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世代間のつながりとトラウマ

〝世代間トラウマ〟
というのもあります。

ある世代から次の世代へと
連鎖してしまうトラウマのことです。

祖父母から孫へ
世代をまたいで連鎖するトラウマもあれば

民族や社会や集団といった
大きなまとまりとして
世代から世代へと
引き継がれてしまうトラウマもあります。

それはたとえば
戦争のトラウマや民族的なトラウマ、
文化的トラウマといったものと
重なりあうところもあるでしょう。


私のセッションでも
〝世代間トラウマ〟を扱うことは
少なからず、
というより
とてもよくあります。

ほとんどは
意図せずして、不意に
〝世代間トラウマ〟が出てきて

クライアントさんご本人も
あまりの意外さに驚かれますが

大切なワークのひとつとして
一緒に向き合い、癒やしたり解放したり
していきます。

セッションを始めた頃にいきなり
ご先祖さまや祖父母の記憶が出てくる
というよりは

継続するセッションの深まりにつれ
自然に、ちょうどいいタイミングで
「〝世代間トラウマ〟に出会う」
というほうが正しいかもしれません。

それまでは
現在の人間関係や
生い立ち、親子関係について

薄皮をそっと剥いでいくように
トラウマを取り除いていくプロセスを重ねます。



セッションの深まりとともに
〝世代間トラウマ〟に出会うことは

なにも意外なことではなく
ごく自然ななりゆきなのだ


いつからか思うようになりました。

私たちの誰もが
何代にもわたる引き継ぎの果てに
生まれたいのちであるからです。


今ここに
私が在るということは

その前には
親が在るということ。

親にはその親である祖父母がいて
祖父母にはその親がいたということ。

遡れるだけ遡れば
私たちの誰もが
40億年前に小さな潮だまりで生まれた
核酸にたどり着く。

今ここに
私という存在があるということは
その背後に
代々引き継がれてきた生命の鎖が
あるということ。

セッションの中で
この自分という存在の探求を
深めていったならば

自分とつながる存在に出会うことは
何も不思議なことではありません。

私たちは皆、
果てしなくつながり続けてきた生命の
最先端を生きる者

いのちというものの
このつながりの
なんと奇跡的であることか。

悠久の時間を生き抜いてきたのだから。

「世代間」というつながりは
人智を超えたはるかな力を湛えているように
感じます。


しかし残念ながら
トラウマを抱えて生きる人の多くは

「世代間」にある
ポジティブなつながりから
断絶しています。

つながり続け、生き延びてきた
いのちのつながりがもつ
力強さやしぶとさ、
強運や幸運
といったものから断絶したまま
人生を生きています。

そうすることを余儀なくされている
と言ったほうがいいかもしれません。

もしも
世代間のつながりが
しっかりと保たれていたならば

トラウマ的なできごとを経験したとしても
なんとか乗り越えて
調整力を取り戻して
豊な人生を送ることができていたでしょう。

トラウマ的な経験が
のちのちまで残るかどうかは
できごとそのものの大きさではなく
どれだけサポートやリソースを得られたか
に左右されるところが大きいからです。

世代間のつながりによって
大いに力づけられることができていたなら
トラウマ的な経験であっても
きっと乗り越えることができる、

それほどに
世代間のつながりが持つ力は
強く大きく幸運に満ちたものだと
私は感じています。

それは
幾重にも重なって
私たちをサポートしてくれる力
でもあります。

強靭な鋼鉄でできた一枚の壁に
囲まれているよりも

しなやかでやさしい
万重の花びらの中で守られているほうが

安心で安全で
安らかです。

なぜなら
その花びら一枚いちまいが
自分自身のルーツであり
いのちの来し方であるからです。

数珠つなぎのように
この自分につながる生命の存在を感じることは

他の何にも代えがたい
力になります。



世代間のつながりに
大きな力が湛えられているということは

そこに横たわるトラウマ、
つまり〝世代間トラウマ〟も
大きく重たいものです。

当然ながら
民族や文化、戦争などのトラウマも
複雑に絡んでいます。

〝世代間トラウマ〟を意識すると
なぜ今、自分ひとりが
こんな化け物みたいな大きなトラウマに
向き合わなくてはならないのかと

無力感に襲われたり
途方に暮れたり
しそうになることもあります。

たとえば
親からひどい仕打ちを受けて
深く傷ついて
そのせいで
何十年も生きづらく生きてきた
という人にとって

親もまた
その親である祖父母から
傷つけられていたのだ

さらにその親(祖父母)だって
その親から傷つけられていたに違いない

そしてその親は
そのときの社会や歴史によって
どうしようもなく
トラウマの渦にのみこまれてしまったのだ……

と気づくと
トラウマの連鎖があまりにも果てしなく
しかも
自分には何の責任もない
生まれるずっと前のできごとであるから

あとはもう
運命を恨むしかないような
虚しい気持ちになってしまうことも
あります。

こんなことなら
世代間のことになんて
気づきたくなかった
と思うこともあるかもしれません。

親とのトラウマでさえ
いっぱいいっぱいであるのに。と。



でも大丈夫です。

〝世代間トラウマ〟も
ちゃんと乗り越えて
解放して
癒やすことができます。

そして
〝世代間トラウマ〟を
癒やすことと引き換えに

世代間のつながりを
取り戻すこともできます。

世代間のつながりを取り戻せば
そこから
万重のサポートとリソースを
手にすることができます。

力強く支えられる感覚
やさしく包み込まれる感覚
幾重にも守られている感覚
幸運が約束されている感覚

自分を信じ
人生の可能性を信じ
豊かに生きていくことが
できるようになります。

だから
〝世代間トラウマ〟に出会うことは
大きなチャンス。

私はそう考えています。



世代間のつながりが
たとえ断絶しているとしても

かわりになるものは
もちろんあります。

パートナー 友人 
コミュニティ 社会 民族 
文化 芸術 同時代 歴史
自然
そして地球と宇宙。

私たちは
幾重にも折り重なるリソースから
たくさんの恩恵を受けながら
今日、今ここを生き延びています。

トラウマや生きづらさについて
本を読むことや
SNSを眺めることもまた、
そうしたリソースの一片といえます。

私自身も
世代間のつながりが断絶していたひとりで

だからこそ
たくさんの本から
力と知恵を得て
ここまで生き延びてきました。

世代間のつながりがなければ
生き延びられないわけでは
決してありません。

ただ
世代間のつながりを感じて
それを受け入れることができるようになると

さらに
ほかのリソースやサポートの存在に
気づけるようになり
感じられるようになり

力や幸運を
抵抗なく受け入れることが
できるようになります。

万重咲きの花に
やさしく包まれるように生きる感覚を
感じることができるようになります。

それこそが
安心の感覚
です。



もしも今
ひとりで本を読んで
ひとりでインターネットをみて

トラウマを克服しようと
奮闘しているなら

そこに
セラピストという存在を
加えてください。

自分と本
では
トラウマに立ち向かうだけの
層が足りていません。

トラウマの渦
というものもまた
幾重にも重なって人生を飲み込んでいく
竜巻のようなものだから

一層のサポートでは
とてものことに
かないません。

だから
ひとりではダメなのです。

自分と本とセラピスト
ならば
二重のサポートになります。

セッションでは
折り重なるトラウマの層を
一枚ずつ取り除いていき

防御のために身に着けた
固い甲羅を一枚ずつ剥がしていき

かわりに
リソースとサポートの花びらを
一枚ずつ重ねていくことを
します。

薄くとも
万重に重なればしなやかで
どこまでも美しい、

いのちや人生とは
そのようなものなのだろうと思います。


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