジャーシートを敷いてお弁当を食べている自分は、そのずっと下にトラウマが沈んでいるなんてよもや思いません。
草原の土が少しぬかるんでいて、レジャーシートにその湿りが染みてきてて座ったおしりが濡れちゃった……ということには気づきます。お弁当に嫌いなものが入っていたとか、今日ちょっと曇りだったなとか、よく見るとシートの上に虫が這っていたとか、そんなことには気づけます。
転んだことがあるとか、嵐になって怖かったとか、そういう思い出もあるかもしれません。予告もなく現れた乱暴者がレジャーシートごとひっくり返してめちゃくちゃにされてしまった、それがトラウマになっているということもあります。
生きていれば避けて通れない嫌なこと悲しいことというのはあります。それらももちろんトラウマで、ひとつひとつちゃんと癒やされることが必要です。
すべては草原の上で起きたことです。
でも、
自分ひとりでは気づけないトラウマ
というものも、やっぱりあります。
深い海の底に沈んだトラウマです。
草原で経験したトラウマと深海のトラウマ、どちらがより深刻か、どちらが大変か、ということではありません。本人にとってはどちらも辛く、どちらも痛く、どちらも深刻です。
ただ深海のトラウマは
草原のトラウマに比べて
気づくことが難しい。
だから「そのトラウマにワークするチャンスがない」のです。気づきにくいとはそういうこと。
草原のトラウマにワークしていく中で、心や身体の深いところから何かが浮上してきて、それが深海のトラウマだったということもあります。でも本当に深い深いところに沈んだものは、なかなか浮上してきてくれません。
そもそも深海に沈んだトラウマは、そうすることが必要だったから沈んでいるわけです。とてものことに対処できない、圧倒されてしまう、怖くてたまらない、きっと誰にもわかってもらえない、辛すぎる。だから深海に沈めてしまったのですね。そうしてなんとか生きてきたんです。
それは
口に出すことも、
気づくことも、
人に語ることもできないトラウマ
です。
深海のトラウマ。
タッチワークは、そうしたトラウマにもはたらきかけることができます。
トラウマを抱えた方、心身の不調を抱えた方、どちらにも適応します。深いトラウマに限らず、すでに気づいているトラウマや草原のトラウマでも、もちろんタッチワークを受けていただけます。
私が提供しているタッチワークはSomatic Experiencing®のタッチをベースにしており、自律神経を調整しながら深いトラウマにワークし、心身の癒やしを感じられるものですが
私が癒やすのではありません。
私はただ
手を置き、その手で聴き、
ご自身のからだにもともと宿っている癒やしのシステムがちゃんと動きはじめるのを待ち、
見守ります。
からだから自然に起こる癒やしは、いつでも、いくつになっても、起こるべきときにちゃんと起きてくれます。
癒やすのに遅すぎることはありません。
でも
「癒やされる」のではないんですね。
どんな人も、癒やしの力を宿しています。
癒やしの力は「生きる力」でもあります。
セラピストはその力を信じてサポートするのみです。
どうぞ
ご自身を癒やしにいらしてくださいね。
お手伝いします。